ここ最近、政府の政策の方向性に強い危機感を持っている。
我が国が、まるでディストピアを目指してまっしぐらに進んでいくようだ。

政府の政策には思うところがあまりに多く、個人としても出版社界隈としても何らかの意見表明をしなくてはならないだろう。

茨城県が出した制度案に対し、これを重大な問題であると指摘する声が大きい。
不法就労外国人に関する情報を密告した一般市民に報奨金を払うというものだ。

結論から言うと、これは差別の助長に他ならないと考える。

県の言う「人権に配慮した形を取る」ことなどまったくの不可能な話だろう。
人は疑いを持ち、四六時中監視されるのではという恐怖を持って生活せざるを得なくなり、悪意の目が向けられ、排除の手が伸びてくる。

差別と分断を助長し、社会を深刻な対立へと導いてきた歴史的悲劇と似た発想だ。

スパイ防止法なども、スパイを取り締まるという目的ではなく、スパイと疑いをかけて排除することが可能となってしまうところに人としての発想に重大な問題がある。
これが行きつく先はディストピアに他ならない。

南アフリカのアパルトヘイトは、それまであった人種差別を法制化し、1948年から1994年の長きに亘り継続した抑圧体制だ。

うたわれていたのは「分離発展」
人種を分担し、分けることで平和に暮らしましょうということだ。
裏を返せば、非白人層(アフリカ人、カラード、アジア人他)に対する人種差別。
居住地域、就業、教育はもとより、人種間関係、保健医療サービス、あらゆる公共空間が「分けられた」
つまり、非白人の人権を徹底的に奪った。
違反する者は次々と逮捕し、拷問にかけ、死に至らしめ、虐殺も起きた。

この分離発展の看板を信じ、この非人間的な構造を継続させてしまったのは差別という人間の心の病だ。

南アフリカの隣国ジンバブエでは、2005年「秩序回復作戦(Operation Restore Order)」が実施された。これは別名クリーンアップ作戦。ショナ語では、「ゴミ片付け作戦」(Operation Murambatsvina)である。

政府当局が、都市部の低所得者層居住地域などで、家々や露店など簡易な建築物を大規模に破壊した。このことで、約80万人が家や職を失った。
シェルターもない中で、多くの人が命を落とした。
人道に対する危機として、国際社会における非難の声が強まり、調査や緊急支援が行われた。

政府の説明としては、「ジンバブエにスラムはない」「秩序を回復する」
大規模に破壊され瓦礫となった家々を、わたしも実際にジンバブエ都市部で見た。
あまりにも悲惨な状況だった。これを、政府の政策として秩序の回復と呼ぶのだ。

対象となった地域には、野党支持者が多かったという背景もある。
つまり不都合な者を力で排除するやり方だと言える。

ジンバブエ政府は多くの強硬な政策を実施した。
治安維持法として、集会を禁じた。警察の許可なしで3人以上での集会があると、当局がやって来て逮捕されることもある。これも野党の力を削いで、封じ込めようという考え方である。
それを「治安維持」と呼ぶわけだ。
もちろんメディアも統制されていた。

このまま進めば、アパルトヘイトやこのジンバブエの強硬な政権のような人道に対する罪に溢れる世界に近づいてしまうのではないかと危惧している。

このところの我が国の政府は、排除と弱者の切り捨てという分断の発想ばかりだ。
そして、戦争の方向に向かおうとしているように見える。

排除し、弱者を切り捨てることからは何の答えも得られない。

日本では、強い者、権力のある者に従う、波風を立てない、という風潮が昔からある。少なくとも、そうした空気を感じる場面は少なくない。
これの発端はどこにあるのかわからないが、少なくとも学校で先生が言うことを聞かない者は「悪い者」として非難、懲罰を受けるような発想のまま、大人になってしまったひとが多いと感じている。

政府がやること、言うこと、権力を持つ者による抑圧に対して、解像度を上げなくてはならない。
おとなしく従っていれば、何もかもを与えられる平和な社会ではなくなってしまった。

本を作る者としても、行動を起こしていかなければならないと感じている。

沈黙は加担になり得るからだ。


Operation_Murambatsvina_collage_(before_and_after)
ジンバブエ、秩序回復作戦
By Algirr - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=165110341


zim372
The Guradianより


エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【77/100本】