昨夜、深夜に連続ツイートで流した内容を、ツイッターでは読みづらいので少し追記してブログにまとめてみる。

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両親宅にある私の荷物の中、古いアルバムやフィルムの写真とネガが大量に出てきた。

その中にこのひとの写真があった。

作家ベッシー・ヘッドの息子、ハワード・ヘッドだ。

1998年、大学四年生でボツワナへ行ったときのものだ。

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大学生の私はセロウェ村のミュージアムで研究者用の小さな小屋に泊まりながら、ベッシー・ヘッドのアーカイブを2週間かけて夢中になって漁っていた。

そのとき、突然現れたのがハワードだった。

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 会えるとは思っていなかったし、ミュージアムに来るなんて思ってもいなかった。

何よりも、驚いたのは彼が本当に母親に似ていたことだ。

似ているとは聞いていて知っていたつもりだったが、息を呑むくらいびっくりした。

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(↑こちらが母親のベッシー・ヘッド)

目の前に彼女の息子が現れ、学生ながらもインタビューせねばと意気込み話をした。

ハワードは、案外親切だった。

だけど、巷では「どうしようもないやつ」で知られていた。
ミュージアムにはよく立ち寄るとのことだった。

 次の日の12時にミュージアムに来てくれると約束したが、ハワードは来なかった。その次の日も、またその次の日も来なかった。

三日目にミュージアムの人が見かねて車で私をハワードの家、つまり亡きベッシーの家に連れて行ってくれようとした。その道すがらハワードに会った。

ようやっと話ができた。

ハワードの車で、なぜかバーに行って油を売ったりもした。いい加減な性格はなんとなくわかった気がした。

でも、その後ベッシーのお墓に連れて行ってくれた。そしてツーショットの写真まで撮らせてくれた

後からミュージアムの人に聞いたが、ハワードはこんなに研究者に付き合ってくれることはなかなかないそうだ。

世界中から今でも時々研究者が来るけれど、直接ハワードが家まで案内したりお墓まで一緒に行ったりなんてことをしてくれるのはラッキーだったそう。

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 ベッシーが最初に出版した小説When Rain Clouds Gatherのお金で建てたというこの家に、彼は住んでいた。

ここでこぼれそうなくらい注いでくれたファンタオレンジを飲みながら、初めてベッシーのことをぽつぽつと話してくれたハワード。

「彼女は作家である前に母親だった。自分もいつか書きたい」

このベッシーの建てた家の前で語ったことは、わたしにとって最もベッシーに近い人と交わした最初で最後のちゃんとした会話だった。

世界中からいろんな人が今でもベッシーを訪ねてくることは、自分にとって面白いことでもあるということを言ってくれた。
ベッシーは1986年に亡くなるまで、自分を訪ねてくる研究者が謝金などを払うこともなくインタビューばかりしていくのに嫌気が差し、研究者を追い返していたともきく。

でも、そんなベッシーが亡くなってずいぶん経ってからでも、ハワードはそれを拒んだりすることはしないようではあった。

(彼にとっては母親の本の印税が手に入るなど良い面もあったんだと思うが)


ハワードは、昔ミュージシャンになりたかったが続かず、カナダにいた父親の元でもうまくいかず、ベッシーとも喧嘩ばかりで家を追い出されるなどした。正直「ダメなやつ」ではあったのだ。

そして、ベッシー研究者にはそんなネガティブな描かれ方をしている。

 たしかに私の約束も3回すっぽかしたくらいだから相当ダメなやつではあると思う。

でも、わたしはあのときRain Cloudsと名づけられた家の前でぽつぽつ話したハワードの様子が20数年経った今でも忘れられない。

彼は、ダメなやつかもしれないけれど、本当は素直で優しくていいやつでもあったのだ。

1964年、2歳にもならないうちに南アフリカから亡命した母ベッシーと当時の英国保護領ベチュアナランドへ。

彼は、ツワナ語もネイティブスピーカーとなり、もうボツワナの人間として生きていた。

それから9年後の2007年、私はベッシー・ヘッド・フェスに参加するためにボツワナに行った。ハワードは私の名前を覚えくれていて「ヒトミ!」と呼んでくれたのだ。

そのことが本当に嬉しかった。私を大勢いる一介の名無しのベッシー・ファンではなく個人として覚えていてくれた。

この写真のときだ。この時は、多くの人が集まり、ベッシーに関するシンポジウムや彼女の作品の演劇、詩の朗読コンテストや、今では国際協力大臣であり作家としても有名なユニティ・ダウ氏のベッシーに宛てたスピーチと記念植樹があった。

わたしにとっては、ハワードはもちろん、多くのベッシー・ヘッド研究者に会える本当に貴重な時間であった。

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その後、2010年の6月にハワード・ヘッドは亡くなったという知らせが、ボツワナ在住の研究者から届いた。

あまりのショックに呆然とした。

彼はまだ48歳だった。

奇しくも母親のベッシーが亡くなったのと同じ年齢だ。

 

私の中で彼の思い出はそれだけだ。でもきっと特別に(かどうかはわからないけど)大学生のわたしに話をしてくれたあのときのことは、心の中で大切にしていきたい。

そして、彼のあまり良くない態度のことがたくさん書かれているが、わたしはやはり少しだけあのポジティブな気持ちを自分なりの思い出として文章にしておきたいと思うのだ。

そんなことを、この家の前の写真とベッシーのお墓での写真を数年ぶりに見つけて思い出していた。


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