しばらく間が空いてしまったのだが、西バルカンから帰国して二週間あまり。
その後は、御多分に洩れず他案件やさまざまな雑事に奔走し、体力的に持たずにばてたり何だりしていたわけだが。

でも、前記事で書いた通り、1ヶ月余りの出張でいただいたものが確実に心に積み重なっていて、それがメンタルジャーニーを続けている感覚が続いていて、感謝の気持ちでいっぱいな気がしている。



生きているだけでもう、奇跡みたいな人生なんだなと思う。

全部詳細までは書けないかもしれないけれど、ポイントだけをブログに書き残したいなと思っている。
(というか、次に西バルカンに行くまで3ヶ月くらいしかないので、書かないとすぐ次が来ちゃう)

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5月10日(火)

まだ一カ国目のボスニア・ヘルツェゴビナ。

美しくダイナミックな岩山と緑の森と、エメラルドグリーンの水に恵まれた山道を通り、モスタルからバニャルカへと向かった。




バニャルカとは、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するスルプスカ共和国の事実上の主要都市である。

スルプスカ共和国とは、多くの人に耳慣れない名前かもしれない。
かくいうわたしもそうだった。

スルプスカ共和国とはセルビア人の国というような意味があるそうだが、現在のセルビア共和国と紛らわしいためスルプスカ共和国と呼ばれている。

詳しい話はwikiなどを参照していただきたいが、90年代のボスニア紛争を経て独立を主張していたものの、現在はボスニア・ヘルツェゴビナの構成体の一つとして存在している。

セルビア人を主体とした民族構成が特徴で、ボスニア・ヘルツェゴビナの他の地域とは雰囲気が違う。
などとわかったようなことを言えるわけもなく、とにかく政治的な関係性も複雑で社会構成も複雑。

政府機関と密接に関わる開発コンサルタントの仕事としては、とても気遣いが必要な地域だ。

そんなところに初めて来てしまった。

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↑この地域は各所に古い要塞が多く残されている。バニャルカにもある。

この地域に来て、やはり思うのはそれぞれの「民族」というよりも宗教的バックグラウンドと、それにまつわる紛争の歴史が、深く人々の心に刻まれているということだ。

もちろん、紛争が終結してからそれほど長い時間が経っていないのだから当然ではあるが、地域によって民族構成が違うということには、やはり日本人としてはピンとこないものがある。

それでも何日か過ごすうちに感じることも多い。

でも、決して部外者のわたしがわかることではないし、決めつけられるものでもない。
だから慎重に人々と接したいと思う。

スルプスカ共和国は独立を主張していただけあって、今でもその傾向が強い印象は受けた。

仕事で接するボスニア連邦の人は、「一つの国なのだから」という発言をしても、スルプスカの人は「スルプスカ共和国として、こうしたい」という発言が見られた。

これはもちろん、個人にもよるものだと思う。
単純に、だからスルプスカはこうだ、とは言えない。


ただ思ったことは、個人レベルでのアイデンティティの持ち方の違いだ。


自分が、あなたの「アイデンティティ」は何ですかと訊かれた場合に、何と答えるだろうか。
日本人?
それとも、もしかして会社名や学校名とか答えてしまったりする?(←この件については別途書きたい)

わたしがライフワークとしている敬愛する作家ベッシー・ヘッドは、南アフリカ出身の作家だ。
アパルトヘイト時代に白人の母親と黒人の父親の間に違法な出生として生を受け、孤児として生き身寄りもなかった。
ジャーナリストを経て26歳で南アフリカ政府の出国許可証(パスポートが認められず2度と帰国が許されない許可証のみ)を手にボツワナに渡った人だ。
ボツワナで22年を過ごし、48歳で亡くなる。

彼女は南アフリカ人なのか、それともボツワナ人か。

南アフリカでは、「カラード」という人種に分類された。でも、厳密な意味では「カラード」ではない。
白人でもないし黒人でもない。
政府は、彼女の帰国を許さなかった。

ボツワナ政府は何年もの間、市民権を与えず、ベッシーは難民ステータスのままだった。

(ボツワナ政府が市民権を与えたのはずっと後のこと。南ア政府が彼女の功績を認め国家勲章を与えたのは、没後何年も経ってからだった)

彼女にとって「アイデンティティ」とは一生をかけた大きなテーマだった。
作品の中には、カテゴライズされない宙ぶらりんな位置にいる主人公がたくさん描かれている。
多くが自身の経験に基づくものだ。

(わたしはこのテーマで、2001年にベッシー・ヘッドとアフリカのアイデンティティについてエディンバラ大学アフリカ研究センターで修士論文を書いている ←非公開)

話が逸れてしまったけれど、スルプスカ共和国の人たちと仕事をしていると、この「独立」への思いというか、アイデンティティの問題がいつも感じられる。
スルプスカとして、と考える傾向あるということなのだろうか。でも、それがどれほどの割合の人なのかはもちろんわからない。

仕事上の会話では、この西バルカン地域のどの国の人もにこやかに接しているけれど、でも心の奥深くのところに動いている感情をなんとなく感じてしまうのだ。

アイデンティティとは、やはり国籍や民族などわかりやすい一元的なものではないんだなと思う。

それが複雑になり、アイデンティティの拠り所となるものが不安定になればなるほど、人は複雑な感情を生み出していく。

そういうことが感じられる気がした。

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何はともあれ、わたしが関わっているのはまず最初に開発コンサルタントとしての国際協力の案件の一つにすぎない。

かといって、アイデンティティの問題のような複雑なものを刺激するようなことになってもいけない。

慎重に、心をオープンに耳を澄ませていかなければならないと思う。

でも、この一つの案件が、少しでも対象国の仲間意識を醸成し、共通のものを作り上げる一つの絆となってくれたら。
もちろん、ほんの些細なことかもしれないけれど、少しでもそんなものが形となって皆の手に残せたら。

開発コンサルタントとしてできることは限られているけれど、今、そんな立場にいること自体もわたしはありがたく思う。

彼らから教えてもらうことは、いくらでもある。
わたし自身も、心の中にベールのように大切なものを一枚一枚重ねていきたいと願うのだ。

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(仕事の写真は無し)


南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)

■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」

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