長い年月を経て2025年5月に出版いたしましたベッシー・ヘッド著『雨雲の集まるとき』の魅力について、ようやくご紹介します。(なんとまとめて書くのは初めてです)


■本書『雨雲の集まるとき』について

1968年、南アフリカからボツワナに亡命後、ベッシー・ヘッドが初めて発表したボツワナ農村を舞台にした長編小説When Rain Clouds Gather。(実はそれ以前に南アフリカ時代に書いた小説原稿はすでにあった)
ベッシーの寄稿した記事を見たニューヨークのSimon & Schuster社の編集者らが、長編小説を書かないかと依頼し実現したもの。ボツワナとアメリカを何度も往復したタイプライターの校正原稿や編集者とのやり取りが残されている。のちに、英国Victor Gollancz社から出ている。

この編集者のニックネームがベッシー・ヘッド本人の献辞にある(HOORAY!:フレー!)ことから、日本語訳でその編集者たちの仕事と出版経緯へのリスペクトを示したくて、訳者あとがきには彼女の名を記した。ベッシー・ヘッド研究者としては、言葉の翻訳だけではなくできるだけ背景情報を含めて、あとがきや解説などに記載している。

When Rain Clouds Gatherは1968年の出版後、様々な言語に訳され現在でも版を重ねている。最近では、2016年に韓国語版、そして2025年の日本語版(雨雲出版)。

■物語について

1960年代の南アフリカで、反アパルトヘイト闘争が激化する中、政治犯として刑務所に入っていた元ジャーナリストの青年マカヤが、国を出て新たな人生を踏み出すために国境フェンスを越えようとするシーンから始まる。
活動家として地獄を見てきたマカヤは深い心の傷を抱えているが、人間として生きるための道を見出すために、彼は政治活動から離れていく。

初めてのボツワナでたどり着いたのはホレマ・ミディ村。
そこで出会う農業開発に力を注ぐ英国人青年ギルバートや村の老人ディノレゴ。彼らとの交流を深めながら、マカヤは初めての農業牧畜に携わる。新しくギルバートが始めたタバコ栽培や農業協同組合に関わるが、アパルトヘイトのないボツワナでも抑圧者は存在し、人々の差別はあった。マカヤの心は穏やかに平和になっていくが、心の闇が消えるわけではなく新しい人生の中で何度も自らの折り合いをつけようとする内面が描かれる。

ホレマ・ミディ村では、庶民を抑圧し搾取する伝統的首長との対立、奴隷とされたサンの人々への差別や偏見などが存在した。

時代はボツワナ独立前夜で干ばつが厳しく人々の生活が苦しいとき。農業を通して、様々な人間の心の中が描かれていくが……。

■作品の特徴

この作品は、ベッシー・ヘッドが実に幅広いテーマを扱った初めての作品である。
主な点のみを以下に挙げたいと思う。

  • 【現代社会につながる問い】アパルトヘイト闘争の激しい時代にあえてアパルトヘイト政策そのものを描くのではなく、ボツワナ農村を舞台に人間の内面にある偏見や差別、善と悪などを描くことで、差別の根源に迫った。あらゆる政治イデオロギーも他者を抑圧するプロパガンダになり得ることを、作品を通して問題提起している。

  • 【農業開発】この作品の土台にあるのは、農村における農業と牧畜。伝統的首長との対立や政治や社会における差別の課題など様々な要素がある中で、発展のために家畜協同組合の設立と換金作物としてのタバコ栽培が開始される。この開発のストーリーは、ベッシー・ヘッドが正確性にこだわり、農業専門家などから集めた情報をもとに詳細に描かれている。このことで、作品は当時ボランティアたちの必読書にされたこともあった。現代の開発協力の世界にも通じる話である。

  • 【パン・アフリカニズムと宗教】1950年代から60年代にかけてのアフリカ諸国の独立の時代に、アフリカ民族主義の機運に大陸が湧いていた時代の空気感を、伝統的チーフの政党や政治家を通してリアルに描いている。政治的レトリックに傾倒することの危うさが、物語から垣間見えてくる。さらに、アフリカ大陸の植民地化に利用されたキリスト教についても非常に批判的に述べられており、とくに敬虔なクリスチャンの老女マ・ミリピードの存在によって、青年マカヤはキリスト教の矛盾とそれへの反発を明らかにする。この対話に多くのテーマが凝縮されている。

  • 【部族主義とジェンダー】農村における女性の低い立場が、作品中に何度も現れてくる。伝統的な部族主義やジェンダーの課題へ挑戦するように、物語ではタバコ栽培のプロジェクトを女性が中心となって担うようになる。この展開は、開発ワーカーにとっても重要な視点が盛り込まれている。

  • 【善悪、そして人間の描写】善人・悪人といった二項対立はない。悪役である伝統的チーフも、その邪悪さの根源がどこにあるのかを、内面の詳しい描写を通じて述べている。そして、善人についても然りだ。誰しもが完ぺきではなく、善良な登場人物でも複雑な胸の内を明らかにする描写がひとりひとり、かなり長く含まれている。これにより、物語を楽しむということよりも、むしろ実に個人的な領域での共感につながっていく。時代や場所を超えても、人の心は共感し共鳴するのが読者に伝わっていく。これがベッシー・ヘッド作品の魅力のひとつだ。

  • 【作家本人とのつながり】1937年アパルトヘイトが厳しい南アフリカで白人の母親と黒人とされる父親との間に生まれるが、人種間の性交渉を禁じる国において出生時から違法な存在だったベッシー・ヘッドは、孤児のように育つが後にジャーナリストとなる。ケープタウンやヨハネスブルグ、ポート・エリザベスを転々とし、政治活動に関わるようになるが、反アパルトヘイト闘争が激化する中でボツワナに亡命。南アフリカ政府のパスポートは取得できずに出国許可証のみを持っていた。
    『雨雲の集まるとき』の青年マカヤは、ジャーナリストで政治犯として刑務所に入っていた。彼の心の深いところにある重たいものと、政治、人間、社会、部族主義、ジェンダー、宗教に関する見解は、作家本人と重なるところが大きい。本人も、マカヤはほとんど自分自身と語っている。

  • 【小説としての構成】この物語は、展開がわかりやすく小説として引き込まれる構成になっている。その中で、政治や社会、差別や抑圧など、深い考察がふんだんに盛り込まれているところと、情景描写や心理描写が秀逸なところが魅力でもある。しかしながら、この作品は出版に向けて編集者と議論しながら整理されていったものでもある。一般にはあまり明らかにされていないが、当時の手紙と原稿のやり取りの中で、ベッシー・ヘッドはその思想を小説の出版に向けてきれいにまとめ直した経緯がある。つまり、これは彼女の深い思想の旅への序章なのである。なので、一般の読者にはわかりやすく、物語として楽しめる作品である。

  • 【読者へ投げかけられる問い】読者は、網羅的なこの作品を読んでそれぞれが共感・共鳴するテーマを見つけるようになっている。しかしながら、青年マカヤの心は平和になって将来への道筋が示されるものの、まだ闇が解決されてはいない。アパルトヘイトは終わらず(1990年代に入るまで続いた)人間の心の中にモンスターは存在するからだ。だからこそ、ベッシー・ヘッドは読者のパーソナルな部分へ問いかける。答えを出すことはしない。
    読者はよく、ベッシー・ヘッドの作品を読んで彼女に様々な議論を持ち込んでいた。ベッシー・ヘッドは作品を通して対話を促す。これが小説としての重要な役割なのだ。あなたはどう考えるか。読者はこのことを長いあいだ考えるかもしれない。数年経ってから思い出すかもしれない。これがベッシー・ヘッド作品の重要な特徴の一つである。さあ、対話を始めましょう。
『雨雲の集まるとき』は実に幅広いテーマを扱っているため、読者はそれぞれの共感ポイントや感動ポイントを見つけてくれるのではないかと思っている。読んだら、感想をいただければ嬉しい。

ここでは、本のバックグラウンド的な部分についてのみ書いた。長くなってしまったので、続きは別の記事にしたい。

翻訳については、また機会があれば紹介したいと思う。


大手オンラインショップや書店様でも購入いただけます。
雨雲出版のオンラインストアからご購入いただくと、特典冊子がつきます。


IMG_6038

20230417_101540760_iOS
左下が1968年Simon&Schuster版(初版)、右上が2016年韓国語版
すべてWhen Rain Clouds Gatherだが、ここにあるのは一部。もっともっとたくさんある。


20250619_024112870_iOS - 編集済み
原稿の一部。おそらく初稿です。この後、変わっていきます。

20250416_132137361_iOS


2021_09_26 13_01 Microsoft Lens(12)
ベッシー・ヘッドさん。いつもよく着ているこのお洋服はおそらくナイジェリアで買ったものかな。1980年代の写真。


83 Ploughing
1961年(photo: Patrick Kidner)


こちらの動画で内容紹介をしています。

==
『雨雲の集まるとき』刊行記念展 (2025年7月24日〜8月4日)開催