連休中、両親宅へ。
行く度にクローゼットで自分の古い荷物を少しずつ整理することにしているので、今回書類の整理の続きを行う。

学生時代の古い書類からまだまだ山積みになっているものを掘り進めていくと、過去の自分が作成した大量のベッシー・ヘッド関連の資料が出てきた。

わたしの作家ベッシー・ヘッド研究歴は、この記事にも書いている通りずいぶん長くなり、もう25年になる。



その間、多くの形で発表、執筆などを行ってきたのだが、昨日発見された自分作成の書類は:

・エディンバラ大学の修士論文
・大学等でのゲスト講義資料
・勉強会での発表資料
・その他、配布用の参考資料

…などであった。

昔はあまりネット上で発信するツールもなかったし、そもそもインターネットなんてまだほとんどアフリカ情報がない時代。

これらの資料も、講義や勉強会の場でペーパーとしてその時に配られたのみなのだ。
でも、もったいないのでブログに記録を置いておく。

 学部生時代のゼミの論文作成方針(1997年)

ベッシー・ヘッド研究者としての第一歩を踏み始めたころ。大学生。
このころはまだボツワナに行く前だ。
卒業論文で二転三転迷ったけど、結局ベッシー・ヘッドというひとの作品を通して、アパルトヘイトや政治性について書こうと決めたころだ。
「アパルトヘイトと文学」というテーマの中でベッシー・ヘッド作品を扱っている。
このペーパーの初々しさよ。

そして、25年後の今でもまだこの作家を愛しているとは夢にも思っていなかった。

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 エディンバラ大学アフリカ研究センター修士論文(2001年)

わたしは文学研究者ではなく、大学院も社会科学系でアフリカ地域研究の学際的なコースだった。
だから、ベッシーについて修士論文を書く気はなかったのだが、結局色々考えて自分のいちばん大切なテーマにしようと思って、歴史とアイデンティティについて作家ベッシー・ヘッドを例として書いた。

あくまで「文学研究」ではないスタンス。

ここで、フェミニズムの文脈から解釈されがちなベッシー・ヘッドが自ら抱く反発の理由についても述べている。この論点は重要だが、わたしはあまり公開されたところで述べる機会がなかった。

そして、この修士論文、もうずいぶん古くなってしまったので気持ち的には非公開にさせていただきたい。
でも当時のわたしの頑張りは大切に受け止める。

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 プレゼン資料(??年)

タイトルページがなくて、もはやどこで使った資料か思い出せないプレゼン資料。
作家ベッシー・ヘッドを、彼女が実際に関わった農村開発という視点から紹介している。
こういう視点は、学部生のときから開発に関心があって勉強してきた自分は大切にしたいと思っていたので、このプレゼンはいい感じだなと思う。(若干話を広げすぎだが)
写真も多くていい。

今では国際協力の実務をしているが、この開発とベッシー・ヘッド作品の視点は今でも重視している。
文学研究者とは一線を画すものだと思っている。

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右上:ベッシー・ヘッドの自宅(Rain Clouds)
真ん中:私が撮影したベッシーの息子ハワード
中段右:ベッシーのライティングデスク
左下:カーマ・メモリアルミュージアム
真ん中下:研究者用の宿泊ハット
右下:ミュージアムのベッシー・ヘッドアーカイブ


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左上:ベッシー・ヘッド資料の閲覧室
真ん中上:ベッシーのノートや手帳類
右上:ベッシーのお墓にて、ハワード(大学生のわたしが撮影)
真ん中下:ボツワナ大学。ベッシー・ヘッド研究者にお世話になった。


 大学ゲスト講義資料・勉強会発表資料

お世話になっている先生方にお声がけいただいて、明治学院大学、日大、龍谷大学などでゲスト講義をさせていただいたときの資料の残り。

もはやどれがどこの資料かわからないものがほとんど。

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↓ベッシーの経歴と南アの歴史を対比している。
右は『マル』という作品について解説している。人物相関図まで書いている自分に驚いた。そんなことすっかりきれいに忘れていました。

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↓類似資料。右側がベッシー作品をだいたい網羅している。

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↓勉強会(アフリカセミナー)発表資料。いいね!←自画自賛

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↓左側にベッシー・ヘッドが書いた作品からの引用文がある。こんな形で配ってもほとんど誰にも届かないと思うけれど、今ではこれがnoteという形で発信できることに感動。

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↓ベッシー・ヘッド作品の引用はいまこの形に。



↓こちらはさらに引用を丁寧に切り貼りしてコピーしている。すごい!これ配っても全部読んでもらえないかもだけど、いまではnoteに載せられる

しかも、このコピーには出版されていないベッシー・ヘッドの手紙の一部コピーもあり、実は非常に貴重な資料なのです。これはボツワナはセロウェ村のアーカイブを閲覧したひとだけが見られます。

(将来的にはこの未公開のものも、出版という形にしたいと考えているので、そのためのプランはあります)

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ベッシー・ヘッド歴25年とはいえ、2005年のジンバブエ赴任以降仕事が忙しくなったこともあり、ほとんど研究者としての進展もなく、講義・講演の機会もあまりなかったんですよね。

その後は、ベッシー・ヘッドのある長編小説を日本語で出版したいと思って、翻訳作業を細々と続け、翻訳スクールにも通ったりしていました。

そうして十数年の時が流れてしまい、今に至っています。

だから、こんなに一生懸命に資料を作って発表をして、ということを繰り返したのをすっかり忘れていました。

クローゼットの中の古い資料を掘り出しながら、

「えっ!!この資料いいじゃん!!
「こんないい資料あるじゃないの〜!!!!

と大興奮していたら、それを見ていた母が「・・・・覚えてないの?Σ(´д`;)」と微妙な表情で引いてました(笑)


長い年月の中で、とくに二十代のころは強い焦りもあったんだと思います。
自分がやっていること、伝えたいことをまとめなければというプレッシャーを自分自身にかけていた。

それで、こんなに色んな資料まで作成していたんですよね。


いまでは、年齢も40代半ばになり、仕事の経験もそれなりに人生経験も積んできました。

そんな中で生きる余裕がでてきたのかもしれません。
本当に作家ベッシー・ヘッドというひとを愛するようになってきたような気もしています。


でも、このときのただ突っ走るような熱い思いを忘れてはいけないなと思いました。

よく、「インナーチャイルド」と言いますが、私の場合チャイルドではありませんが、この20代のときの熱い塊みたいな自分を大切にすべきなんだろうと改めて思います。

とにかくすごかったんですよね、当時は。

その思いを、今のわたしがきちんと受け止めて次の形にしてあげる。
あのころのわたしに向き合ってあげる。

そして、今この年齢でこの時代だからこそできることがたくさん増えてきた。

その大切さに改めて気づいた次第です。


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↑これはわたしが大学当時に収集したベッシー・ヘッドに関する論文や記事のコピーのほんの一部。
ええ、ほんの一部です。

本人は1986年に亡くなっていますが、今でもまだ論文や記事、新版や翻訳版などが出され続けている驚異的な作家です。


というわけで、今日もせっせとベッシー・ヘッド作品の翻訳出版目指して、翻訳のチェックに勤しみたいと思います。


南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)

■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」

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■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
 Rupurara Moon African Beads & Crafts
 



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