キャリアカウンセラーさんに、自分の仕事のこと、やりたいこと、何度か話を聴いていただいたとき、こんなことを言われました。
「その仕事は他人に譲れますか」
作家ベッシー・ヘッドの翻訳や、彼女の言葉を伝える活動についてそれを訊かれたとき、わたしはもちろん0.0001秒で「絶対に嫌ですね」と答えました。
コンサルタントの仕事はどうですかと訊かれたとき、0.1秒くらいで、「あ、どうぞどうぞって感じですね」ときっぱり言ってしまいました。
もう答えはちゃんと出ていますね、とカウンセラーさん。
わたしは、作家ベッシー・ヘッドというひとを知ったのが大学生のとき。
彼女の存在がなければ、わたしには今のようなアフリカに関わる人生はなかったと思います。
1998年、大学4年でボツワナに行ったこと。
それ以降、作品を翻訳出版したい、アーカイブとしてボツワナはセロウェ村の博物館に保管されている手紙を編集して出版したいと思っていること。
エディンバラ大学の大学院でも修士論文を書いたり、その後、あちこちで記事を書いたり発表したりしました。
長い月日を経て、少しずつその思いは深まっていきました。
実は少し前に、ある編集者の方に「翻訳をプロの方に頼むという手もありますよ」と言われたとき、お恥ずかしながら、その方の前で(オンラインでしたけど)わたしは涙を流しそうになってしまいました。
言葉に詰まり、声が震え、目に涙を浮かべ。
やっとの思いで言いました。
「おっしゃりたいことはよくわかります。わたしはプロの翻訳家ではありません。でも、今まで20年以上もの間、この作品を他の誰でもない、わたしが訳して出したいと願ってずっとやってきました。ここで、ご提案に<ハイ、そうします>とは言えません」
くれぐれも誤解していただきたくないのですけれど、そのようなご発言は編集者としてはありうることだと思います。
でも、わたしの長年の知り合いでわたしのこれまでのことをよく知るひとだったら絶対言わないことだとも思います。いくら資料にわたしの経歴を書いても、思いまでは伝わりきっていなかったのかもしれません。
(1998年大学生のときの写真。博物館に保管されているベッシーのノートやメモ帳、原稿類)
長年訳してきたこの作品を翻訳して出版すること自体が目的なのではありません。
その先に、読んでくれるひとがいて、そのひとの心に言葉たちが響いて登場人物が語り掛け、少しの心の震えが生まれる。
その震えが、そのひとの生活の中でふとした時に心を温めてくれること。
その人たちの人生にごく小さな明かりが灯る何かを残してくれること。
生きていくうえで、ときどきよみがえるような温かさを、分けていきたいと思うのです。
それは、わたしがベッシー・ヘッドというひとの作品を読んで、自分の人生の中でそんな明かりと温もりを幾度となく感じて暮らしてきたから。
わたしが感じてきたものをそっと言葉として受け取ってもらうこと。
このことは、他の誰にできるものでもない、わたしだけのものだと思っています。
だから、わたしのことをわかってくれるとかくれないっていうのは、はっきりいってわたしには関係のないことなのだと思います。
温もりは、それを受取ってくれる人が初めて気づくものだから。
わたしはそれの橋渡しをするだけなのだと思います。
だからこそ、自分は目の前にあることに最大限の情熱を注ぎ込み、愛してやっていくのみ。
そして、この小説は一言一言に本当に深く響く何かがあり、夢中になって愛情を感じずにいられません。
それが、何よりの答えなのだと思うのです。
わたしは作家ベッシー・ヘッドというひとに本当に感謝しています。
会ったことはないけれど、世界中の多くのファンにがそうであるのと同じように、わたしの人生を豊かにしてくれたひとです。
今日もまた、一人で彼女と、彼女の作り出した世界と向き合って幸せを味わっています。
本という形になるまで、誰かの手に取ってもらうことがまだできないけれど、わたしには届けられると信じて、この時間を大切にしています。
わたしが毎日していることは、きっと傍から見れば地味すぎてあまりよくわからないでしょう。
でもわたしは、数え切れないほど読み、数え切れないほど何度も全部訳し直したこの作品の一言一言に、毎朝、まるで初めて読んだかのように深く感動し、心動かされています。
主人公の抱えるアパルトヘイトの闇、人種差別、部族主義。
悪役の伝統的首長ですら、心の中に抱える苦悩がにじみ出て、読んでいるわたしの心が苦しくなるくらい。
独立当時のボツワナも、決して一枚岩ではない。
多くの人が、多くの苦しみや喜び、望みを抱えて生きている。
それを感じて、今でもまだ読んでいて涙が滲んでくるのです。
ある研究者が、ベッシー・ヘッドという作家は本当に人を愛しているんだと言っていたことが、作品の隅々から伝わってきます。
この文章に触れているわたしは、どれだけ幸せなんだろうと日々感じています。
一冊の長編小説の全文チェックをするというのは、とても時間のかかる仕事です。
もう何度も訳し直しをやっているはずなのに、いまだにほとんどの文章をもういちど直しています。
数ヶ月かかってようやく183ページ中61ページまできました。
わたしの周りの大切なひとたちや、知らない誰かに、一冊の贈り物として本を届けるために、日々小さな感動を読み解き、心を込めた日本語に落としてゆこうと思っています。
↑寝てません。
Thunder Behind Her Earsより
ベッシー・ヘッドは、書く時に耳の後ろで雷が聞こえることがあると手紙に書いていました。
だから伝記を書いたG. S. Eilersenはその伝記をThunder Behind Her Earsというタイトルにしたそうです。
あなたにとって、譲れない仕事はなんですか。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
(詳しくはこちら)
■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
==
■ Amelia Oriental Dance (Facebookpage)
■ 『心と身体を温めるリラックス・ベリーダンス』
■ Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト
↓更新通知が届きます
「その仕事は他人に譲れますか」
作家ベッシー・ヘッドの翻訳や、彼女の言葉を伝える活動についてそれを訊かれたとき、わたしはもちろん0.0001秒で「絶対に嫌ですね」と答えました。
コンサルタントの仕事はどうですかと訊かれたとき、0.1秒くらいで、「あ、どうぞどうぞって感じですね」ときっぱり言ってしまいました。
もう答えはちゃんと出ていますね、とカウンセラーさん。
わたしは、作家ベッシー・ヘッドというひとを知ったのが大学生のとき。
彼女の存在がなければ、わたしには今のようなアフリカに関わる人生はなかったと思います。
1998年、大学4年でボツワナに行ったこと。
それ以降、作品を翻訳出版したい、アーカイブとしてボツワナはセロウェ村の博物館に保管されている手紙を編集して出版したいと思っていること。
エディンバラ大学の大学院でも修士論文を書いたり、その後、あちこちで記事を書いたり発表したりしました。
長い月日を経て、少しずつその思いは深まっていきました。
実は少し前に、ある編集者の方に「翻訳をプロの方に頼むという手もありますよ」と言われたとき、お恥ずかしながら、その方の前で(オンラインでしたけど)わたしは涙を流しそうになってしまいました。
言葉に詰まり、声が震え、目に涙を浮かべ。
やっとの思いで言いました。
「おっしゃりたいことはよくわかります。わたしはプロの翻訳家ではありません。でも、今まで20年以上もの間、この作品を他の誰でもない、わたしが訳して出したいと願ってずっとやってきました。ここで、ご提案に<ハイ、そうします>とは言えません」
くれぐれも誤解していただきたくないのですけれど、そのようなご発言は編集者としてはありうることだと思います。
でも、わたしの長年の知り合いでわたしのこれまでのことをよく知るひとだったら絶対言わないことだとも思います。いくら資料にわたしの経歴を書いても、思いまでは伝わりきっていなかったのかもしれません。
(1998年大学生のときの写真。博物館に保管されているベッシーのノートやメモ帳、原稿類)
長年訳してきたこの作品を翻訳して出版すること自体が目的なのではありません。
その先に、読んでくれるひとがいて、そのひとの心に言葉たちが響いて登場人物が語り掛け、少しの心の震えが生まれる。
その震えが、そのひとの生活の中でふとした時に心を温めてくれること。
その人たちの人生にごく小さな明かりが灯る何かを残してくれること。
生きていくうえで、ときどきよみがえるような温かさを、分けていきたいと思うのです。
それは、わたしがベッシー・ヘッドというひとの作品を読んで、自分の人生の中でそんな明かりと温もりを幾度となく感じて暮らしてきたから。
わたしが感じてきたものをそっと言葉として受け取ってもらうこと。
このことは、他の誰にできるものでもない、わたしだけのものだと思っています。
だから、わたしのことをわかってくれるとかくれないっていうのは、はっきりいってわたしには関係のないことなのだと思います。
温もりは、それを受取ってくれる人が初めて気づくものだから。
わたしはそれの橋渡しをするだけなのだと思います。
だからこそ、自分は目の前にあることに最大限の情熱を注ぎ込み、愛してやっていくのみ。
そして、この小説は一言一言に本当に深く響く何かがあり、夢中になって愛情を感じずにいられません。
それが、何よりの答えなのだと思うのです。
わたしは作家ベッシー・ヘッドというひとに本当に感謝しています。
会ったことはないけれど、世界中の多くのファンにがそうであるのと同じように、わたしの人生を豊かにしてくれたひとです。
今日もまた、一人で彼女と、彼女の作り出した世界と向き合って幸せを味わっています。
本という形になるまで、誰かの手に取ってもらうことがまだできないけれど、わたしには届けられると信じて、この時間を大切にしています。
わたしが毎日していることは、きっと傍から見れば地味すぎてあまりよくわからないでしょう。
でもわたしは、数え切れないほど読み、数え切れないほど何度も全部訳し直したこの作品の一言一言に、毎朝、まるで初めて読んだかのように深く感動し、心動かされています。
主人公の抱えるアパルトヘイトの闇、人種差別、部族主義。
悪役の伝統的首長ですら、心の中に抱える苦悩がにじみ出て、読んでいるわたしの心が苦しくなるくらい。
独立当時のボツワナも、決して一枚岩ではない。
多くの人が、多くの苦しみや喜び、望みを抱えて生きている。
それを感じて、今でもまだ読んでいて涙が滲んでくるのです。
ある研究者が、ベッシー・ヘッドという作家は本当に人を愛しているんだと言っていたことが、作品の隅々から伝わってきます。
この文章に触れているわたしは、どれだけ幸せなんだろうと日々感じています。
一冊の長編小説の全文チェックをするというのは、とても時間のかかる仕事です。
もう何度も訳し直しをやっているはずなのに、いまだにほとんどの文章をもういちど直しています。
数ヶ月かかってようやく183ページ中61ページまできました。
わたしの周りの大切なひとたちや、知らない誰かに、一冊の贈り物として本を届けるために、日々小さな感動を読み解き、心を込めた日本語に落としてゆこうと思っています。
↑寝てません。
Thunder Behind Her Earsより
ベッシー・ヘッドは、書く時に耳の後ろで雷が聞こえることがあると手紙に書いていました。
だから伝記を書いたG. S. Eilersenはその伝記をThunder Behind Her Earsというタイトルにしたそうです。
あなたにとって、譲れない仕事はなんですか。
南アフリカの作家ベッシー・ヘッド(1937-1986)の紹介をライフワークとしています。
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■作品の翻訳出版に向けて奔走しています。
■作家ベッシー・ヘッドについてnoteで発信しています。
⇒ note「ベッシー・ヘッドとアフリカと」
⇒ note「雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち」
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