アフリカにいると事欠かないのは、日本的マナーとはかけ離れた「サービス」とは対極なものにびっくりする事例の数々だ。

たとえば乗り合いタクシー。
利用するたび、日本人から見ればたいてい面白い出来事があって飽きることがない。


今年は実に久しぶりに開発コンサルタント仕事以外でアフリカに行った。
しかも久しぶりのボツワナ。

今まで首都でも治安が良かったボツワナだが、残念なことに昨今では経済状況の悪化からか一般犯罪も増えつつあるようだ。

それでも、わたしが滞在するベッシー・ヘッドの暮らした小さな田舎町セロウェはのどかなもので、常識的に気を付けていれば危ない目にあうことはまずない。

カーマ3世メモリアルミュージアムに保管されている大量のベッシー・ヘッドアーカイブに没頭するため、セロウェ滞在中は宿泊先から4キロ弱の道のりを毎日通っていた。

現地でよく使われる交通手段のひとつは、流しの乗り合いタクシーだ。

コンサルタントとしての出張であれば、移動は借り上げ車がほとんどなので乗り合いタクシーに乗る機会は(普通の人は)まずない。

ただでさえ、アフリカの国で日本人はものすごく目立つし危険も多いので、治安の悪い大都市であれば流しのタクシーを拾うことはないのだが、今回は完全にプライベートだ。
そして、セロウェのような田舎だと明るい時間帯であればさほど危険は感じない。

なのでよく乗り合いタクシーを拾って出勤していた。

この手の地元のひとが使う移動手段というのは、たいてい独自のローカルルールに則っているので最初は仕組みがわからなかったのだが、人に聞きながら毎日利用して理解した。
というか、どこかに書いてあるわけもない暗黙のルールなので、地元の誰かに尋ねないと旅行者にはわからない。

セロウェの場合はこうだ。
中心地であるメインモール(といってもスーパー数軒、銀行数軒、大小数十軒の商店とバスターミナル程度)を起点に、メインロードを約6キロ先に南下したボイテコ・ジャンクション・モールとの往復ルートが基準となる。

基本は、片道8プラ。(約85円)
道沿いで車を止めて、空きがあればお客さんが乗ってくる。

メインロードからルートを外れる場所に行く場合は、ドライバーや同乗者と交渉する。
たとえばわたしが通うミュージアムはメインモールから少しだけ外れているので、ミュージアムまで行ってもらう場合、もう8プラを上乗せして請求するドライバーもいれば、10プラもしくは8プラだけでOKと言ってくれるひともいる。

三週間以上は毎日のように乗り合いタクシーを利用したが、ぼったくろうとしたひとや嫌がらせをしてきたひとなどはいなかった。

地元のひとたちと一緒にぎゅうぎゅうに詰められて乗るのだが、リーズナブルだし、なによりもどんなひとがどこへ行くのか、どんな話をするのかなど観察したり、会話を交わしたりするのはなかなか面白い経験だった。

もちろん、乗り合いではなく電話で直接ドライバーを呼び出す方法もある。
日本でいう「迎車」というやつだろうか。

とくに迎車料金を取るひとはいなかったが、だいたいわたしの宿泊先まで30プラ(320円)程度で行ってくれるので、メインモールまで裏道を10分かけてPCや資料の入ったリュックを背負って歩く気分になれない日にはちょうどよかった。

タクシーと言ってもタクシー会社などではなく個人なので、ドライバーの番号はミュージアムのスタッフなど、地元の誰かから直接教えてもらう仕組みだ。
何度か呼んでいると何となく自分の好みのドライバーもわかってくる。

乗車中ずっとナンパし続けてきた若い子を除き(たぶんわたしを20代くらいと思ったのだろう)いいひとばかりで不愉快なことはほとんどなかったのだが、ひとりだけ「何だかなぁ」と思ったひとがいる。

彼はとにかくわたしとコミュニケーションを取ろうとせずにへらへらしているのだ。
よくあることではあるが、わたしが外国人ということで端からちょっと見下した態度を取ったり、コミュニケーションを取る姿勢も見せないひとは少なからずいる。
これは英語能力には関係ない。

そのドライバーは、最初からとにかくその調子だった。

ミュージアムのキュレーターと一緒に乗ったときも、途中で知り合いを見つけて車を止め、大声でそのひとを呼んだかと思うと何故か普通に乗せたり。

あの、タクシー代払っているのわたしですけど?

という話はもちろん通じない。

失礼な態度だしもう呼びたくなかったけれど、ある日どのドライバーも捕まらなくてそいつを呼んだときがあった。

ミュージアムに来てくれたけれど、後部座席には体の大きなアフリカンマダムがでんと構え、チキンをむさぼっている。

電話で呼んだときは「スペシャルタクシー」という位置づけで、値段も高い代わりに普通のタクシーのように行きたい場所にいけるし、乗り合いもない、はずなのにだ。

しかも、乗車中ずっとツワナ語でしゃべっている。
わたしが理解できないと思い込んで大声で笑っているけれど、会話の端々で「30pula」と言ってはゲラゲラと笑っているのだ。明らかにわたしが乗り合いタクシーよりも高い金額を払っているのを目の前であざ笑っているわけだ。

おいおい。
勝手に知らんひと乗せたのはお前だろ。

というか言葉がわからなくても、声の調子と単語で何言ってるかたいていわかるのですよ?


目的地に着いたとき、わたしは無表情で冷たく、この(後部座席の)ひとは誰?と訊いた。
彼女は代金を支払うんだよね?と厳しく言い放ってみた。

でも、昔から数えきれないくらい似たような場面があったけれど、こういうときってどれだけきつく言っても何の効果もないものだ。

ドライバーはへらへら。
わたしが何をきつく言っているのかわからない。英語力の問題でもない。

「彼女は僕の友達だよ〜(へらへら)」

つまり、わたしが料金を支払っていて、その恩恵をわたしに無断で乗ってきた知らないひとが受けているということ自体、ドライバーにとってはそもそも何ら問題がないわけだ。
だって、わたしを直接目的地に送り届けているのだから。わたしにとって何の損がある?というわけだ。

日本で迎車タクシーに誰か知らないひとが乗っていてチキンを貪り食ってドライバーと大声でゲラゲラ笑っていたら、えらいこっちゃだろう。

これをドライバーに理解してもらうのは非常に難しい。というかほぼ不可能だ。
そのお友だちの女にお金を払ってもらうことはもっと難しい。

結局、これは「アフリカ的効率性」なのだと思う。

だって、ちゃんと送り届けんだし、どうせ走るんだったら誰か乗せたほうがいいでしょ?というわけだ。

しかも、外国人=お金を持っているという考え方もあるだろう。
お金を払ってもらうということへの考え方のベースがまるで日本人とは違う。

たしかに、日本的なタクシーが知らない誰かを勝手に乗せずチキンも食べず静かに走ってくれるのは「マナー」でありサービスかもしれない。
でも、効率性で考えたら、知らん女が乗っているほうが、世界のエネルギーバランスには多少の貢献をするわけだ。エコかもしれない。

なんだか損したと思うのは、わたしのなかの「日本的価値観」がそうさせているのだろう。

でも、アフリカ的価値観ってどんなものかしらと考えると、理解できなくもない。


結局このときは、いくら抗議しても絶対に通じるはずがないので、1ミリも笑顔を見せずに睨みつけて、挨拶せずに金を渡してわたしはタクシーを降りた。

ちゃんと金は払ってあげたのだから、これくらいのことはいいだろう。

目のまえで馬鹿にされて癪に障るが、それこそ何を言ってもまったく無駄なのだ。

だから文章にすることにしました。

アフリカは、これだからやめられないのだよ。

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