東北沢のフジコ・ヘミング邸を訪れる日が来るとは思っていなかった。

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが亡くなったのが2024年。
暮らしていたお家の一階部分は劇団の稽古場として使われてきた。その場所で期間限定ショップが開かれていると知り、さっそく足を運んだ。

フジコ・ヘミングさんのピアノが注目され、一夜にしてその名を知られることになったNHKの番組を見て、その音色に衝撃を受けた日を覚えている。
ひとつひとつの音に色を付けていくような非常に特徴的な演奏には魂が込められ、ずっと長いあいだ心を奪われ続けてきた。

エディンバラ大学に留学していたときは、日々の課題やエッセイ、論文に追われながら、ずっとフジコさんのCDをかけていた。
音楽は誰かの心に直接届く。あれから二十数年ものあいだ、フジコさんの音楽はずっと寄り添っていてくれた。コンサートには、二回だけ行くことができた。

国籍のない苦労を味わったフジコさんの人生は、アパルトヘイトの南アフリカからボツワナに亡命し、市民権がなかなか得られず何年もの間を難民として生きた作家ベッシー・ヘッドの人生にも重なる。

フジコ・ヘミング邸の一階には、たくさんの写真や小物、アンティークの家具や調度品、そしてフジコさんがアレンジを施したであろうおしゃれな服も飾られていた。愛にあふれる空間だった。

これまでのフジコさんの時間を想像し、わたし自身が彼女の音楽とともに生きた年月を思いながら、ただただ感無量であった。

「続けなさい。続けることが大切」というフジコさんの言葉は、彩りあふれる音とともにわたしの心にずっと生きてきた。日ごろから準備をしておけば、チャンスの女神は必ずやってくると。

ベッシー・ヘッドに関する修士論文を書きながら、あのピアノを擦り切れるほど聴いたエディンバラという古い街での一年から、25年以上の時が流れた。ようやくベッシー・ヘッドという人の本を、自分の翻訳で世に出すことができたのは去年のことだ。

これまでもこれからも、フジコさんの音色とともに、わたしは誰かに寄り添うことのできる言葉を紡いでいきたいと思う。



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エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【87/100本】