9月28日(日)、なんとあの韓国語翻訳家の斎藤真理子様との対談という、それはもう大変貴重な機会を賜りました。
斎藤様は、数年前からベッシー・ヘッドの翻訳出版を応援してくださり、とうとう『雨雲の集まるとき』が刊行されたときには推薦文も書いてくだった方です。
(斎藤様とのご縁についてはこちらの記事をご参照ください。)
「斎藤真理子さんとともに本を読む会」というテーマで、毎月開催されている「沈思黙読会」にお招きいただいて、読書会の最後の時間で対談を行う形式でした。
(沈思黙読会についてはこちら)
斎藤様のご提案で『雨雲の集まるとき』とベッシー・ヘッドをテーマにお話しするとんでもなく素晴らしい機会が実現したのであります。喜びに心震えたのでありました。
この読書会は人気企画のようで、とにかく朝から夕方までみんなで黙って本を読むというのが趣旨。
会の最後にはそれぞれが今日読んだ本や考えたことなどを発表し合う流れのようです。
斎藤様人気もあって常連さんもずいぶん多い印象で、それぞれが読書に燃えていて本当に面白い場所でした。わたしも、こういう読書会でしたら積極的に参加したい!と思うくらい。(なので読書会にもしっかり参加しました)
9月28日は特別に対談の場を設けていただいた形でしたが、これを機会に『雨雲の集まるとき』を読んでくださった方も多くて、感動いたしました。
『雨雲の集まるとき』に限らず、わたしの出版までの個人的なお話や再びボツワナへ行った時のお話を書いた『水面(みなも)をすべるモコロのように』を読んでくださっている方もたくさんいらして、本当にうれしい限り。
参加者プラス関係者でけっこう人数がいましたが、その中の何人もが『雨雲の集まるとき』やエッセイを読んでいるのを眺めるという何だかそわそわする貴重な経験もさせていただきました。
対談では、色々と話したいテーマもあってまったく時間が足りないくらいでしたが、斎藤様が色々と興味深い視点を引き出してくださったように思います。
とくに、開発コンサルタントとして長年にわたり開発協力の世界で業務に従事してきたことは、この作品の翻訳に活かされている重要な要素だと自分でも思っていますし、斎藤様もこの点に着目されていたのは非常にありがたく嬉しいことでした。
訳者あとがきにもある通り、わたしはこの本を開発ワーカーにも読んでほしいと思っています。
1960年代の農村開発のお話ですが、現在の開発業界においても教訓となる要素がたくさん詰まっています。
それもそのはず、ベッシー・ヘッドさんは実際に1960年からボツワナのピリクウェで行われたBamangwato Development Associationの農業開発に関わっていたのですから。
そして小説の中でそれを忠実に再現したのですから。
この作品は、ベッシー・ヘッドがいちばん最初に発表したものです。
ここには、あらゆる要素が詰まっているんですよね。
独立前夜のボツワナ、1960年代の独立の機運が高まるアフリカ政治、民主主義の在り方を問う、農村女性の立場とジェンダー、農業開発、貧困、そして差別と抑圧です。
各テーマでの話は尽きませんが、やはり現代の日本社会に翻訳者/出版社として何を届けるのかと問われるのであれば、「アパルトヘイトの根底にあるもの」だと思います。
つまり、アパルトヘイトを形成していった人間の心の中にある差別のこと。差別とは、無知であり無意識のものであり、想像力の欠如であり、そして未知なるものへの恐怖です。
ひとりひとりの人間の心の内面深くを描くことで、ベッシー・ヘッドはひとを愛する作家だと思います。
人間を描くことで、時代や国・地域を超えて、個人の心に訴えかける高い共感性が生まれる。
そして、現代社会への重大な問いかけを投げてくるものなのですよね。
世界中でも似たような動きがありますが、現代日本での排外主義に、わたしは非常に強い危機感を抱いています。外国人への一方的で短絡的なマイナスイメージ、知りもしないことへの憎しみを煽り、攻撃へと転換していく排外主義的社会。
これはアパルトヘイトという地獄を生み出した空気ととても似ています。
やがて、戦争や虐殺へのつながっていく空気です。人が殺されていく空気です。自分たちが殺されていく可能性につながることでもあるのです。
この本をいま出版することは極めて重要だと使命感を感じていると何度もお話してきました。
その一方で、悲しくもあるのです。
未だに、そのメッセージや強烈な問いかけが必要な社会であるから。血が流され獲得された自由を自ら崩壊させていくような空気が日々濃くなっていくから。
何故ベッシー・ヘッドがアパルトヘイト真っただ中の時代に『雨雲の集まるとき』を書いたのか。
わたしの小さな活動は、これからも強い使命感を持って続けていきたいと思っています。
それにしても本当に楽しい会でした。
このような素敵な機会を下さった斎藤真理子様、運営の皆様、参加者の皆様に心から感謝いたします。
一晩明けても昨日の楽しい思い出に浸ってにやにやしています。

斎藤真理子様とわたくし。

『優しさと力の物語』くぼたのぞみ様が1990年代に訳されたベッシー・ヘッド短編集です。


斎藤様の『韓国文学の中心にあるもの』からフレーズを拝借。

本を読まれた方、ぜひご感想をSNSなどでシェアしてくださいませ。
皆さまのご感想が、本当にありがたいのです。
↓こちらからご注文をいただくと特典冊子(2種類)を差し上げます。
書店様はBookCellarからご注文いただけます。
斎藤様は、数年前からベッシー・ヘッドの翻訳出版を応援してくださり、とうとう『雨雲の集まるとき』が刊行されたときには推薦文も書いてくだった方です。
(斎藤様とのご縁についてはこちらの記事をご参照ください。)
「斎藤真理子さんとともに本を読む会」というテーマで、毎月開催されている「沈思黙読会」にお招きいただいて、読書会の最後の時間で対談を行う形式でした。
(沈思黙読会についてはこちら)
斎藤様のご提案で『雨雲の集まるとき』とベッシー・ヘッドをテーマにお話しするとんでもなく素晴らしい機会が実現したのであります。喜びに心震えたのでありました。
この読書会は人気企画のようで、とにかく朝から夕方までみんなで黙って本を読むというのが趣旨。
会の最後にはそれぞれが今日読んだ本や考えたことなどを発表し合う流れのようです。
斎藤様人気もあって常連さんもずいぶん多い印象で、それぞれが読書に燃えていて本当に面白い場所でした。わたしも、こういう読書会でしたら積極的に参加したい!と思うくらい。(なので読書会にもしっかり参加しました)
9月28日は特別に対談の場を設けていただいた形でしたが、これを機会に『雨雲の集まるとき』を読んでくださった方も多くて、感動いたしました。
『雨雲の集まるとき』に限らず、わたしの出版までの個人的なお話や再びボツワナへ行った時のお話を書いた『水面(みなも)をすべるモコロのように』を読んでくださっている方もたくさんいらして、本当にうれしい限り。
参加者プラス関係者でけっこう人数がいましたが、その中の何人もが『雨雲の集まるとき』やエッセイを読んでいるのを眺めるという何だかそわそわする貴重な経験もさせていただきました。
対談では、色々と話したいテーマもあってまったく時間が足りないくらいでしたが、斎藤様が色々と興味深い視点を引き出してくださったように思います。
とくに、開発コンサルタントとして長年にわたり開発協力の世界で業務に従事してきたことは、この作品の翻訳に活かされている重要な要素だと自分でも思っていますし、斎藤様もこの点に着目されていたのは非常にありがたく嬉しいことでした。
訳者あとがきにもある通り、わたしはこの本を開発ワーカーにも読んでほしいと思っています。
1960年代の農村開発のお話ですが、現在の開発業界においても教訓となる要素がたくさん詰まっています。
それもそのはず、ベッシー・ヘッドさんは実際に1960年からボツワナのピリクウェで行われたBamangwato Development Associationの農業開発に関わっていたのですから。
そして小説の中でそれを忠実に再現したのですから。
この作品は、ベッシー・ヘッドがいちばん最初に発表したものです。
ここには、あらゆる要素が詰まっているんですよね。
独立前夜のボツワナ、1960年代の独立の機運が高まるアフリカ政治、民主主義の在り方を問う、農村女性の立場とジェンダー、農業開発、貧困、そして差別と抑圧です。
各テーマでの話は尽きませんが、やはり現代の日本社会に翻訳者/出版社として何を届けるのかと問われるのであれば、「アパルトヘイトの根底にあるもの」だと思います。
つまり、アパルトヘイトを形成していった人間の心の中にある差別のこと。差別とは、無知であり無意識のものであり、想像力の欠如であり、そして未知なるものへの恐怖です。
ひとりひとりの人間の心の内面深くを描くことで、ベッシー・ヘッドはひとを愛する作家だと思います。
人間を描くことで、時代や国・地域を超えて、個人の心に訴えかける高い共感性が生まれる。
そして、現代社会への重大な問いかけを投げてくるものなのですよね。
世界中でも似たような動きがありますが、現代日本での排外主義に、わたしは非常に強い危機感を抱いています。外国人への一方的で短絡的なマイナスイメージ、知りもしないことへの憎しみを煽り、攻撃へと転換していく排外主義的社会。
これはアパルトヘイトという地獄を生み出した空気ととても似ています。
やがて、戦争や虐殺へのつながっていく空気です。人が殺されていく空気です。自分たちが殺されていく可能性につながることでもあるのです。
この本をいま出版することは極めて重要だと使命感を感じていると何度もお話してきました。
その一方で、悲しくもあるのです。
未だに、そのメッセージや強烈な問いかけが必要な社会であるから。血が流され獲得された自由を自ら崩壊させていくような空気が日々濃くなっていくから。
何故ベッシー・ヘッドがアパルトヘイト真っただ中の時代に『雨雲の集まるとき』を書いたのか。
わたしの小さな活動は、これからも強い使命感を持って続けていきたいと思っています。
それにしても本当に楽しい会でした。
このような素敵な機会を下さった斎藤真理子様、運営の皆様、参加者の皆様に心から感謝いたします。
一晩明けても昨日の楽しい思い出に浸ってにやにやしています。

斎藤真理子様とわたくし。

『優しさと力の物語』くぼたのぞみ様が1990年代に訳されたベッシー・ヘッド短編集です。


斎藤様の『韓国文学の中心にあるもの』からフレーズを拝借。

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