糸井重里さんのほぼ日で「今日のダーリン」を読む。

今月の始めの「今日のダーリン」のフレーズに、「これこれ!これナ!」と思った。
糸井重里さんって本当に皆が抱えている曖昧な感情を言語化する天才だと思う。



なにか「新しいこと」をやろうとするとき、ついつい引っかかっちゃう罠がある。(略)ついつい、前例を探し始めてしまうのです。似たようなものがあったはずだとか、いま現在のその業界はどうなっているんだろうかとか、企業だったら競合他社の動向だとか、市場調査だとか。
(略)
さて、「新しいこと」「やりたいこと」をはじめるとき、つい引っかかっちゃう罠というのは、枠組みでも、スタイルでも、ムードでも、テーマでも、じぶんたちも「できる」ということを見せようとして、「ただのパロディ」をやっちゃうことなんだよね。
パロディは、「批評」にはなるんだけれど、そこからなにかを生み出すということができない。
(略)
新しい魚屋をやってみたいと思ったら、魚屋を研究して、魚屋のパロディをするのではなく、「え、魚屋ってそういうものだったの?」と「わかってない」ほうがいいと、僕は思っている。

(ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2021年3月2日より抜粋)

何かを始めるときでも、やりたいと思ったときでも、たくさん調べ過ぎて頭でっかちになってしまったり、技術偏重になってしまうとか、そういうことってありがち。

誤解を恐れずにいうと、けっこう日本のひとはその傾向が強いひとが多いように感じる。
(自分に全くその傾向がないとはもちろん言わないけど)

たとえば、ピアノをやるにしても、バイエルから始まりソナチネまできっちり技術を高めることはいいかもしれないけれど、それではある程度技術が伸びて弾けるようになったとしても、まだまだ肝心の「自分の芸術にする」というところまでブレイクスルーするにはなかなか難しいかもしれない。もちろん、ピアノにはメソッドはあるんだけれど。メソッドが全てじゃないんじゃないかな。
そして、「必ずこのルートをとらねばならない決まり」ということはない。そういう発想しがちなひと多いと思うけれど。

型にはまったところにいたら、なかなか型を抜け出す発想がしにくくなる。
まず型が大事と先に思っちゃうと、そこから出られない。
もちろん、型がまったく大事ではないとは言わないけど、一度壊さないとやっぱりその先にはなかなかいけない。

たとえば芸術に技術は必要でないといっているわけではないけれど、技術がまず先にきてしまったらブレイクスルーして自らの血肉となる芸術になるまでに先にハードルが上がってしまうのではないかとも思う。

色々思い返すと、この分野でやっていきたいのならこれぐらいの技術・知識は持っていないといけない、という妙な強迫観念のようなものが、日本社会では先にきてしまいがちなようにも感じている。

資格をとったり専門学校や大学・大学院の専門コースを卒業・修了したり。
そういうことももちろん大切なのだけれど、それがなきゃだめだという発想は違う気がする。

そうすることによって、絵を描くことも、ダンスも、音楽も、芸術としての楽しさが半減してしまうような気がする。
あえて「厳しく」あろうとする社会は何なんだろうって思うことある。

本来、楽しいもののはずでしょう?

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昔からよく思うけれど、「何かに秀でているひと」というのは素敵だなと思う。

魅力的な人生だ。
何かひとつに打ち込んでいるひと、とでもいうべきか。

ダンスでも、芸術でも、ビジネスでも。

でもいつも思うのが、技術とか知識とか、そういうものではなくてパッションが先に立っているという人間が圧倒的に強いんだろうなということ。

周囲を圧倒させるような高い技術や知識を持っているということではなく、体の中から自然とあふれんばかりの愛情と情熱を、ただ夢中で、周りのことに一ミリも惑わされることなく、淡々と注ぎ込み続けるということなのではないだろうか。

それも、人生をかけて。


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自分にとってそれは何なんだろうなって悩むことは多い。

あれもこれも、やっているから。

でもこれだけは言える。

多分、作家ベッシー・ヘッドに関することはわたしのなかでライフワーク何だと思う。

つまり、夢中になって注ぎこめるくらいの。

ベッシーというある意味「他人」のことということではなくて、このライフワークは自分自身の人生との対話の中でどんどん深まり、生きてくるものだ。とてもとてもパーソナル。
でも言語化して世界に発信することはできる。

だからこそわたしは、ベッシーが読者に投げかけ続ける「パーソナルな疑問」をどんどん日本の読者にも日本語でぶつけていきたいのだ。わたしの魂を通じて。

もちろんわたしは、もう97年ごろからベッシー・ヘッドのことを追いかけているけれど、世界中にいるものすごい研究者たちからみれば、ベッシー・オタク度はだいぶひよこです。20数年かけても。

それでも、もう人生の中でこれがあって本当に幸せと思うくらい、わたしは自分自身に対していろんなものをベッシーの書いた文章からもらっている。

論文を書いたりとかしなくていい今(書いてもいいんだけどな・・・ぼそ)、わたしはこれを深めるという点においては自由だ。

わたしは、全く文学研究者ではないし、テキスト研究もしてないし(したくないし)、ずいぶん違う視点からみているんだと思う。でも文学はパーソナルだし、ベッシーからもらう言葉もパーソナルだ。

だからこそこれをわくわくしながら続けていきたい。
こんな人生でよかったと思っている。




ということで、また新しい企画を考えています。ちかいうちにリリースできると思う。

noteのマガジンも読んでくださいね。



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ところで今日は、1960年シャープビルの事件が起きた日です。

この日から、アパルトヘイトの歴史は変わっていきました。

ベッシーにとっても重要な出来事を経験した日でした。

詳しくはnoteマガジンを読んでね。


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