子どもの頃から、何度も引っ越してきた。
小学校は3つ、中学校は2つ。

小6から中2まではアラスカ州アンカレジだ。

そんな引っ越しの多い生活の中で、減らしていったものもあるのだけれど、全然減らしていないんじゃない?というものも実はたくさんある。

以前、書類や本の山については別途ブログにも書いたと思うのだが、正直言うとそれとは別にガラクタみたいなものが山ほどあるのだ。

いや、ガラクタなんて言ってはいけませんね。
子どもの頃のわたしにとっては宝物だったりするのです。

母がいくつかの入れ物に集めて分けてくれていたので、今日はようやっとそれに向き合うことにした。

中身はどんなものかというと、小学生の頃から大学生頃までの色んなもの。
文具からキーホルダーから、飾り物から、謎のグッズまで。

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一つ一つを開くと、子どもの頃に大好きだったものや大切にしまっていたもの。宝物がたくさんあった。

断捨離と簡単にいうけれど、思い出のあるものというのは断捨離難易度が少し高いのが一般的だ。

改めて気づいたのが、それぞれのモノに対する気持ちの形がすべて違うということだ。

だから、子どもの頃のわたしに「これ、大好きだったね。大切だったよね」と言いながら手放せるものもあれば、どうしても手放したくないものもある。

一つ一つものの声と心の波に耳を澄ませるのは手間だけれど、そうやって過去の思いや子どもの自分に対する気持ちを大切に封印して、モノではなく記憶として心の奥にしまっておく準備をしているのかもしれない。インナーチャイルドと会話をするように。

そう思いつつ、子どもの頃から今まで、幸せな人生を生きてきたなぁと噛み締める時間でもあったようだ。
小学校時代、中学時代、高校時代、大学時代。
それぞれのわたしがいた。

たくさんの旅先のパンフレットや絵葉書の類は一気に処分できた。

ずっと捨てられなかった手紙や年賀状などは、一つずつ目を通してから処分した。
中には誰だか思い出せない方もたくさん。
わたしの人生に少しでも存在してくれてありがとう。

なかなか捨てられないのはノート類だ。

わたしが大量の文章を書くのは、子どもの頃からだ。
小学生の頃も、手紙は多いが日記のようなノート類もたくさん。
これを捨てるのは、わたしには難しかった。
明るいことを書いていても、行間には苦しい気持ちや悲しい気持ち、焦りなどが思い出せる貴重な心の中の資料だからだ。

モノをいつまでも持って歩いて生きる訳にはいかないのは重々承知だ。
でも、断捨離には「使う」「使わない」という物理的な話よりもずっと、心情的な面、つまり心の波やエネルギーをじっと見つめる作業が重要になってくるのだと思う。

これは、一つの儀式でもあるよね。

今日は、迷ってしまうものについては捨てるのを諦め、それ以外のすぐに捨てられそうなものだけを処分した。ゴミ袋たっぷり一袋分にはなったので、多くの大切な思い出を丁重に葬り、要らないものは感謝して切り捨てたと思う。

古いものは、40年近く眠っていたものたちだ。
そう考えるとすごい。

今日は、メンタル的にかなりのエネルギーを使ったので、ある程度いったところで区切りをつけてやめた。
また日を改めて、心のエネルギーがあるときにやりたいと思う。

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ちなみに、心の整理がつかなそうだったので、割といろんな品物について細切れな動画を撮りまくった。
あとで全てを編集して、アップしておこうと思う。

自分で見ていると笑えるってだけのものだけれど。



南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
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note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」

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