「お休み」に入ってから文章を書くことがほぼなかった。
いつも大量生産マシンのごとく書き続ける自分に、今の今までそんな時期はなかったんだと思う。
そんな「お休み」がひと月半以上続き、完全に休みにしていたのがうまく働いたのだろうか。
静かなマインドの中にぽつんとした文章が浮かんできたので書く。

伊豆大島の波浮港

トラベルジャーナリストの寺田直子さんを初めて知ったのは、ぐうぜん目にした雑誌の記事だった。
『世界を旅した私が、伊豆大島に移住を決めた理由』というタイトルのその記事は、長年世界中を旅する仕事をされたのち、伊豆大島の小さな港がある波浮に拠点を構え古民家カフェ<hav cafe>を開いた経緯について、ご自身の思いがつづられた印象的な文章だった。

わたしは、このくだりにがつんと惚れてしまったのだ。
こんな素敵な生き方がしたいと強く思ったのだ。



好きな旅を重ね、好きな場所に通い、好きな人たちとつながることで新しいケミストリーが生まれ、磁場が派生する瞬間に何度も立ち会ってきた。翻せば好きではないことをそぎ落としていく行為でもあった。不要だと感じるものを少しずつ手放すことで心身は軽やかに、自分自身が見通せるようになり新鮮な発見や気づきを得ては学んできたように思う。

その時に書いた記事



世界を旅するライターの仕事を続けながら、巡り合った小さな町にカフェを開き、土地とつながっていく。こんな素敵な生き方をしているひとがいるなんて。

すっかりそのひとに惹かれたわたしは、ご著書を読み漁り、いつか波浮港のhav cafeを訪れたいと思うようになった。

そんな波浮港を、ようやく訪れることができたのだ。

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地元へ戻るひと、移住をするひと

伊豆大島の波浮港は、中心地の元町からバスで30分ほど南下した場所にある小さな港だ。
その昔は火口湖だった場所を港として切り開いた場所で、かつては遊郭が立ち並び栄えた町だったらしい。
いまでは昔懐かしい趣ある町がノスタルジックで静かな場所で、観光客も少なくはないようだ。

寺田さんは、何年もかけてこの場所に足を運び、やがて「これだ」という古民家物件に出会ったタイミングでカフェを開く。

波浮という町には、港沿いの小さな趣あるかつての商店街の名残りがある通りと、急な階段を上ったところの小さな集落があり、そこに数軒の宿と飲食店や商店が散らばっている。
海の水はきれいで、灯台がある丘に登れば海から昇る朝日と海に沈む夕日の両方が見られるそうだ。

日本の多くの地域のように、流出する人口も多いのだろう。
こじんまりとした町には、朽ち果てた空き家のようなものも少なくない。
飲食店も限られている。

その一方で、近年、波浮出身の若手がUターンして宿や飲食店を開く動きもあるようだ。

地元で注目を集めている高林商店、青とサイダー。
雰囲気のあるゲストハウス「露伴」
そして、不定期に開く「ちょい呑みガレージ波浮12」などなど…

若手の方による活動が少しずつ活発になっている様子に、こちらもわくわくする。
そんな彼らは皆、幼馴染とその家族というのだから面白い。

波浮には他の地方都市と共通する課題もある。
飲食店の不足は多くのひとが口にするチャレンジのひとつだ。

かくいうわたしも、往路で乗る予定だったジェット船が欠航して滞在スケジュールをずらしたら、軒並み飲食店が閉まっている火曜日にあたってしまい、宿の方や寺田さんにまで夕食の心配をされてしまった。
(わたしはそれはそれで致し方ないかなと思っていたが、かえって色んなひとに気を遣わせてしまうこととなってしまったようだ)

結局、夕食問題は一泊目の宿のご主人が急遽夕食を用意してくださったこと、二泊目には不定期オープンのちょい呑みガレージ波浮12さんの営業日だったこと(SNS公開はしていないので完全口コミか看板を確認する形式)で解決された。ひとの世話になりっぱなしだ。

ちなみに、二泊目に宿泊させていただいたのは趣あるゲストハウスの「露伴」さん。



結果として、地元の若手の方たちとおしゃべりする機会にも恵まれ、とても良い時間となった。

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hav cafeで会話する

寺田さんのhav cafeは、パーフェクトにバランスの取れたちょうどよい空間だった。
昔の建物の良さを大切に残す形で磨きあげ、選び抜かれたソファやテーブル、置かれたものにすべて愛情と心地よいこだわりがある。

物販スペースとは別に、世界の様々な場所から集められたアンティークな小物が、使い込まれた昔のキャビネに丁寧に並んでいる。

のんびりとくつろげる場所が限られているため、ここを訪れるお客さんは地元の方から観光客まで様々だ。
それぞれが、おいしいコーヒーと寺田さんとの会話を楽しみにしている。

わたしもまた、寺田さんには何でも喋ってしまう勢いで、ライフワークの作家ベッシー・ヘッドのこと、アフリカとの出会いのこと、翻訳出版をしたいこと、そして思うことあり「お休み」していることなどを聴いてもらうこととなった。

長年フリーランスでジャーナリストとして働いてきた寺田さんの言葉は、シャープでストレートだ。
そして生き方に無駄がない。

スーパーポジティブで、愛情にあふれている。

わたしに対しても、たくさん前向きで大切な言葉をかけてくださり、涙が出そうにうれしかった。
このひとに会いに来てよかった。
やっぱり彼女は、あの記事のままに魅力的なひとだった。

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↑寺田さんが撮ってくださった。ファンとしてはうれしすぎる。hav cafeにて。
 このタイルはシンガポールのプラナカン。ご自身で設置されたそう。あまりにも素敵。


旅と地方移住のバランス

Uターンした若いひとたちのように、生まれ育った場所がない自分は昔からどこかの場所に根を下ろすことに憧れがなくもない。

かといって新しい土地を探してそこを地元として生きていくというのにも抵抗はあった。
いつだって世界中を旅していたい自分としては、どこかひとつに決めるということが怖くもあったのだ。

そんな中、拠点づくりと移住を実現し、地域の人々とひとつずつ関係性を構築して地域に貢献し、かつ強力なブランディングと対外発信、さらには世界とつながる仕事も継続している寺田さんの生き方は、わたしの理想の先を行っている。

個人としても尊敬するが、地域にとってもこんな貴重な存在はないだろう。

実にバランスの取れた生き方。
そして、自分の好きなことを追及して、不要なものをそぎ落としていった先にある暮らしなのだろう。

関係人口としての波浮ラー

本当の意味での故郷や地元のないわたしにとっても、波浮はパーフェクトにバランスの取れた実にいい場所のように思う。

昔から、心の中にどこだかわからない小さな日本の港町という心象風景のようなものがあり、それが現実世界に登場してきたような気がして仕方がない。

ただ、わたし自身はやはり、土地に根を下ろすということができないと思う。

世界中の色んな国に、帰る場所がほしい。
いつだって世界を旅していたいのだ。

だからこそ、わたしは移住という選択肢ではなく関係人口として繋がりを続けていきたいと感じた。
移住者ではなく、波浮ラー(いま作った)として。

作家ベッシー・ヘッドへ戻る

寺田さんに自分の大切にしているライフワークのこと、作家ベッシー・ヘッドを通じてどんなことがやりたいかについて話したことで、心の中で何かが動いた気がしている。

ようやっと、会話したいひとと大切な会話をした。

しばらく、コンサルタントの仕事と同時にベッシー・ヘッド関連活動もお休みをしていた。
それが、ちょうどよいマインドと心の余白をつくったのか、いま、追い立てられるようにではなく湧き出るように、ベッシー・ヘッド活動をしたいと思えるようになった。

これまで長い年月のあいだ、叩きつけるスコールのように降りそそぐ言葉たちを体力の限り拾い集め、ただひたすら振り回されるように迷走する長い文章を書き殴り続けてきた。

でも今は、心の中で静かに溜まる湧き水が澄んだ流れに縒り合さっていくような、そのたった一筋の小川となる文章が書きたい。

少しずつ。

色んなひとと出会い、言葉を交わし、言葉を紡いでいきたい。


Pen (ペン) 「特集:新しい住みかの見つけ方」〈2021年9月号〉 [雑誌]
ペン編集部
株式会社CCCメディアハウス
2021-07-28



関連記事(この方が寺田さん)




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↑hav cafeのアフォガード


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↑露伴にて

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南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)

■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」

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