大学生のころ、熱くていつも暴走しまくりだった。
やりたいことや興味関心の幅が広すぎて、学部時代すでに手が回っていなかった。
実は高校時代から社会福祉の世界にずっと関心があったのだが、大学受験では社会福祉系の学部ではなく、世界の福祉を学ぶためにあえて国際学部を選んだ。
ここからして多くのひとの発想と違うんだと思う。もちろん、いいか悪いかではなく。
そんなわたしが、アフリカ研究のゼミを選択したのはまったくの偶然とカンだった。
何せ、個人的な熱意を注ぐテーマが多すぎて、肝心の国際学部でのゼミの方はかえって興味がわかなかったのだ。
国際学部といえば、海外留学したり、何やら華やかでキラキラしたイメージ。
多くのゼミが二週間ほどの海外での校外実習を売りにして人気を博している中、わたしは逆に海外へ行きたい思いが強すぎてどのゼミもいやだなと思っていた。(!)
行きたい場所とテーマは、自分で決めたいに決まっているし、ひとと一緒に行くなんてありえないと思っていたからだ。
それで偶然出会ったゼミがアフリカ研究。
テーマはアフリカに関わることなら自由で、決められた校外実習はない。
これまでまったく関わったこともなかったアフリカ研究の道に進むことになる。
そして、1997年、大学3年生の時に南アフリカの作家ベッシー・ヘッドというひとに惚れ込み、それ以来彼女のことがライフワークとなった。
小さなころからずっと、学校ではうまくいかない子だった。
学校のルール、決まり、みんなと同じにすること。
そういうのがすべて苦手で人一倍手間取ったし、なかなか考え方が理解されることはなく、多くの悲しい思いをした。学校には、ずっと馴染めなかった。
大学三年生でアフリカに目覚めてから、アフリカに行くことばかり考えていたわたしは、今度は就職活動というものにまるで馴染むことができなかった。
今でも思うのだが、エントリーシートという枠にはまったもので、果たしてわたしの何がわかってもらえるのかまるで理解できなかった。
でも、大学の雰囲気といえば就職活動をしない者は置いてけぼりを食らうんじゃないかというくらい、就活が当たり前。
就活ノウハウとか、自己分析とか、自己PRとか、まるで興味がなかった。
生きることに熱すぎたのだ。
会社向けじゃない。
そんなわたしは、大学4年生のときに2か月アフリカに行った。
それ自体、人生にとって非常に重要な旅だったけれど、大学生という意味ではダメすぎた。
単位もぎりぎりだったし就職活動なんてまったく興味なく適当に何件か最低限興味はありそうな会社(でも行きたい会社はまるで皆無だった)に気のないエントリーシートを出していた。
就活への熱はゼロだった。
案の定、何とか単位ぎりぎりで卒業できたものの、もちろん内定は一つもなかった。
普通のひとならここで絶望するか人生諦めるのかもしれないけれど、わたし自身は何というか「まあ、残念だな」くらいだった。
あのような就活で内定が決まったとしても、そんな会社で働きたいとは思わなかった。
そして、内定もないまま卒業し4月を迎える。
収入がなくては生きていけないので、都内のITベンチャー企業の事務アシスタントのアルバイトを見つけ、そこで一年ほど働いた。
仕事は、正直言ってつらかった。
社長とわたしだけで、あとは在宅などの契約のひと。新卒で何も知らないまま、社長はずっと営業周りでわたしひとりぽつんとオフィスに座っている。
ほとんど前任者から引き継ぎもなく、色々教えてもらえるはずもなく、失敗ばかりしてきつい日々を過ごした。一分でも早く辞めたいと毎日ずっとそればかり思っていた。
当時のわたしは、大学院へ行くという新たな夢に向かって夢中だった。
一年後に仕事を辞め、大学院はスコットランドのエディンバラ大学へ。
これもまた、アフリカ研究センターというところで、学際的なテーマを扱うところだった。
わたしは、「自由に選べ」というのが大好きなのだ。
就職活動から理想のキャリアパスまで、多くの情報を仕入れてプランを立て、きちんと世間一般に言われている必要な準備をして順風満帆に生きていくひとも大勢いる。
国連で働きたいとか、国際NGOの仕事がしたいとか、色んな理想を描いて。
それは、素晴らしいことだろうと思う。
国連では国連でしかできないことがあるし、どこの組織でもそうだ。
それを目指すためにやるべきことというのもある。
でも。
子どものころから学校に馴染めなかったわたしは、世間一般に言われている「決まったやり方」にいつも疑問を抱いて生きていた。
選ぶことができなかった。
だって。だって。
もし、その道に進んでそこで気が変わったらどうするの?
もし、自分が思い描いた理想が、その会社や組織ではまるで違っていたら?
どうして、その世界に入る前にその組織で「やりたいこと」がわかるの?本当にできるかどうかなんてわからないじゃない?
昔からそんなことを思っていたし、きっと今でも思っている。
たぶん、高い理想を描いて優等生らしく「やるべきこと」を準備して順風満帆に進んできたひとが、その「理想の組織」で理想の人生ではないことに苦しんでいる様子を多く見てきたからというのもあると思う。
優等生ではないわたしには端からできないことをやっているひとたちはすごいと思う。
でも、蓋を開けてみれば自分が若いころに思い描いていた理想の人生なんて、知識と経験もないまま膨らんだ誰かの話に基づく妄想か理想論なのかもしれない。
学校みたいな社会にフィットしないわたしの人生を、皆にお勧めするわけではない。
でも、優等生的にあれこれ準備しても、結局理想と違って行き詰って苦しむくらいなら、最初から自分の興味関心に向かって突っ走っていった方が、たとえ壁にぶつかったとしても、気持ちはずいぶん楽なんじゃないだろうか。
就職活動という社会が(それも「日本社会」が)決めたルールに基づく「成功」をできなかった学生さんが、自らの命を絶つというような話まで聞くと、本当に心から悲しい。
就職活動なんて、数多くある人生のイベントのほんの一部に過ぎない。
やってもいいし、やらなくてもいい。ダメでももちろん人生が終わるわけではないし、むしろわたしのようにちょっと苦労はしたけど、結果として大きく進んだってこともある。
作家ベッシー・ヘッドのことを研究するというのは、アフリカとの関わりの中のほんの一部でしかない。
新卒でアルバイトをしたITベンチャーの社長(30代)が、「アフリカなんて金にならないよねぇ」と鼻で笑った1999年から20数年。
いま、わたしはいちおうアフリカに関わる国際協力の世界で開発コンサルタントの仕事をしている。
そして、本業はベッシー・ヘッド研究だ。
今では、ボツワナのベッシー・ヘッド・ヘリテージ・トラストの仕事もするようになった。
こちらの記事にも少し書いた通りだ。
だから。
もし、新年度ということで「理想」とは違う道に進まなければならなかったことで落ち込んでいるひとがいるのだとしたら。
そんなことは、心配する必要もないってことです。
それは、本当に自分にとって理想じゃなかったかもしれないし、自分の知らないもっといい世界が絶対に見つかるはず。
順調に優等生キャリアを歩んだわたしではないけれど、こんな生き方が誰かの背中をちょっとだけ押すことになったら嬉しいかなと思うよ。
終わり。

南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
==
■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト



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やりたいことや興味関心の幅が広すぎて、学部時代すでに手が回っていなかった。
実は高校時代から社会福祉の世界にずっと関心があったのだが、大学受験では社会福祉系の学部ではなく、世界の福祉を学ぶためにあえて国際学部を選んだ。
ここからして多くのひとの発想と違うんだと思う。もちろん、いいか悪いかではなく。
そんなわたしが、アフリカ研究のゼミを選択したのはまったくの偶然とカンだった。
何せ、個人的な熱意を注ぐテーマが多すぎて、肝心の国際学部でのゼミの方はかえって興味がわかなかったのだ。
国際学部といえば、海外留学したり、何やら華やかでキラキラしたイメージ。
多くのゼミが二週間ほどの海外での校外実習を売りにして人気を博している中、わたしは逆に海外へ行きたい思いが強すぎてどのゼミもいやだなと思っていた。(!)
行きたい場所とテーマは、自分で決めたいに決まっているし、ひとと一緒に行くなんてありえないと思っていたからだ。
それで偶然出会ったゼミがアフリカ研究。
テーマはアフリカに関わることなら自由で、決められた校外実習はない。
これまでまったく関わったこともなかったアフリカ研究の道に進むことになる。
そして、1997年、大学3年生の時に南アフリカの作家ベッシー・ヘッドというひとに惚れ込み、それ以来彼女のことがライフワークとなった。
小さなころからずっと、学校ではうまくいかない子だった。
学校のルール、決まり、みんなと同じにすること。
そういうのがすべて苦手で人一倍手間取ったし、なかなか考え方が理解されることはなく、多くの悲しい思いをした。学校には、ずっと馴染めなかった。
大学三年生でアフリカに目覚めてから、アフリカに行くことばかり考えていたわたしは、今度は就職活動というものにまるで馴染むことができなかった。
今でも思うのだが、エントリーシートという枠にはまったもので、果たしてわたしの何がわかってもらえるのかまるで理解できなかった。
でも、大学の雰囲気といえば就職活動をしない者は置いてけぼりを食らうんじゃないかというくらい、就活が当たり前。
就活ノウハウとか、自己分析とか、自己PRとか、まるで興味がなかった。
生きることに熱すぎたのだ。
会社向けじゃない。
そんなわたしは、大学4年生のときに2か月アフリカに行った。
それ自体、人生にとって非常に重要な旅だったけれど、大学生という意味ではダメすぎた。
単位もぎりぎりだったし就職活動なんてまったく興味なく適当に何件か最低限興味はありそうな会社(でも行きたい会社はまるで皆無だった)に気のないエントリーシートを出していた。
就活への熱はゼロだった。
案の定、何とか単位ぎりぎりで卒業できたものの、もちろん内定は一つもなかった。
普通のひとならここで絶望するか人生諦めるのかもしれないけれど、わたし自身は何というか「まあ、残念だな」くらいだった。
あのような就活で内定が決まったとしても、そんな会社で働きたいとは思わなかった。
そして、内定もないまま卒業し4月を迎える。
収入がなくては生きていけないので、都内のITベンチャー企業の事務アシスタントのアルバイトを見つけ、そこで一年ほど働いた。
仕事は、正直言ってつらかった。
社長とわたしだけで、あとは在宅などの契約のひと。新卒で何も知らないまま、社長はずっと営業周りでわたしひとりぽつんとオフィスに座っている。
ほとんど前任者から引き継ぎもなく、色々教えてもらえるはずもなく、失敗ばかりしてきつい日々を過ごした。一分でも早く辞めたいと毎日ずっとそればかり思っていた。
当時のわたしは、大学院へ行くという新たな夢に向かって夢中だった。
一年後に仕事を辞め、大学院はスコットランドのエディンバラ大学へ。
これもまた、アフリカ研究センターというところで、学際的なテーマを扱うところだった。
わたしは、「自由に選べ」というのが大好きなのだ。
就職活動から理想のキャリアパスまで、多くの情報を仕入れてプランを立て、きちんと世間一般に言われている必要な準備をして順風満帆に生きていくひとも大勢いる。
国連で働きたいとか、国際NGOの仕事がしたいとか、色んな理想を描いて。
それは、素晴らしいことだろうと思う。
国連では国連でしかできないことがあるし、どこの組織でもそうだ。
それを目指すためにやるべきことというのもある。
でも。
子どものころから学校に馴染めなかったわたしは、世間一般に言われている「決まったやり方」にいつも疑問を抱いて生きていた。
選ぶことができなかった。
だって。だって。
もし、その道に進んでそこで気が変わったらどうするの?
もし、自分が思い描いた理想が、その会社や組織ではまるで違っていたら?
どうして、その世界に入る前にその組織で「やりたいこと」がわかるの?本当にできるかどうかなんてわからないじゃない?
昔からそんなことを思っていたし、きっと今でも思っている。
たぶん、高い理想を描いて優等生らしく「やるべきこと」を準備して順風満帆に進んできたひとが、その「理想の組織」で理想の人生ではないことに苦しんでいる様子を多く見てきたからというのもあると思う。
優等生ではないわたしには端からできないことをやっているひとたちはすごいと思う。
でも、蓋を開けてみれば自分が若いころに思い描いていた理想の人生なんて、知識と経験もないまま膨らんだ誰かの話に基づく妄想か理想論なのかもしれない。
学校みたいな社会にフィットしないわたしの人生を、皆にお勧めするわけではない。
でも、優等生的にあれこれ準備しても、結局理想と違って行き詰って苦しむくらいなら、最初から自分の興味関心に向かって突っ走っていった方が、たとえ壁にぶつかったとしても、気持ちはずいぶん楽なんじゃないだろうか。
就職活動という社会が(それも「日本社会」が)決めたルールに基づく「成功」をできなかった学生さんが、自らの命を絶つというような話まで聞くと、本当に心から悲しい。
就職活動なんて、数多くある人生のイベントのほんの一部に過ぎない。
やってもいいし、やらなくてもいい。ダメでももちろん人生が終わるわけではないし、むしろわたしのようにちょっと苦労はしたけど、結果として大きく進んだってこともある。
作家ベッシー・ヘッドのことを研究するというのは、アフリカとの関わりの中のほんの一部でしかない。
新卒でアルバイトをしたITベンチャーの社長(30代)が、「アフリカなんて金にならないよねぇ」と鼻で笑った1999年から20数年。
いま、わたしはいちおうアフリカに関わる国際協力の世界で開発コンサルタントの仕事をしている。
そして、本業はベッシー・ヘッド研究だ。
今では、ボツワナのベッシー・ヘッド・ヘリテージ・トラストの仕事もするようになった。
こちらの記事にも少し書いた通りだ。
だから。
もし、新年度ということで「理想」とは違う道に進まなければならなかったことで落ち込んでいるひとがいるのだとしたら。
そんなことは、心配する必要もないってことです。
それは、本当に自分にとって理想じゃなかったかもしれないし、自分の知らないもっといい世界が絶対に見つかるはず。
順調に優等生キャリアを歩んだわたしではないけれど、こんな生き方が誰かの背中をちょっとだけ押すことになったら嬉しいかなと思うよ。
終わり。

南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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