『雨雲の集まるとき』を翻訳出版した暁には、どうしても報告しなければならない方がいた。

拙著『雨風の村で手紙を読む:ベッシー・ヘッドと出会って開発コンサルになったわたしのアフリカ旅』に詳しく書いた初めてのボツワナ旅のとき、非常に親身になって手厚い支援をしてくださった方だ。

1998年、大学4年生。初めてのボツワナに行くために、情報集めに試行錯誤していたとき、たまたま少し前に在京ボツワナ大使館が開設されたことをガイドブック(立ち読み)で知り、わけのわからない電話をして訪ねたのだ。

そのときにアーカイブ調査に関する手続きから渡航に関することまで、何から何まで親切に世話を焼いてくださったのが、プラ・ケノシ一等書記官(当時)だった。

彼自身、ボツワナ大学の学生だったころ、作家ベッシー・ヘッドが講演に来たことを覚えていて、わたしのような一学生が研究をしていることに関心を持ってくださった。
ベッシー・ヘッドの小説MARU(邦訳『マル:愛と友情の物語』学藝書林、1995年)に出てくるサンの人々を指す呼称「マサルワ」について尋ねたという。マサルワとは、サンの人々を指す蔑称だ。この物語では、意図的にそれが使われているので、作品の肝となる部分である。

ケノシ氏には何度もお目にかかってあれこれとお世話になり(ご飯もご馳走になった)、その後、2007年にベッシー・ヘッド・フェストという大きなイベントでボツワナを再訪したときには、ハボロネでお食事をご一緒した。

大使として、東京に戻ってこられたが、2012年に病気で急逝した。
この知らせを受けた日、わたしはJICAアフリカ部での勤務最終日だった。(詳しくは、『雨風の村で手紙を読む 』にて)

ベッシー・ヘッドの小説『雨雲の集まるとき』の日本語訳の出版を実現できたのは、あの時から実に27年もあとのことだ。
あまりにも長く、あまりにも遅かったわたしは、ケノシさんのような大切な方へのご報告も間に合わなかったわけだ。

人生とはなんとままならないものだろうとは思う。
けれど、いつだってできることをするだけだ。

2025年になった今、雨雲出版を設立して1968年の小説『雨雲の集まるとき』を出版したわたしは、現在の在京ボツワナ大使館一等書記官にご報告をした。
彼女とは、2023年にボツワナへ調査に行くときに若干のやり取りをしたことがあった程度なのだが、入れ替わりの激しい外交官の中で、現在のわたしにとって唯一繋がりのある方だったから。

ケノシさんには直接お礼を言うことが叶わなかったけれど、彼への感謝とボツワナとのつながりを深めるベッシー・ヘッドという重要な人物の作品を日本語にして世に出したということをお伝えした。

このことに、おめでとうございますととても丁寧で嬉しいご返信をいただけただけで、この27年間やりたかったことをようやく果たしたような気がする。
ありがとうございます、ケノシさん。

『雨雲の集まるとき』の訳者あとがきを読んでくださっただろうか。
そこに彼の名を入れることは、長年の望みだった。彼のお名前プラとは、雨を意味する。

本の帯にはこの言葉しかないと、迷うことなくつけた本編引用。
この言葉が目に触れるたび、胸がいっぱいになる。



大地に川は見えないかもしれないけれど、わたしたちは心の中に川を抱いている。
だから、すべての良いものやすべての良い人を雨と呼ぶのです。
この本を、多くのひとに届ける旅は、ようやく始まったばかりだ。






エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【55/100本】

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1998年、ボツワナ大学。ここでの研究生としての滞在手続きを取ってくれたのも彼だった。

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セロウェのベッシー・ヘッドのお墓にて。ベッシー・ヘッドの息子ハワード・ヘッドに会えた。

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1998年、アーカイブ調査。大量の原稿や手紙。

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セロウェ・ミュージアムの屋根

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ミュージアムの敷地内に宿泊した

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『雨雲の集まるとき』刊行記念展 (2025年7月24日〜8月4日)開催