長い年月をかけた大切なベッシー・ヘッド作品『雨雲の集まるとき』の本づくりには、当然だが細部までこだわっている。

カバーイラストは、ずいぶん前から横山旬に描いてもらいたいと考えていた。
わたしには弟が二人いて、下の弟である横山旬はプロの漫画家だ。

姉目線で言うと、子どものころから飛び抜けたセンスの良さがあって「普通の子」とは違う面白い子だった。幼いときからすでに傑作な漫画を描いていて家族内で好評だった。現在は、プロとして漫画を連載しコミックをいくつも出していて、わたしはいつも新刊を心待ちにしている。時折り、子どもの頃の名残りや家族にしかわからないであろうネタがちょこっと混ざっているのが楽しくて仕方がない。

プロの漫画家としての技量の高さと秀逸さは本物だと思う。

美大の映像演劇学科を出ているのもあるのか、昔から物語を生み出す技と映画的なビジュアルが頭の中にあって、それを現在では漫画として形にしている。作品を読んでみると迫力のある画角やカメラワーク、テンポまで感じられる。

前置きが長くなってしまったが、『雨雲の集まるとき』のカバーイラストを快く引き受けてくれた旬に依頼したのはシンプルな内容だ。
わたしが余計な注文をつけることで彼の自由な発想に制限を加えてしまいたくなかったので、ふたつだけお願いした。

ただ単にボツワナの農村風景を描いてほしいこと、そして小説なので人物の顔などは描かない(読者のイメージに任せたいため)でほしいこと。それだけだ。
(資料は、別途入手した実際の1960年のボツワナ農村写真を渡した)

わたしの注文の仕方が漠然とし過ぎていて最初は戸惑っていた旬も、やがてわたしが思いもよらなかったような斬新なアイディアを出してくれた。

文章だけで挿絵のない小説では、登場人物のイメージ像をつくるのは読者だ。それを制作側が、ましてや原作者のベッシー・ヘッド(故人)というひとを飛び越えて邪魔をするわけにはいかない。

デザインは、わたし自身の好みも大切にしているが、極力ベッシー・ヘッドというひとのフィロソフィーに耳を済ませながら、彼女ならどうするかを想像して作っていく必要があった。

旬からは、複数のラフ案が出てきた。

それらを見たとき、思わず感動してしまった。
わたしが『雨雲の集まるとき』と出会ったのが90年代。実に四半世紀以上もの間、作品は文字だけでイメージは頭の中にあるだけだった。それがこうして、物理的に世界に現れるとは。

物語が生き生きとして、人物に命が宿っている。

人物を描かないようにと注文はしたものの、やはり旬の得意なのは躍動感ある人物のある画。
わたしには思いつかないような世界観がそこにあった。

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少女の絵は、デザイナーも編集者もわたしも、最初からとても気に入った。
これだと思ったのだ。

物語を読むとわかるが、この少女は重要な役割を果たすものの、主要登場人物ではない。
そしてこの場面も、物語の重要な展開を示す場面でもなく、ほんの少し描かれている小さな場面だ。大切な要素ではあるが、この少女とこの場面を抽出するなんてまず思いつく人はいないだろう。

1968年のWhen Rain Clouds Gather初版から今まで、翻訳を含めると非常に多くの版が出されてきたが、もちろんこの少女を丁寧に描いたカバーデザインなんてない。(雨雲出版の日本語訳が文句なしに歴代When Rain Clouds Gatherでいちばん素敵だ。間違いない)

ここから何度もやり取りをし、ブックデザイナーの意見も聞きながらデザインをつめていった。

そして、カバー案として出てきた青年マカヤの後ろ姿。
この絵を見て、その魅力にはっと息を飲んだ。

これほど、この物語の広がりを一枚で表している絵なんてないだろう。
佇まい、空気感、物語る背中、自由な国へと歩み出す足取りと、空気に満ちる光と音。

この絵の魅力には抗いがたく、最終的には扉絵に入れた。
物語の始まりを予感させる一枚だ。
わたしはこの絵を見て、いまでもちょっと涙がにじんでくる。

そして、何度もやり取りを重ねて仕上がったのがこの二枚である。
旬はアナログなので、イラストボードに色を重ねて描いている。

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ブックデザイナーは、versographicさんにお願いした。



まずはラフ絵にタイトルを重ねたカバーページ案をいくつか出していただいた。
実際に絵に重ねてみると、最初に考えていた文字の位置とは違うものがしっくりくるということがわかった。

わたし、デザイナー、編集者、そしてカバーイラストのアーティスト横山旬も同意見で、最終的な形が決まった。

空の真ん中に文字が雲のように浮かんでいるデザインだ。

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ここに斎藤真理子様からの大切な推薦文を入れた。(経緯は以下の記事の通り)




さらには、この物語の重要なセリフを引用し、その下には編集者・中川大地氏がコピーを入れてくれた。
紙の色は柔らかいナチュラル系、印刷のインクは黒一色ではなく、ほんの少しだけグレーを入れて物語の雰囲気にあうよう優しくしてもらった。

ベッシー・ヘッドさんならどれがいいと言うだろう。
そういうことを考えながら、紙の質、色、デザインなどひとつひとつを決めていった。

こういうことは、自分で版元を作ったからこそできたことだと思う。
何よりも大切な本を、誰かの手にゆだねるという選択肢は、なかったはずなのだ。
長年出版社を探しまくっていたころには、思い至らなかったことだ。

7月24日から8月4日の『雨雲の集まるとき』刊行記念展では、この原画も展示する予定だ。



『雨雲の集まるとき』viaギャラリー展(フライヤー) (メモ帳A6)


装丁がとても素敵とご好評をいただいているようで、本当に嬉しく思う。
旬の作品の魅力、デザイナーさんの素晴らしい仕事など、多くのひとの助けでベッシー・ヘッドさんの大切な本を世に出せたのは、本当に感慨深い。

また、別の観点からこの本の制作についての記事を書くことにしたい。

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この動画の後半で、原画を映しています。



横山旬の作品たちです。わたしは全部好きだけれど『午後9時15分の演劇論』がお気に入り↓










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『雨雲の集まるとき』刊行記念展 (2025年7月24日〜8月4日)開催