4月17日は作家ベッシー・ヘッドの命日だった。1986年に48歳の若さで亡くなってから、もう40年になる。いつか、彼女の小説When Rain Clouds Gatherを自分の翻訳で出したら、その本を持ってお墓参りに行くというのが、いつもバケツリストのひとつにあった。本は、最初の出会い
ベッシー・ヘッド
希望を思い描けない社会で生きるということ――『雨雲の集まるとき』が描いたアパルトヘイトを読む
ベッシー・ヘッドは、小説の中でそれぞれの登場人物の内面を描き出す。善人でも悪人でもないひとりひとりの人間を。美しいボツワナ農村の背景描写があったと思えば、登場人物の会話、そして会話をきっかけとするその登場人物の深く長い思考の世界へ。視点が流れるように変わ
静かでスローな本づくりを――平和が揺らぐ時代に、言葉を届ける
新刊の準備を進めている。今日もある程度作業をした。前作に続き、南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドの作品だ。雨雲出版は、『雨雲の集まるとき』の翻訳出版をきっかけに設立されたが、まずは大本命だった作品の出版を実現させたので、次のステップへ進むことは以
静かなる辺境地から、その先へ ——ベッシー・ヘッドと雨雲出版
作家ベッシー・ヘッドのエッセイに「静かなる辺境地からの覚え書き(Notes from a quiet backwater)」という作品がある。私には静かなる辺境地が必要だ。まるで地上にかろうじて生き、人生を慎重に、小さな道筋を踏みしめながら歩む暮らしの感覚である。私の作品はすべて、こ
新しいフェーズへ〜Ameliaとして踊ってきた意味
少し日が経ってしまいましたが。今年のお誕生日は特別な日でした。ベリーダンスの師匠とお誕生日が近いので、毎年のことながらイベントと重なったときはあまり大きく言わないようにしているのだけれど、ショーが終わったタイミングでようやくこのことを書こうかと思います。
村の人々
ボツワナへ亡命してまだ間もない1960年代、まだ『雨雲の集まるとき』を書く前、農村の人々についてベッシー・ヘッドが書いたエッセイの中に、こういうくだりがある。貧困はアフリカに住みついている――まるで静かな第二の皮膚のように。おそらく地球上で唯一、無意識の尊厳
想像力の不在と分断の時代―ベッシー・ヘッドが照らす差別の根源
11歳のとき、わたしはアメリカの小学校に通うことになった。日本での暮らししか知らなかった子どもが、ある日突然、異国の教室に放り込まれる。英語はできず、友だちもいない。けれど、同じ年齢の子どもたちと机を並べているのだから、本来なら対等であるはずだった。しかし
斎藤真理子様と『雨雲の集まるとき』&ベッシー・ヘッド対談 | 沈思黙読会
9月28日(日)、なんとあの韓国語翻訳家の斎藤真理子様との対談という、それはもう大変貴重な機会を賜りました。斎藤様は、数年前からベッシー・ヘッドの翻訳出版を応援してくださり、とうとう『雨雲の集まるとき』が刊行されたときには推薦文も書いてくだった方です。(斎藤
言葉を交わし手に取ってもらう小説のその先に感じてほしいこと(文学フリマ札幌10)
自分で手売りすればいいんですよ。あるひとのその言葉からすべてが始まったのが2023年。文学フリマへの出店申し込みフォームに屋号を書く欄があり、2秒で考えた「雨雲出版」という名を冠し出版レーベルとしてスタートした。自らのベッシー・ヘッドに関する記録を書いたエッセ
【お知らせ】冊子「『雨雲の集まるとき』を知る:アパルトヘイトとベッシー・ヘッドの世界」配布を開始しました
アパルトヘイト時代の1968年に、ボツワナ農村を舞台に差別を生む根源に切り込んだ重要で美しい作品ベッシー・ヘッド著『雨雲の集まるとき』を読んでくださった皆様、ありがとうございます。 邦訳を出した者として日本語読者の理解を深めていただくためにベッシーさんの背景や









