前記事の通り出張先でコロナ陽性になり、しかももう一度陽性になって二回目のホテル隔離に陥るという何ともはやな渦中で。
思いが断片となってうずまき、頭がくらくらして文章やアウトプットとしてまとめられるエネルギーもないまま熱にうなされた感じになったとき。
どうするかというとインプットだ。
何も考えずに、インプットだ。
ということで、Kindleよありがとう。
こういうとき、部屋から一歩も出ずに本が買えるのである。
もちろん紙の本は大好きだが、Kindleは大活躍だ。
以前から、川内有緒さんの本は好きでこの本で4冊目。
テーマを掘り下げていくところとか、テンポとか関心のポイントなど、波長がとても合うので大変楽しく読ませていただいている。
国際協力やコンサルタントというバックグラウンドも共通しているところが多いからかな。
本書は、タイトルの通り目が見えない白鳥さんという方と各地の美術館を巡って、一緒に鑑賞するという話を書いたものだ。
もちろんともに歩きながら美術作品を言葉で説明していくということなのだが、単純に「それによってたくさんの気づきがありました」ということにはとどまらない。
さらに、白鳥さんという方はご自身で様々な活動を主催され、さらには写真も撮る。
白鳥さんや他の方とも時間と会話を重ね、読者もまた似たような体験をさせてもらった気分になる。
川内有緒さんのエッセイはいつも、ご自身の心の中も深く分析していくような部分があり、ここでも自分の中にある先入観、思い込み、偏見のようなものに向き合っていくところが、心に刺さる。
わたし自身の中にも、気づかないうちにそういうものはあるんだろうなと思う。
この本を読みながら思い出したことが二つある。
一つは、大学のときの師匠の話。(彼も、有緒さんみたいに元国連職員だった)
何かと型破りではじけまくっている彼は、あるときお友だち(?)の盲目の方に「〇〇さん、バドミントンしようよ!」と声をかけたそうだ。
その方は、もちろんバドミントンをやったこともなく、プレイしてもうまくできるわけではないのだが、それでも初めてのバドミントンは、「とっても楽しかった!」と興奮して言ってくれたそうだ。
何せ、目の見えない人をバドミントンに誘うようなひとってそれまでいなかったから嬉しかったようなのだ。
それからもう一つはわたし自身の思い出。
エディンバラ大学で修士課程をやっていた2000年ごろ、メールマガジンを始めた。
アフリカのことや大学院のことなどつれづれに書いていたが、あるとき全盲(確かそうだったと思う)で読み上げの機械を使ってメルマガを読んでくださっているという方から、感想のメールをいただいたことがある。
どんな感想だったか忘れたけれど、そうやってわたしのメルマガを音声で読んで(聞いて)くださるということにとても感動した。なんてありがたいんだろうと思った。
有緒さんのエッセイはわたしにとって本当にしっくりくるというか、いつも私の中の様々なストーリーを思い起こさせてくれる。
わたし自身も、こうやってひとつひとつのテーマをとことん突き詰めて、どこかに提出する報告書ではなくてエッセイを取りまとめたいなといつも思う。
あ、あといつかちゃんとしたラジオ(ネットの誰でもできるサービスじゃなく)で番組を持って語り掛けるようなのをやりたいなって、いつも思う。
この本をベッドの中で一気読みしたことで、コロナ陽性のことも、色んなこともこうしてようやっと書く気になれた。
そしてまた、ライフワークの作家ベッシー・ヘッド活動に向き合いたいと思う。
木曜日には、セルビアを出られるといいな。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
==
■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
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思いが断片となってうずまき、頭がくらくらして文章やアウトプットとしてまとめられるエネルギーもないまま熱にうなされた感じになったとき。
どうするかというとインプットだ。
何も考えずに、インプットだ。
ということで、Kindleよありがとう。
こういうとき、部屋から一歩も出ずに本が買えるのである。
もちろん紙の本は大好きだが、Kindleは大活躍だ。
以前から、川内有緒さんの本は好きでこの本で4冊目。
テーマを掘り下げていくところとか、テンポとか関心のポイントなど、波長がとても合うので大変楽しく読ませていただいている。
国際協力やコンサルタントというバックグラウンドも共通しているところが多いからかな。
本書は、タイトルの通り目が見えない白鳥さんという方と各地の美術館を巡って、一緒に鑑賞するという話を書いたものだ。
もちろんともに歩きながら美術作品を言葉で説明していくということなのだが、単純に「それによってたくさんの気づきがありました」ということにはとどまらない。
さらに、白鳥さんという方はご自身で様々な活動を主催され、さらには写真も撮る。
白鳥さんや他の方とも時間と会話を重ね、読者もまた似たような体験をさせてもらった気分になる。
川内有緒さんのエッセイはいつも、ご自身の心の中も深く分析していくような部分があり、ここでも自分の中にある先入観、思い込み、偏見のようなものに向き合っていくところが、心に刺さる。
わたし自身の中にも、気づかないうちにそういうものはあるんだろうなと思う。
この本を読みながら思い出したことが二つある。
一つは、大学のときの師匠の話。(彼も、有緒さんみたいに元国連職員だった)
何かと型破りではじけまくっている彼は、あるときお友だち(?)の盲目の方に「〇〇さん、バドミントンしようよ!」と声をかけたそうだ。
その方は、もちろんバドミントンをやったこともなく、プレイしてもうまくできるわけではないのだが、それでも初めてのバドミントンは、「とっても楽しかった!」と興奮して言ってくれたそうだ。
何せ、目の見えない人をバドミントンに誘うようなひとってそれまでいなかったから嬉しかったようなのだ。
それからもう一つはわたし自身の思い出。
エディンバラ大学で修士課程をやっていた2000年ごろ、メールマガジンを始めた。
アフリカのことや大学院のことなどつれづれに書いていたが、あるとき全盲(確かそうだったと思う)で読み上げの機械を使ってメルマガを読んでくださっているという方から、感想のメールをいただいたことがある。
どんな感想だったか忘れたけれど、そうやってわたしのメルマガを音声で読んで(聞いて)くださるということにとても感動した。なんてありがたいんだろうと思った。
有緒さんのエッセイはわたしにとって本当にしっくりくるというか、いつも私の中の様々なストーリーを思い起こさせてくれる。
わたし自身も、こうやってひとつひとつのテーマをとことん突き詰めて、どこかに提出する報告書ではなくてエッセイを取りまとめたいなといつも思う。
あ、あといつかちゃんとしたラジオ(ネットの誰でもできるサービスじゃなく)で番組を持って語り掛けるようなのをやりたいなって、いつも思う。
この本をベッドの中で一気読みしたことで、コロナ陽性のことも、色んなこともこうしてようやっと書く気になれた。
そしてまた、ライフワークの作家ベッシー・ヘッド活動に向き合いたいと思う。
木曜日には、セルビアを出られるといいな。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
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■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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