戦争がはじまり、犠牲者がすでに多く出てウクライナを逃れようとしているひとが溢れかえっているという報道に心が痛む。
武力により、人の命を奪うことや生活を破壊することはいつの時代でも許されないことだ。
だが、「戦争が始まった」というけれど、その戦争とは何なのだろうか。
反戦を叫ぶのはとても重要だ。
でも、ウクライナの戦争となった途端、これまでアフリカ各地やアフガニスタンやイラクやシリア、世界中の様々なところで無数の命が奪われ続けたことに対して声を上げてこなかったひとたちが、急に声を上げ始めるのを見て、どこか悲しい気持ちになるのも事実だ。
ヨーロッパでのテロもそうだ。
テロは許されることではないし、多くの犠牲者が出ている。
でも、世界の他の地域では何が起きていた?
知ろうとしなければ、知らないままなのだ。
わたしが現在滞在して、PCR陽性が続いて出国もできずに一か月以上もいる羽目になったここセルビアという国だが、ご存知の通り旧ユーゴスラビア紛争を経験してきた国だ。
バルカン地域の紛争は複雑でなかなか理解するのは容易ではないと思うが、少なくとも90年代にリアルな戦争を経験してきた何人かの普通のセルビア人と会話し、印象的な話があった。
例えばベオグラードは、1999年アライド・フォース作戦により空爆を受けている。
また、ユーゴスラビア紛争では空爆のみならず虐殺、レイプ、「民族浄化」(定義は置いておいて)がおき、コソボでのアルバニア系人口(イスラム教徒が多い)の独立を認めないセルビア人という構造が、紛争の要因のひとつとなっている。
特定の民族といっても、地続きの限られた地域に長い年月暮らしてきたひとびとだ。
線引きは困難に決まっている。家族や親族も散らばっているだろう。
でも、そんな中、空爆によって殺される多くのひとは何の罪もない一般市民だ。
セルビア人のあるひとと話をしていて、こんなことを聞いた。
彼女が、仕事関係のあるアメリカ人女性と話したとき、そのアメリカ人女性は「可哀そうな米兵たちは〇千人も海外の戦争で犠牲になった」とセルビア人のそのひとに話したそうだ。
その純粋な無知の罪深さたるや、と思う。
セルビア人のそのひとも、怒りで絶句してしまったそうだ。
もちろん、米兵だって誰だって、失われていい命なんてない。
でも、その〇千人の数以上に、旧ユーゴスラビアはもちろん世界各地で何倍もの一般市民の命が奪われている。
そして、「犠牲者」というのは数じゃない。
あなたの家族であり、友人であり、親戚なのだ。ひとり残らず名前と人生があるのだ。
それを、仮にも旧ユーゴスラビアのひとに向かって、可哀そうな米兵とどうして言えるだろう。
その前後に、米兵以外の無数の犠牲者について言及があったのならともかく。
これが、歴史認識なのだと思う。
わたしの経験はこの記事に書いた通りだ。
ウクライナの戦争に関する日本での一般のリアクションのなかには、まるで第二次世界大戦後初めて戦争が始まった、人が殺されたかのような言い方すら見られる。
でも、これまで平和だったときってあっただろうか。
「平和」の定義とは、「戦争がない状態」ではない。
戦争でなくても、人が無慈悲に殺され、生活を脅かされ難民となり、貧困に苦しむ経済構造、人権を踏みにじる社会構造がある限り、それは「平和」ではないのだ。
こんなときだからこそ、ウクライナがウクライナが、だけではなくて、このことを強く言いたいとわたしは思っている。

ベオグラード要塞公園からの眺め。
要塞というのも、もとは戦争のために作られたものだ。歴史が刻まれている。
そういうものを間近に見ないと、なかなか理解は進まないだろう。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト



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武力により、人の命を奪うことや生活を破壊することはいつの時代でも許されないことだ。
だが、「戦争が始まった」というけれど、その戦争とは何なのだろうか。
反戦を叫ぶのはとても重要だ。
でも、ウクライナの戦争となった途端、これまでアフリカ各地やアフガニスタンやイラクやシリア、世界中の様々なところで無数の命が奪われ続けたことに対して声を上げてこなかったひとたちが、急に声を上げ始めるのを見て、どこか悲しい気持ちになるのも事実だ。
ヨーロッパでのテロもそうだ。
テロは許されることではないし、多くの犠牲者が出ている。
でも、世界の他の地域では何が起きていた?
知ろうとしなければ、知らないままなのだ。
わたしが現在滞在して、PCR陽性が続いて出国もできずに一か月以上もいる羽目になったここセルビアという国だが、ご存知の通り旧ユーゴスラビア紛争を経験してきた国だ。
バルカン地域の紛争は複雑でなかなか理解するのは容易ではないと思うが、少なくとも90年代にリアルな戦争を経験してきた何人かの普通のセルビア人と会話し、印象的な話があった。
例えばベオグラードは、1999年アライド・フォース作戦により空爆を受けている。
また、ユーゴスラビア紛争では空爆のみならず虐殺、レイプ、「民族浄化」(定義は置いておいて)がおき、コソボでのアルバニア系人口(イスラム教徒が多い)の独立を認めないセルビア人という構造が、紛争の要因のひとつとなっている。
特定の民族といっても、地続きの限られた地域に長い年月暮らしてきたひとびとだ。
線引きは困難に決まっている。家族や親族も散らばっているだろう。
でも、そんな中、空爆によって殺される多くのひとは何の罪もない一般市民だ。
セルビア人のあるひとと話をしていて、こんなことを聞いた。
彼女が、仕事関係のあるアメリカ人女性と話したとき、そのアメリカ人女性は「可哀そうな米兵たちは〇千人も海外の戦争で犠牲になった」とセルビア人のそのひとに話したそうだ。
その純粋な無知の罪深さたるや、と思う。
セルビア人のそのひとも、怒りで絶句してしまったそうだ。
もちろん、米兵だって誰だって、失われていい命なんてない。
でも、その〇千人の数以上に、旧ユーゴスラビアはもちろん世界各地で何倍もの一般市民の命が奪われている。
そして、「犠牲者」というのは数じゃない。
あなたの家族であり、友人であり、親戚なのだ。ひとり残らず名前と人生があるのだ。
それを、仮にも旧ユーゴスラビアのひとに向かって、可哀そうな米兵とどうして言えるだろう。
その前後に、米兵以外の無数の犠牲者について言及があったのならともかく。
これが、歴史認識なのだと思う。
わたしの経験はこの記事に書いた通りだ。
ウクライナの戦争に関する日本での一般のリアクションのなかには、まるで第二次世界大戦後初めて戦争が始まった、人が殺されたかのような言い方すら見られる。
でも、これまで平和だったときってあっただろうか。
「平和」の定義とは、「戦争がない状態」ではない。
戦争でなくても、人が無慈悲に殺され、生活を脅かされ難民となり、貧困に苦しむ経済構造、人権を踏みにじる社会構造がある限り、それは「平和」ではないのだ。
こんなときだからこそ、ウクライナがウクライナが、だけではなくて、このことを強く言いたいとわたしは思っている。

ベオグラード要塞公園からの眺め。
要塞というのも、もとは戦争のために作られたものだ。歴史が刻まれている。
そういうものを間近に見ないと、なかなか理解は進まないだろう。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
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