今夜は翻訳チェック作業をしている。

ずっと仕事と諸々にパンクしそうになっていて、気づけばこの大切なライフワークを2週間近くも止めていた。ライフはどこ?ってくらいに。

まだ仕事はあるのだが、居ても立っても居られなくて夜のカフェで作業を。


わたしは、南アフリカの作家ベッシー・ヘッドの長編小説のひとつを日本語で出版したくて、ずっと作業をしています。

わたしとベッシー・ヘッドについてはこちらの記事をご参照。



この作品に出会って二十数年。
いつから翻訳を始めたのかはっきりとは覚えていないけれど、少なくとも二十年近く。

もう、何度目かわからないくらい「全文の訳しなおし」をしている。

今回の訳しなおしは、もうかれこれ一年経ってしまった。
いくら仕事にダンスにと活動していても、ちょっと時間がかかり過ぎだ。

そして、翻訳ができたらどうしても見せたいひとがいる。
時間はまってくれない。

だから、心を込めて今回の翻訳しなおしを終えたら、日本語全文チェックを行って、大切なひとに見せたいと思っている。

もちろん、出版社との交渉をもう一度(もう何百回目だよ)再開する。

こんなに長い年月かけて何やってんのよ、って思うこともあるけれど、この文章に向き合っている時間が本当に心から満たされていて幸せだと思う。

作家ベッシー・ヘッドというひとに出会ってよかった。

まずは、この本の出版。
ここから先も、出版したいもの、発信したいことがたくさんある。


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もう、あと数ページなのだ。

172/183ページの最終章クライマックス。

どの文章もすべてが濃くて涙が何度も流れてしまう。
何百回と繰り返し読んだのに。


ひとつだけ、ネタバレにならないように言いたい。

ベッシーは本当に「ひとを愛する作家」だ。
それは、村の暴君である「チーフ」の描き方にも表れている。

悪事の限りを尽くした暴君が、最後の最後に静かに村人に追い詰められるときのシーンを、先出しだけど書いておく。


(村人に追い詰められ、自らの豪邸に立てこもって窓の外を見ているチーフ)



彼らの様子を見ながら、ゆっくりと大粒の涙が頬の皺を伝い落ちた。(中略)
なぜ、彼のような人間がそこに立ち、見捨てられた孤独な子どものように泣いているのかということだけは、誰に理解することもできなかった。


どんな悪党だったとしても、彼の心の中の苦しみや悲しみをこうして描き出す。彼らもまた、「人間」なのだ。
それがベッシー・ヘッド作品の何よりの魅力なのだなとつくづく思う。

この物語を、多くのわたしの国のひとに読んでほしい。

心を込めて、二十数年の時を経て、届けたいと思う。



南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)

■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」

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■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
 Rupurara Moon African Beads & Crafts
 



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