インスタを見ていてバニーチャウが近くのお店で期間限定メニューになっていることを知り、すぐさま食べに行った。

バニーチャウ、ご存知だろうか。
南アフリカの定番料理で、立方体の食パンの真ん中をくり抜いて、インドカレーをぶち込んだなんともワイルドな食べ物である。

このバニーチャウには思い出がある。

1998年、大学4年生だったわたしは南アフリカ出身でボツワナに亡命した作家ベッシー・アメリア・エメリー(ベッシー・ヘッド:1937-1986)のことを大学の卒業論文に書くため、初めてのアフリカに行った。

行き先はボツワナ、そして南アフリカだ。

特になんのあてもなく勢いだけで飛び込んでしまったアフリカだが、わたしはバックパッカーでもなくサバイバルにも長けていない頼りない無知な大学生だった。

情熱だけはあったから、出発前に大学の資料室で引っ張り出してきたダイレクトリーに掲載されていた各地の研究所や大学などにたくさんのエアメールを書き、また海外の新聞などの「文通しませんか」コーナーに載せてくれるというサービスを見つけて掲載してもらい、無理やりネットワークを作った。
(この辺りの話については、Kindleエッセイ本に書きまとめている)




そのうち、ダーバンで繋がった人は、ヨハネスブルグ・ケープタウン・ダーバンの3都市で「文通しませんか」コーナーに載せてもらったわたしの広告に手紙をくれたひとだった。

日本人の21歳大学生女子がそんなところに掲載することは珍しかったのだろう。
かなりの数の反響があった。もちろん、多くはほとんどセクハラに近い恋愛モード一辺倒(そんなことは書いていないにも関わらず)のまるでお話にならないお便りたちでしたが。

その中でも、慎重に選んだ真面目そうなひとのひとりが、ダーバンに住むその40代男性マイクだった。白人の男性である。

マイクは、ダーバンで大手精糖会社のマネジャーとして勤め、奥さんと離婚して一人暮らしだった。
わたしは恋愛など一ミリも求めていない、その気が少しでもあるなら断る、と前置きしながら、わたしはこのひとと何度か手紙をやりとりした。
彼は、そのことはよく承知していると言ってくれた。

その後、ダーバンにまで行く余裕はないなと思いながら初めてのボツワナに行ってひと月ほどすぎたころ、せっかく南アフリカまで来るのならダーバンまでおいでと、そのひとは航空券を買って南アフリカ航空に預けていてくれた。

大学生だったわたしは、ヨハネスブルグの空港でこの航空券をピックアップし、数回の手紙のやり取りだけで会ったことのなかったダーバン在住の男性を訪ねて行くことにしたのだった。

今では絶対にこんな危険なことはしないと思うが、当時は本当に熱い思いだけが先走っていたのだ。
(結論からいうとありがたいことに危険な目には一度もあいませんでした。神様ありがとう)

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ダーバンは南アフリカの東海岸の大きな街で、ビーチリゾートでもある。

マイクと初めて会い、小高い丘にある彼の小さなアパートのベッドルームの一つに泊めてもらった。アパートは、数日前に強盗にあってしまったとのことでガランとしていたのを覚えている。

マイクは、とても親切な人だった。

数日間のダーバンの滞在で、マイクと食べたのがこのバニーチャウだ。

インド洋沿岸のダーバンは巨大インド人コミュニティがあり(約130万人とも言われる)、インドの文化が色濃く根付いている。

バニーチャウは、食パンの中に巨大なジャガイモやらチキンやらが勢いよく詰め込まれ、豪快な食べ物だった。そしてとてもとても辛かった。
マイクに買ってもらって、ダーバンのビーチでかじって食べたのを覚えている。


南アフリカを初めて体験したこのとき。

車を降りるたびに、ハンドルに鉄の棒のロックをかけ、ステレオを外す。
もちろん車上荒らしや泥棒対策だ。
都市部の治安はとても悪かった。



当時のわたしからみればずいぶん年上の40代のマイクは、本当に優しいひとだった。

わたしがベッシー・ヘッドの調査をしていることは伝えてあったから、彼が調べてくれてベッシー所縁の土地をひととおり訪れることができたのだ。

わたしが興味あるであろう場所は全部車で連れて行ってくれたし、食事は律儀にすべておごってくれた。
ひとりだったらきっと、ベッシー・ヘッドが生まれたダーバンから40キロほど内陸の街ピーターマリッツブルグの精神病院も、ベッシーが少女期を過ごしたセント・モニカを訪問することも、ベッシーが卒業後に教師になったクレアウッド・カラード・スクール(当時)を訪問することもできなかっただろう。

ベッシーが少女時代を過ごしたセント・モニカで、見学させてもらったお礼にマイクは巨大な砂糖の袋を寄付していた。
必要な交渉ごともしてくれた。


これはわたしの心が少しひねくれているのかわからないが、なんでも親切にしてくれて本当に親身になってくれて助けてくれるひとがいると、わたしはどうしていいかわからなくなって心を閉じてしまうことがある。

マイクは、アフリカが初めてのわたしに木彫りの可愛い動物たちをくれたり、アフリカ大陸をかたどったゴールドのネックレスに私の名を掘ったものをくれたり、君の家にアフリカンチェアを送るからどんな部屋か教えてくれと言ったり(きっと日本の大学生がどれだけ小さなアパートに住んでいるかを知らない)、とにかくあれこれとなんでもやってくれた。

それが、若干21歳のわたしには重かったのかもしれない。

帰国後、彼は病気になり病気休暇をとって入院していたそうだ。
奥さんとも離婚し、友達もほとんどいなかった彼の孤独は、わたしが受け止めるには重すぎた。

なかなか返事をかけずにいると、今度はマイクの会社の同僚が私にFAX(だったと思う)をわざわざ送ってきて、マイクが連絡を欲しいと言っているから連絡してあげてくれと言われた。

これが、正直言ってわたしには決定打だった。

なかなか返事をしづらいまま時間が経ってしまった上に、さらに他人に頼んでまで、どうか返事をしてくれと言われるほどわたしにとって嫌で仕方がないものはないからだ。

もう二度と連絡をする気がなくなってしまった。


わたしは、マイクを嫌ったとかどうでもいいと思ったとかいうわけでもない。

ただ、重たすぎたのだ。重たすぎる上に、さらに追い討ちをかけるような重たさを重ねられるのは、わたしにとってとても苦しく嫌なことだった。


今、当時のマイクの年齢を少し超えた自分は、ときどき当時のことを振り返る。

手元にはまだ、彼のくれた木彫りの動物たち(テーブルセットに腰掛けた可愛い動物たちだ)とゴールドのアフリカ大陸をかたどったネックレス(Hitomiと掘られている)がある。

そして、バニーチャウと聞くたびに、あのときのダーバンでの数日間のことを思い出すのだ。


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(今日食べたこちらのお店のもの。少しアレンジしているようです。わたしの記憶にあるのは、食パンを手で持って食べる豪快なアレです。Bunny Chowで検索するとたくさん画像が出てきます)



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