ベッシー・ヘッドは、小説の中でそれぞれの登場人物の内面を描き出す。善人でも悪人でもないひとりひとりの人間を。美しいボツワナ農村の背景描写があったと思えば、登場人物の会話、そして会話をきっかけとするその登場人物の深く長い思考の世界へ。視点が流れるように変わ
雨雲の集まるとき
2026年とその先の雨雲出版の仕事について
日々、不穏な世界情勢で心を痛めるニュースばかりですが、自分ができることを淡々とやり続けて進化していこうと思います。2026年の雨雲出版は、主に以下の仕事を予定しています。■【新刊】ベッシー・ヘッド作品の翻訳出版現在、『雨雲の集まるとき』に次いで未訳のヘッド作
新しいフェーズへ〜Ameliaとして踊ってきた意味
少し日が経ってしまいましたが。今年のお誕生日は特別な日でした。ベリーダンスの師匠とお誕生日が近いので、毎年のことながらイベントと重なったときはあまり大きく言わないようにしているのだけれど、ショーが終わったタイミングでようやくこのことを書こうかと思います。
「アフリカといえば動物?」の先へ――ベッシー・ヘッドを届けるために、対話の土壌を作る
「アフリカといえば動物?サバンナ?でも本当は違うんです」こういう問いかけを、何度聞いただろう。そのたびに感じる違和感と疲労感。どこか相手を見くびり、アフリカへのリスペクトを欠き、「自分はアフリカを知っている」という上から目線が透けて見える気もする。アフリカ
現場のリアルを物語で読む ― 『雨雲の集まるとき』と開発協力
文学の世界ではなく、開発協力の実務の現場に身をおいてアフリカと関わってきた自分にとって、ベッシー・ヘッドの『雨雲の集まるとき』は、フィクションであると同時に、一種のフィールドレポートでもある。プロジェクト会議でも報告書でも拾いきれない、人々の沈黙や軋みが
想像力の不在と分断の時代―ベッシー・ヘッドが照らす差別の根源
11歳のとき、わたしはアメリカの小学校に通うことになった。日本での暮らししか知らなかった子どもが、ある日突然、異国の教室に放り込まれる。英語はできず、友だちもいない。けれど、同じ年齢の子どもたちと机を並べているのだから、本来なら対等であるはずだった。しかし
斎藤真理子様と『雨雲の集まるとき』&ベッシー・ヘッド対談 | 沈思黙読会
9月28日(日)、なんとあの韓国語翻訳家の斎藤真理子様との対談という、それはもう大変貴重な機会を賜りました。斎藤様は、数年前からベッシー・ヘッドの翻訳出版を応援してくださり、とうとう『雨雲の集まるとき』が刊行されたときには推薦文も書いてくだった方です。(斎藤
言葉を交わし手に取ってもらう小説のその先に感じてほしいこと(文学フリマ札幌10)
自分で手売りすればいいんですよ。あるひとのその言葉からすべてが始まったのが2023年。文学フリマへの出店申し込みフォームに屋号を書く欄があり、2秒で考えた「雨雲出版」という名を冠し出版レーベルとしてスタートした。自らのベッシー・ヘッドに関する記録を書いたエッセ
【お知らせ】冊子「『雨雲の集まるとき』を知る:アパルトヘイトとベッシー・ヘッドの世界」配布を開始しました
アパルトヘイト時代の1968年に、ボツワナ農村を舞台に差別を生む根源に切り込んだ重要で美しい作品ベッシー・ヘッド著『雨雲の集まるとき』を読んでくださった皆様、ありがとうございます。 邦訳を出した者として日本語読者の理解を深めていただくためにベッシーさんの背景や
日本語読者に南アフリカを伝えるために『雨雲の集まるとき』アパルトヘイト副読冊子をつくる
ベッシー・ヘッド『雨雲の集まるとき』の発売から三か月ほどが過ぎた。長年の一つの目標であったこの本を、自ら翻訳し出版することをきっかけに雨雲出版を設立したのだが、出版社としても翻訳者としてももちろん実績と知名度があるわけではない。この大切な本を、より多くの









