ヒュー・ピアースの話をしたい。
ボツワナで作家ベッシー・ヘッドのアーカイブ調査をするほか、ベッシー研究者と古い友人のトム・ホルツィンガー氏にはお会いするつもりだったのだが、滞在中に急遽トムの計らいでお会いすることになった。
この件は、ブログにも書いている。
そして、このときに撮影した動画では、ピアース氏が語った貴重なお話が盛りだくさんだったので、時間がかかってしまったが一本に編集してYouTubeにアップした。
内容は以下の通り。
ーーーーー
▪️南アフリカの反アパルトヘイト闘争時代のANC(アフリカ民族会議)の地下活動
1970年代、ボツワナでコードネームを使いながら亡命した活動家の手助けをしたりメッセンジャーとして活動したり。当時は英国からリクルートされて活動に関わる若者が多かったようだ。命懸けの闘争の記録の一部を語ってもらった。
▪️ベッシー・ヘッドが亡くなったときの話
1986年、病気で倒れたベッシーを病院に連れていき、最後まで付き添ったのがピアース夫妻だった。
黒人と白人のピアース夫妻に手を握られて、黒人と白人の間に生まれたベッシーは息を引き取った。
その後、葬式やアーカイブの手配などがどう進められたかについて語っている。
▪️ボツワナにおける差別
ベッシーが描いたボツワナに存在する差別について
▪️アフリカ文学におけるジェンダーギャップ
アフリカ文学の世界でも有名な作家はいるが、彼の中に男尊女卑の意識があったという話。
だからベッシーの作品を嫌ったという話。
▪️その他
「事実とは何か」「フィクションとは何か」
ーーーーー
この動画に語られていることはいずれも貴重なので改めて解説をしたいと思うが、ここではこれをピアース氏本人や関係者に見せておきたことについて書いておきたい。
ピアース氏は、この動画にいたく感動してくれたようだ。
これほどまとまった動画や発信物にまとめられたことがおそらくなかったのかもしれない。
この動画を、BTV(ボツワナ国営テレビ局)や南アのテレビ局に売ろう!君の著作権と利益は守ろう!とまで興奮したメッセージが送られてきた。
ベッシー研究者やファンにとってだけでなく、アパルトヘイトや南アの歴史、ボツワナの歴史を知る上でも重要な語りだとは思う。
ピアース氏は、これを「自分の長い人生のhigh point」だとまで言ってくれた。
日本語的には「ハイライト」だろうか。
そこまで言ってくださるなんて、こちらとしては恐縮してしまう。
ベッシーの友人トムは、相変わらずの熱量でこの動画を大絶賛し(同時に修正ポイントも厳しく指摘していたが)、ベッシー・ヘッド研究者やベッシーを知る当時の友人たちに早速シェアをしまくったようだ。
そして、彼の人生の大切な記録だと言ってくれた。
わたしの一連の発信物をトムがシェアしたことで、わたしはこれまで知らなかった当時のベッシーの知り合い・関係者と繋がることができ、彼らもわたしの動画で懐かしいトムやピアース氏の顔を見て喜んでくれている。
そしてベッシーを懐かしく思い出している。
貴重な資料という意味でもこの動画を発信することは重要だったが、関係者の心に温かい贈り物をする意味でも、何よりもピアース氏本人の大切な記録としても、大切だったのだと思うと嬉しくて涙が出る。
ところで、動画では全てカットしているのだが、ピアース氏はご病気の治療中で体がとても辛いらしい。
「俺が死にそうなところを彼女が撮ってるんだぜ(にやり)」と冗談めかして奥さんに言っていたが、実際、ひどく咳き込んだシーンが非常に多かった。
ソファで横になっているのはそのためだ。
反アパルトヘイト闘争の地下活動の記録や、ベッシー・ヘッドのことを文章にして欲しいとリクエストしてみた。彼自身の言葉で語って欲しかったからだ。
彼自身も、それはやりたいと言った。
でも、健康状態がよろしくなくて、それがどこまで現実的かは不明だ。
そういう意味では、彼の人生のこのタイミングで偶然わたしがボツワナに来て、モチュディという彼と奥さんが暮らす街まで1時間ほどかけてバスで訪れて、あまり準備もできないままにこの語りを撮影をしたことは、もしかしたらわたしが想像した何倍もの重要な意味を持ってしまったのかもしれない。
実は、この動画は30分にまとめてあるのだが、未編集素材は1時間半分くらいある。
そこにも貴重なお話は案外ある。
トムや、他の古い友人たち。いずれも70代くらいだろう。
皆がピアース氏の健康を心配している。
わたしにできることは限られているけれど、誰かの語りを撮影し、その人生をささやかながら記録に残すということは、もしかしたら思ったよりもずっと遥かに重大な任務なのかもしれない。
ベッシー・ヘッドは動画に残っていない。
だから、誰かの語りを動画で発信し続けようと思う。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
==
■音声配信『雨雲ラジオ』
stand.fm
Spotify
Apple podcast
■YouTube hitomi | 南アフリカ作家ベッシー・ヘッド研究
■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
↓更新通知が届きます
ボツワナで作家ベッシー・ヘッドのアーカイブ調査をするほか、ベッシー研究者と古い友人のトム・ホルツィンガー氏にはお会いするつもりだったのだが、滞在中に急遽トムの計らいでお会いすることになった。
この件は、ブログにも書いている。
そして、このときに撮影した動画では、ピアース氏が語った貴重なお話が盛りだくさんだったので、時間がかかってしまったが一本に編集してYouTubeにアップした。
内容は以下の通り。
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▪️南アフリカの反アパルトヘイト闘争時代のANC(アフリカ民族会議)の地下活動
1970年代、ボツワナでコードネームを使いながら亡命した活動家の手助けをしたりメッセンジャーとして活動したり。当時は英国からリクルートされて活動に関わる若者が多かったようだ。命懸けの闘争の記録の一部を語ってもらった。
▪️ベッシー・ヘッドが亡くなったときの話
1986年、病気で倒れたベッシーを病院に連れていき、最後まで付き添ったのがピアース夫妻だった。
黒人と白人のピアース夫妻に手を握られて、黒人と白人の間に生まれたベッシーは息を引き取った。
その後、葬式やアーカイブの手配などがどう進められたかについて語っている。
▪️ボツワナにおける差別
ベッシーが描いたボツワナに存在する差別について
▪️アフリカ文学におけるジェンダーギャップ
アフリカ文学の世界でも有名な作家はいるが、彼の中に男尊女卑の意識があったという話。
だからベッシーの作品を嫌ったという話。
▪️その他
「事実とは何か」「フィクションとは何か」
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この動画に語られていることはいずれも貴重なので改めて解説をしたいと思うが、ここではこれをピアース氏本人や関係者に見せておきたことについて書いておきたい。
ピアース氏は、この動画にいたく感動してくれたようだ。
これほどまとまった動画や発信物にまとめられたことがおそらくなかったのかもしれない。
この動画を、BTV(ボツワナ国営テレビ局)や南アのテレビ局に売ろう!君の著作権と利益は守ろう!とまで興奮したメッセージが送られてきた。
ベッシー研究者やファンにとってだけでなく、アパルトヘイトや南アの歴史、ボツワナの歴史を知る上でも重要な語りだとは思う。
ピアース氏は、これを「自分の長い人生のhigh point」だとまで言ってくれた。
日本語的には「ハイライト」だろうか。
そこまで言ってくださるなんて、こちらとしては恐縮してしまう。
ベッシーの友人トムは、相変わらずの熱量でこの動画を大絶賛し(同時に修正ポイントも厳しく指摘していたが)、ベッシー・ヘッド研究者やベッシーを知る当時の友人たちに早速シェアをしまくったようだ。
そして、彼の人生の大切な記録だと言ってくれた。
わたしの一連の発信物をトムがシェアしたことで、わたしはこれまで知らなかった当時のベッシーの知り合い・関係者と繋がることができ、彼らもわたしの動画で懐かしいトムやピアース氏の顔を見て喜んでくれている。
そしてベッシーを懐かしく思い出している。
貴重な資料という意味でもこの動画を発信することは重要だったが、関係者の心に温かい贈り物をする意味でも、何よりもピアース氏本人の大切な記録としても、大切だったのだと思うと嬉しくて涙が出る。
ところで、動画では全てカットしているのだが、ピアース氏はご病気の治療中で体がとても辛いらしい。
「俺が死にそうなところを彼女が撮ってるんだぜ(にやり)」と冗談めかして奥さんに言っていたが、実際、ひどく咳き込んだシーンが非常に多かった。
ソファで横になっているのはそのためだ。
反アパルトヘイト闘争の地下活動の記録や、ベッシー・ヘッドのことを文章にして欲しいとリクエストしてみた。彼自身の言葉で語って欲しかったからだ。
彼自身も、それはやりたいと言った。
でも、健康状態がよろしくなくて、それがどこまで現実的かは不明だ。
そういう意味では、彼の人生のこのタイミングで偶然わたしがボツワナに来て、モチュディという彼と奥さんが暮らす街まで1時間ほどかけてバスで訪れて、あまり準備もできないままにこの語りを撮影をしたことは、もしかしたらわたしが想像した何倍もの重要な意味を持ってしまったのかもしれない。
実は、この動画は30分にまとめてあるのだが、未編集素材は1時間半分くらいある。
そこにも貴重なお話は案外ある。
トムや、他の古い友人たち。いずれも70代くらいだろう。
皆がピアース氏の健康を心配している。
わたしにできることは限られているけれど、誰かの語りを撮影し、その人生をささやかながら記録に残すということは、もしかしたら思ったよりもずっと遥かに重大な任務なのかもしれない。
ベッシー・ヘッドは動画に残っていない。
だから、誰かの語りを動画で発信し続けようと思う。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
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■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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