少し時間が経ってしまったのだけれど、先月行った大学でのゲスト講義について書いておきたい。

以前お仕事でご一緒した方を通して、某大学の法学部でのアフリカに関するオムニバス講義の一部をということで、ありがたくもお声がけいただいた。
2001年のエディンバラ大学修士以降、アカデミアからはほとんど遠ざかっていたので、大学生に向けてまとめて講義する機会に恵まれたのはとても良い機会だった。

ご担当の先生に講義テーマ案をお伝えすると、1コマではもったいないからぜひ2コマでと言ってくださり、たっぷりと100分×2ほどの時間を使わせていただいた。

なので、南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドについて話すだけではなく、この作品の土台となるアパルトヘイトや差別を生み出す構造についてからお話を始められた。

講義テーマを「構造的差別と優位性の幻想」にしたのは、法学部の講義と伺ったからだ。
人間の心の中に生まれ来る差別を歴史の中で強化し、法律で固めてアパルトヘイトという人種差別政策を形作った南アフリカの歴史は、人類の歴史上で重く、しかも非常に長期間にわたる悲惨な出来事のひとつである。

前半の一コマ目は、「差別とは何か?アパルトヘイトの歴史から見る「法律が固めていく差別」と「優位性」の弊害」とした。

どうやって南アフリカという国が形成されていったのか。
どうしてアパルトヘイトに至ったのか。

これをメインテーマに、1600年代のオランダ東インド会社とヤン・ファン・リーベックによるケープ植民地の開始、イギリスの進出、19世紀オランダ系白人アフリカーナーが新天地を求めて内陸へと「開拓」を進めていったグレート・トレック。
そして、イギリスとオランダによるボーア戦争。(そう、アフリカで土地を巡ってヨーロッパ人同士が戦ったのだ。どれほど搾取の歴史の闇が深いかわかる)

20世紀に入って、黒人の居住地や職業、教育や公共スペース、結婚に至るまで、あらゆる差別を行うアパルトヘイト関連法(300ほどの人種差別的法律があったとのこと)が次々と成り立ち、反アパルトヘイト闘争で血が流される。これが何十年と続いていったことを想像してみてほしい。

これらのすべては世界史の授業で簡単に習うものかもしれないが、この歴史的背景の根底にあったのは差別とその強化の仕組みである。

アパルトヘイトは30年以上前になくなったが、現代社会に残る差別の根源とは何かについて、学生さんたちに考えてほしいと思った。

自分たちの身近なところで、無意識の差別はある。
まずはこのことに気づくのが重要である。

人間の脳は、勝手に優位性を作っていくものだという。
でもそれらは、実のところ幻想に他ならない。

差別を生み出す根源的なものは、人間の心の中にある「無意識」であり「無知」であり、「知らないものへの恐怖」だ。それらが、ひいては自分たちを守るためのアパルトヘイト構造を作ったり、排他主義とヘイトが暴力へと繋がり、やがて人の命を奪い、ひいては戦争や虐殺へとつながる。

こういうことについて、現代社会や自らの生活において解像度高く気づいておくことがどれほど大切か、ということだ。

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そして、2コマ目は「作家ベッシー・ヘッドの作品から読み取る差別と人間の持つ「優位性の幻想」」と題した。

1コマ使ってアパルトヘイトに関する講義を行ってから、次のコマでベッシー・ヘッドに関するプレゼンをするような時間的余裕があるケースはなかなかない。よりベッシー・ヘッドというひとの存在意義や作品に対する理解が深まるだろうし、この形式だと一通りの重要なポイントだけでも伝えることができる。
学生さんたちに興味を持っていただけただろうか。


ベッシー・ヘッドは1937年の南アフリカ生まれ。
母は白人、父は黒人とされる出生で、アパルトヘイト構造の中で抑圧されてきた人たちのひとりだ。

1960年代、反アパルトヘイト闘争で血が流され、激しい弾圧が行われているさなかに、南アフリカを出てまったくの偶然でボツワナのセロウェという村で教師になる。
その後、アパルトヘイトという政治構造そのものではなく、ボツワナの農村を舞台にその根源となる人間の心の中の差別や善悪、ひいてはそれらが生み出す差別と抑圧について描いた。
ボツワナにも、どの国にも差別はあったのだ。

そもそもの人間の内面という重要な切り口から描くことで、この社会に普遍的で力強い問いを生み出した。

どのような政治的レトリックでも、人を抑圧する方へと使われてしまう可能性がある。
そんな中でも彼女が信じ愛したのは、天上にいる宗教的な神様ではなく、地上に生きる人間だった。

これが、ベッシー・ヘッド作品が現代社会にも非常に重要である所以だ。

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そして、アパルトヘイトがなくなり30年以上。

この講義を行ったまさにその週に、南アフリカのラマポーザ大統領とアメリカのトランプ大統領が会談を行った。
テーマのひとつは、アフリカーナー(オランダ系白人)の「難民」としての保護だ。
まるで、アパルトヘイトに逆行するかのような昨今のアメリカ政治に、強い危機感を抱いている。




1968年にベッシー・ヘッドが発表した『雨雲の集まるとき』は、そんな60年代の厳しいアパルトヘイト闘争で地獄を見た元ジャーナリスト青年のマカヤが、ボツワナへ亡命するところから始まる。
彼の心の中に抱くどろどろとした思いと、絶望と未来への希望は、ベッシー・ヘッドそのひとの姿でもある。

そして、現代社会に届けるべき強い思いと普遍的な問いでもある。



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この2コマの講義に、膨大なエッセンスを凝縮させてしまった。
最近、学生さんとお話をする機会がわりと増えたので、またこのような講義を大学でさせていただければと思っている。


エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【54/100本】