年末年始に両親宅で過ごす時間を作ったので、その機会に気になっていた作業に手を付けた。
母が寝室として使っている部屋のクローゼット内で大量に並んでいる自分の資料の整理(あるいは断捨離)だ。
資料の多くは、エディンバラ大学修士課程在籍中のペーパー。
なんでこんなにたくさん持って帰ってきたんだろう?と今となっては思うが、当時はきっと大切だったのだろう。←忘れたのか?
そして、書籍。
さらに、南アフリカの作家ベッシー・ヘッド関連の資料だ。
これが非常に膨大なのである。
実は自宅にも大量の文書が眠っているのだが、両親宅のクローゼットにも同じくらいの分量が残されている。
2001年にベッシー・ヘッド作品をテーマに修士論文を書いて以来、何度か国内で発表や複数の大学でのゲスト講義等の機会をいただいたものの、それらにこんな膨大な資料を使うこともなく、結局は仕事が忙しくなり長い年月の間ほとんど手つかずだったのだ。
↑ほぼ全部ベッシー・ヘッドに関する資料・論文・記事等。もちろんこれで所有しているものの半分以下です
わたしはこれらの資料ほとんどを、1998年大学4年でボツワナと南アに二か月調査に行ったときにハードコピーで入手している。
当時は今ほど色んなものがデジタル化されている時代でもないし、もちろんスマホなんてない。
データにして持ち帰るという発想もなく、ボツワナはセロウェ村のカーマ・メモリアルミュージアムというベッシー・ヘッドのアーカイブが保管されているミュージアムで、古いポンコツのコピー機をなだめすかし、おだてながら超大量コピーをしたのだ。しかも停電しまくり。大学生のわたし偉い。
そしてそれをえっちらおっちらボツワナから日本まで持ち帰ったのだからすごい。(たぶん一部は送ったのだと思うけれど)
↑このフォルダに全部ベッシー・ヘッドに関する論文が入っている。学生時代のわたしはきちんと整理してくれている
このカーマ・メモリアルミュージアムに保管されているベッシー・ヘッド・アーカイブは非常に貴重なのだ。
大部分を占めるのが、ベッシー・ヘッド本人がボツワナ(当時のベチュアナランド英国保護領)に亡命した1964年から亡くなる1986年までの22年間に書いた書簡である。
多くが世界中の友人(中には著名な作家も多く存在する)に宛てられたもので、だいたいが非常に長い。というか長い。めちゃ長い。
自分の考えていること、作品のこと、ありとあらゆるテーマについて盛りだくさんにつづられた数千通(?)に及ぶ書簡は、時に感情をあらわにし、時に作家としての重要な考えを示唆し、率直な言葉や厳しい言葉も並ぶ生々しい息遣いに溢れている。
それが何とも美しくダイレクトに感じられるのだ。
タイプライターの音と、彼女の声が今にも聞こえてきそうなくらいに。
ベッシー・ヘッド研究としても貴重な資料だが、なによりも現代社会に伝えられるべき重要なメッセージが詰め込まれたそれらの書類は、多くが研究者によって引用されるだけで、一般のひとが触れられる部分は限られている。
一部、彼女との書簡を書籍化しているひとはいるが、それを実現した主な人物は二人だけだ。つまりあと何百人分は、論文や記事等に引用されているごくわずかな文章を除いて未公開というわけだ。
何度も書いているように、わたしはベッシー・ヘッドのある長編小説を日本語に翻訳して出版するつもりだ。
だが、出版されている多くの書籍についてはまだいいのだが、それ以外にこれほどまで貴重な資料があるにもかかわらず、そのほとんどが広く公開されず(ボツワナ政府の許可を取れば見れるのではあるが)にミュージアムに眠っているというのは、現代社会においても非常にもったいないことだと思っている。
だからこそ、少しずつそれらを形にして世に出せるようにしたい。
もちろん、原文の英語でも出したいが、わたしの母国語である日本語に訳したものも世に出して、現代の日本のひとにも心に強く響くメッセージを受け取ってほしいのだ。
現在ベッシー・ヘッド・ヘリテージ・トラストがこれら文書の管理を行い、デジタル化や世界中からの問い合わせ対応を含めた様々な業務を行っている。
わたしも20数年のベッシー・ヘッド歴を経てようやくこのメンバーになれたので、今後はこのアーカイブでやっておくべき仕事を行い、今の世の中に向けて発信していくべきところを公開し、伝える仕事をしていきたい。
そのための布石として、このブログやnoteでも、引き続き少しずつ発信していこうと思っている。
両親宅でペーパーを一枚ずつ繰りながら、なんてありがたい時間なのだろうと感じた。
こんなに素晴らしい言葉たちを、わたしはコピーしながら二十数年も眠らせていただなんて信じられない。残りの人生、この大切な仕事をひとつずつ楽しんで幸せかみしめながらやっていくことが、楽しみでならない。
でも、資料は膨大。
どうするかな。
そうそう、またどこかに記事を寄稿したり、文章を連載したり、ラジオで話したり、大学で講義したり講演したり、ということができたらいい。
もちろん、出版もしたい。
楽しみすぎる。
↑1998年、大学生の自分は一生懸命カーマ・メモリアルミュージアムに保管されているBessie Head Papersの目録を手書きで作っていた。数百くらい項目ある。今ではデジタル化されています。
↑スコットランドの作家Naomi Mitchison(ナオミ・ミチソン)との往復書簡。ほかにも、Alice Walker(アリス・ウォーカー)、Paddy Kitchen(パディ・キッチン)などなど…
書簡は相手があることなので(もちろんミチソンは亡くなっているのだけれど)いちおうぼかしいれました。
↑こちらは1982年に書かれた記事の元原稿。推敲跡がある。
↑講演会の原稿。重要な考え方が盛り込まれていて、出版されていないのがびっくりなくらい。いつか公開できるようにしたい。
↑1984年に最後の大作であるボツワナの王族カーマの物語を描いた歴史小説の要約版スクリプト。この時点では出版時のタイトル"A Bewitched Crossroad"ではなく、ベッシーはこの作品を"Mother Winter"と呼んでいた。
↑2007年、ベッシー・ヘッドの生誕70周年を記念して、南アフリカとボツワナでわりと大きな規模で開催さえた「ベッシー・ヘッド・フェスト」のポスター。
この時のことは改めて書きたい。
ベッシー・ヘッド作品からの抜粋は、わたしの翻訳とコメントを添えてnoteにまとめています。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
↓更新通知が届きます
母が寝室として使っている部屋のクローゼット内で大量に並んでいる自分の資料の整理(あるいは断捨離)だ。
資料の多くは、エディンバラ大学修士課程在籍中のペーパー。
なんでこんなにたくさん持って帰ってきたんだろう?と今となっては思うが、当時はきっと大切だったのだろう。←忘れたのか?
そして、書籍。
さらに、南アフリカの作家ベッシー・ヘッド関連の資料だ。
これが非常に膨大なのである。
実は自宅にも大量の文書が眠っているのだが、両親宅のクローゼットにも同じくらいの分量が残されている。
2001年にベッシー・ヘッド作品をテーマに修士論文を書いて以来、何度か国内で発表や複数の大学でのゲスト講義等の機会をいただいたものの、それらにこんな膨大な資料を使うこともなく、結局は仕事が忙しくなり長い年月の間ほとんど手つかずだったのだ。
↑ほぼ全部ベッシー・ヘッドに関する資料・論文・記事等。もちろんこれで所有しているものの半分以下です
わたしはこれらの資料ほとんどを、1998年大学4年でボツワナと南アに二か月調査に行ったときにハードコピーで入手している。
当時は今ほど色んなものがデジタル化されている時代でもないし、もちろんスマホなんてない。
データにして持ち帰るという発想もなく、ボツワナはセロウェ村のカーマ・メモリアルミュージアムというベッシー・ヘッドのアーカイブが保管されているミュージアムで、古いポンコツのコピー機をなだめすかし、おだてながら超大量コピーをしたのだ。しかも停電しまくり。大学生のわたし偉い。
そしてそれをえっちらおっちらボツワナから日本まで持ち帰ったのだからすごい。(たぶん一部は送ったのだと思うけれど)
↑このフォルダに全部ベッシー・ヘッドに関する論文が入っている。学生時代のわたしはきちんと整理してくれている
このカーマ・メモリアルミュージアムに保管されているベッシー・ヘッド・アーカイブは非常に貴重なのだ。
大部分を占めるのが、ベッシー・ヘッド本人がボツワナ(当時のベチュアナランド英国保護領)に亡命した1964年から亡くなる1986年までの22年間に書いた書簡である。
多くが世界中の友人(中には著名な作家も多く存在する)に宛てられたもので、だいたいが非常に長い。というか長い。めちゃ長い。
自分の考えていること、作品のこと、ありとあらゆるテーマについて盛りだくさんにつづられた数千通(?)に及ぶ書簡は、時に感情をあらわにし、時に作家としての重要な考えを示唆し、率直な言葉や厳しい言葉も並ぶ生々しい息遣いに溢れている。
それが何とも美しくダイレクトに感じられるのだ。
タイプライターの音と、彼女の声が今にも聞こえてきそうなくらいに。
ベッシー・ヘッド研究としても貴重な資料だが、なによりも現代社会に伝えられるべき重要なメッセージが詰め込まれたそれらの書類は、多くが研究者によって引用されるだけで、一般のひとが触れられる部分は限られている。
一部、彼女との書簡を書籍化しているひとはいるが、それを実現した主な人物は二人だけだ。つまりあと何百人分は、論文や記事等に引用されているごくわずかな文章を除いて未公開というわけだ。
何度も書いているように、わたしはベッシー・ヘッドのある長編小説を日本語に翻訳して出版するつもりだ。
だが、出版されている多くの書籍についてはまだいいのだが、それ以外にこれほどまで貴重な資料があるにもかかわらず、そのほとんどが広く公開されず(ボツワナ政府の許可を取れば見れるのではあるが)にミュージアムに眠っているというのは、現代社会においても非常にもったいないことだと思っている。
だからこそ、少しずつそれらを形にして世に出せるようにしたい。
もちろん、原文の英語でも出したいが、わたしの母国語である日本語に訳したものも世に出して、現代の日本のひとにも心に強く響くメッセージを受け取ってほしいのだ。
現在ベッシー・ヘッド・ヘリテージ・トラストがこれら文書の管理を行い、デジタル化や世界中からの問い合わせ対応を含めた様々な業務を行っている。
わたしも20数年のベッシー・ヘッド歴を経てようやくこのメンバーになれたので、今後はこのアーカイブでやっておくべき仕事を行い、今の世の中に向けて発信していくべきところを公開し、伝える仕事をしていきたい。
そのための布石として、このブログやnoteでも、引き続き少しずつ発信していこうと思っている。
両親宅でペーパーを一枚ずつ繰りながら、なんてありがたい時間なのだろうと感じた。
こんなに素晴らしい言葉たちを、わたしはコピーしながら二十数年も眠らせていただなんて信じられない。残りの人生、この大切な仕事をひとつずつ楽しんで幸せかみしめながらやっていくことが、楽しみでならない。
でも、資料は膨大。
どうするかな。
そうそう、またどこかに記事を寄稿したり、文章を連載したり、ラジオで話したり、大学で講義したり講演したり、ということができたらいい。
もちろん、出版もしたい。
楽しみすぎる。
↑1998年、大学生の自分は一生懸命カーマ・メモリアルミュージアムに保管されているBessie Head Papersの目録を手書きで作っていた。数百くらい項目ある。今ではデジタル化されています。
↑スコットランドの作家Naomi Mitchison(ナオミ・ミチソン)との往復書簡。ほかにも、Alice Walker(アリス・ウォーカー)、Paddy Kitchen(パディ・キッチン)などなど…
書簡は相手があることなので(もちろんミチソンは亡くなっているのだけれど)いちおうぼかしいれました。
↑こちらは1982年に書かれた記事の元原稿。推敲跡がある。
↑講演会の原稿。重要な考え方が盛り込まれていて、出版されていないのがびっくりなくらい。いつか公開できるようにしたい。
↑1984年に最後の大作であるボツワナの王族カーマの物語を描いた歴史小説の要約版スクリプト。この時点では出版時のタイトル"A Bewitched Crossroad"ではなく、ベッシーはこの作品を"Mother Winter"と呼んでいた。
↑2007年、ベッシー・ヘッドの生誕70周年を記念して、南アフリカとボツワナでわりと大きな規模で開催さえた「ベッシー・ヘッド・フェスト」のポスター。
この時のことは改めて書きたい。
ベッシー・ヘッド作品からの抜粋は、わたしの翻訳とコメントを添えてnoteにまとめています。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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