もう二年近く前、お気に入りのベーカリーカフェで知らないひとに声をかけた。
その女性は、ステッカーで飾られたマックブックを広げていて、傍らには分厚い学術書らしき本が置かれていた。
アフリカンルーツを思わせる見た目に、ドレッドをきれいにまとめたお洒落なヘアスタイル。その知的なオーラと雰囲気になんだか話しかけたくなってしまい、あなたのバッグかわいいですねと声をかけてしまったのだ。アフリカンプリントのバッグだった。
彼女は気さくに話しかけたのを喜んでくれたようで、いきなりで失礼だったかなという心配もすぐに吹き飛んだ。それから一緒にコーヒーを飲んで会話に夢中になった。
西アフリカ某国にルーツがあるそうだが、アメリカに長くアフリカ訛りはまったくない。今は、中西部の大学で教鞭を取っているという。日本の方と結婚していて、そのご実家が当時のわたしの自宅近くで、この居心地の良いベーカリーカフェに来ていたということだ。
今までの人生で出会った中で、初対面なのに人生のあれこれを話せるひとはそう多くはない。
わたしはちょうど、心療内科に適応障害と診断され、勤めていた国際協力系のコンサルティング会社を休職したばかりの時期だった。
忙しく働いてきたけれど、この先どうしたらよいものか、うまく考えられずにいた。それで、馴染みのカフェに通ったり、ジャーナリングをしたりしながらもやもやした日々をすごしていた。
心身を病んだのはいくつもの理由が重なってのことだったが、もっとも大きい要因は、自分のライフワークとしてやりたいことがはっきりしているのに、それに思うように取り組んでこられなかった年月が長すぎたということだと思う。
その上、仕事が忙しくなると心身ともに負担となり、自分の心に従わず自分をだまして生きているように感じて、いつしか矛盾が不調として表出してしまったのだ。
わたしがライフワークとしている活動のひとつは、南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの作品を紹介することだ。学生時代に知ったベッシー・ヘッドの作品を、自ら日本語に訳して出版したいと長年願っていた。十年も二十年もの長い年月をかけて、出勤前の朝活で少しずつ翻訳し、出版社に話をしてみては打ち砕かれ続けた。重ねて、仕事に翻弄され時間もエネルギーも消耗し、ライフワークが後回しになり停滞する。その気持ちを共有できるひともおらず、たったひとりで落ち込む。
そんな年月の結果だった。
彼女と出会ったのはちょうどそのころだ。
そのスマートさと感性の鋭さですぐに深いところを理解してしまうし、さらに考え方も似ていて年齢も近いだろう彼女の放つポジティブエネルギーは相当な力がある。
いつしかわたしは、自分がなぜベッシー・ヘッドというひとを敬愛し、彼女の作品を日本語にしたいのか、なぜ、自分は文章を書き続けるのか、といった哲学的命題のような話を延々と続けていた。
彼女のような聴き手がいることで、わたしは長い年月の間ひとりでもやもやとしていた自分の内面が整理され、前向きな力が生まれるのを感じていた。
彼女自身、大学で教える仕事を通じて苦労もあり、やりたいこともあり、大学以外にもヨガやメディテーション、サウンドヒーリングやズンバなど幅広い活動をしながら、独自の研究も進めるバイタリティ溢れるひとだ。
そんな彼女との会話は、お互いのエネルギーが増幅していくような素敵なものでもある。
わたしたちは、数カ月おきの彼女の日本滞在中におそらく3回か4回程度会っただけだ。
それでも、彼女との会話のインパクトは大きく、もやもやしていたわたしはここ二年の間で会社を退職し、十六年ぶりにベッシー・ヘッドが暮らしたボツワナを訪れ、大切な人々に会い、さらには自分で出版をすべくひとり出版レーベルまで立ち上げた。
さらに、本を書くことについて彼女が背中を押してくれたこともあり、新しく立ち上げた出版レーベルからさっそく4冊ものエッセイ本やアンソロジー本を商業出版ではないとはいえ、出すことができた。
間違いなく彼女は、わたしの人生の中で大きな変化の二年間の原動力となってくれている。
何度か会う中で、彼女はわたしがそのとき必要としている重要な言葉をくれた。
そして、わたしが自分のやりたいことを熱弁するといつも彼女は、自分にとっても私との会話がインスピレーションとエネルギーをくれると感激している。
次に会うときは、わたしも彼女もどこまで進化しているのだろうと思うとどこか楽しみだ。
人生の中で大切なひととは、ずっと長い時間を一緒に過ごす身近なひととは限らない。
でも、明らかにわたしの人生はここ二年間で大きな変化を遂げたし、そのきっかけに彼女の存在がある。
こうして、魂のつながりを感じられる存在と出会えることってそうそうないのかもしれない。
この夏、彼女は日本の義理の家族としばらく過ごしている。
そういえば、最近コーヒーゼリーというものを初めて食べて、その美味しさに感動したそうだ。
コーヒーゼリーは日本発祥だそうで、アメリカでカフェなどのメニューにあることはまずないようだ。
彼女に会える時間は短いけれど、アメリカに帰る前にわたしが愛して止まない別のお店のとびきり美味しいコーヒーゼリーを食べに連れて行こうかしらと思っている。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【26/100本】
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■「雨雲出版」を設立しました!
雨雲出版オンラインショップはこちら
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
==
■音声配信『雨雲ラジオ』
stand.fm
Spotify
Apple podcast
■YouTube hitomi | 南アフリカ作家ベッシー・ヘッド研究
■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
その女性は、ステッカーで飾られたマックブックを広げていて、傍らには分厚い学術書らしき本が置かれていた。
アフリカンルーツを思わせる見た目に、ドレッドをきれいにまとめたお洒落なヘアスタイル。その知的なオーラと雰囲気になんだか話しかけたくなってしまい、あなたのバッグかわいいですねと声をかけてしまったのだ。アフリカンプリントのバッグだった。
彼女は気さくに話しかけたのを喜んでくれたようで、いきなりで失礼だったかなという心配もすぐに吹き飛んだ。それから一緒にコーヒーを飲んで会話に夢中になった。
西アフリカ某国にルーツがあるそうだが、アメリカに長くアフリカ訛りはまったくない。今は、中西部の大学で教鞭を取っているという。日本の方と結婚していて、そのご実家が当時のわたしの自宅近くで、この居心地の良いベーカリーカフェに来ていたということだ。
今までの人生で出会った中で、初対面なのに人生のあれこれを話せるひとはそう多くはない。
わたしはちょうど、心療内科に適応障害と診断され、勤めていた国際協力系のコンサルティング会社を休職したばかりの時期だった。
忙しく働いてきたけれど、この先どうしたらよいものか、うまく考えられずにいた。それで、馴染みのカフェに通ったり、ジャーナリングをしたりしながらもやもやした日々をすごしていた。
心身を病んだのはいくつもの理由が重なってのことだったが、もっとも大きい要因は、自分のライフワークとしてやりたいことがはっきりしているのに、それに思うように取り組んでこられなかった年月が長すぎたということだと思う。
その上、仕事が忙しくなると心身ともに負担となり、自分の心に従わず自分をだまして生きているように感じて、いつしか矛盾が不調として表出してしまったのだ。
わたしがライフワークとしている活動のひとつは、南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの作品を紹介することだ。学生時代に知ったベッシー・ヘッドの作品を、自ら日本語に訳して出版したいと長年願っていた。十年も二十年もの長い年月をかけて、出勤前の朝活で少しずつ翻訳し、出版社に話をしてみては打ち砕かれ続けた。重ねて、仕事に翻弄され時間もエネルギーも消耗し、ライフワークが後回しになり停滞する。その気持ちを共有できるひともおらず、たったひとりで落ち込む。
そんな年月の結果だった。
彼女と出会ったのはちょうどそのころだ。
そのスマートさと感性の鋭さですぐに深いところを理解してしまうし、さらに考え方も似ていて年齢も近いだろう彼女の放つポジティブエネルギーは相当な力がある。
いつしかわたしは、自分がなぜベッシー・ヘッドというひとを敬愛し、彼女の作品を日本語にしたいのか、なぜ、自分は文章を書き続けるのか、といった哲学的命題のような話を延々と続けていた。
彼女のような聴き手がいることで、わたしは長い年月の間ひとりでもやもやとしていた自分の内面が整理され、前向きな力が生まれるのを感じていた。
彼女自身、大学で教える仕事を通じて苦労もあり、やりたいこともあり、大学以外にもヨガやメディテーション、サウンドヒーリングやズンバなど幅広い活動をしながら、独自の研究も進めるバイタリティ溢れるひとだ。
そんな彼女との会話は、お互いのエネルギーが増幅していくような素敵なものでもある。
わたしたちは、数カ月おきの彼女の日本滞在中におそらく3回か4回程度会っただけだ。
それでも、彼女との会話のインパクトは大きく、もやもやしていたわたしはここ二年の間で会社を退職し、十六年ぶりにベッシー・ヘッドが暮らしたボツワナを訪れ、大切な人々に会い、さらには自分で出版をすべくひとり出版レーベルまで立ち上げた。
さらに、本を書くことについて彼女が背中を押してくれたこともあり、新しく立ち上げた出版レーベルからさっそく4冊ものエッセイ本やアンソロジー本を商業出版ではないとはいえ、出すことができた。
間違いなく彼女は、わたしの人生の中で大きな変化の二年間の原動力となってくれている。
何度か会う中で、彼女はわたしがそのとき必要としている重要な言葉をくれた。
そして、わたしが自分のやりたいことを熱弁するといつも彼女は、自分にとっても私との会話がインスピレーションとエネルギーをくれると感激している。
次に会うときは、わたしも彼女もどこまで進化しているのだろうと思うとどこか楽しみだ。
人生の中で大切なひととは、ずっと長い時間を一緒に過ごす身近なひととは限らない。
でも、明らかにわたしの人生はここ二年間で大きな変化を遂げたし、そのきっかけに彼女の存在がある。
こうして、魂のつながりを感じられる存在と出会えることってそうそうないのかもしれない。
この夏、彼女は日本の義理の家族としばらく過ごしている。
そういえば、最近コーヒーゼリーというものを初めて食べて、その美味しさに感動したそうだ。
コーヒーゼリーは日本発祥だそうで、アメリカでカフェなどのメニューにあることはまずないようだ。
彼女に会える時間は短いけれど、アメリカに帰る前にわたしが愛して止まない別のお店のとびきり美味しいコーヒーゼリーを食べに連れて行こうかしらと思っている。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【26/100本】
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
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■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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