雨雲出版として文学フリマ広島へ向かうことになったとき、どうしても立ち寄らなければならない場所があった。
平和記念資料館である。
広島そのものはこれまでも何度か行く機会があったものの、平和記念資料館には小学校の修学旅行以来、足を踏み入れていなかった。

わたしは三つの小学校に通っている。
3年生から6年生の途中まで通った学校は大阪にあり、平和教育に力を入れた学校だった。
授業やイベントごと、学芸発表会などで戦争や平和について考えさせる企画を行うことはもちろん、修学旅行の行き先は広島だった。

その後、わたしは6年生でアメリカはアラスカ州の学校に転校した。
日本で生活してきた11歳で、学校で習ってきた戦争というものは歴史上の動かしがたい事実であるから世界共通の出来事であると信じていた。
世界中の誰もがヒロシマやナガサキに起きたことの悲惨さを知り、戦争に反対し平和を願っているものと思い込んでいた。

現実はそうではないと知ったのはアメリカの小学校でのことだった。
教科書での記述の仕方、アメリカ人クラスメイト達の反応。彼らのなかでは、ヒロシマ・ナガサキの原爆は正当性があり、真珠湾攻撃はそれ以上に許されることのない出来事だったというイメージがあることを知った。世界は一枚岩ではなかったのだ。
1988年、今から38年前のことだ。

平和記念資料館は、多くの訪問者でにぎわっていた。
半分くらい、いやそれ以上が海外からの訪問者だったのかもしれない。
正確には、人の数はとても多かったけれど、皆真剣な顔をして展示をよく見ていたように感じる。

当然だが、昔の記憶にある薄暗く怖かった資料館とは全く違い、強くはっきりとストーリー性高くメッセージを伝える完成度の高いミュージアムになっていた。

そして何よりも、原爆投下に至るまでの話、被害の恐ろしさ、そしてその後の核戦争の危機や軍拡、核兵器の放棄や現在の平和に向けた取り組みなど、新しいことについてもきちんと網羅された実に充実した展示となっていた。

時代も変わり、わたし自身もアメリカの中学校から日本の高校・大学、イギリスの大学院、そしてアフリカへと渡り仕事をしていく中で年月は流れ、多くの国を見て、経験して変わってきた。

そして今、広島の街に戻ってきた。

奇しくもこのときは、急な解散と衆議院選挙が行われたときだ。
広島にも大雪が積もっていた。

これほどまでの人類史の悲劇を経験した我が国が、戦争に向かっていくような態度を取ることなど、間違っても許されることではないはずだ。

そして争いや分断、排除の考え方からもたらされた世界中の歴史上の悲劇の数々が、進むべき道をいやというほど教えてくれているはずなのだ。

わたしたちはどこへ向かおうとしているのだろうか。
それでも、声を上げ続けるしかない。




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