リモートワークになってひと月以上

こんなことを書くのは少々気がひけるが
ごく小さな範囲の個人的なことだけに
限って言うと、
これほどまでに豊かな時間を
過ごすことはなかったかもしれない

日々、1960年代のボツワナに亡命した
ベッシー・ヘッドの小説の
一語一句を味わい、思いを馳せている

彼女の作品を初めて読んだ頃、
わたしはまだ大学生だった

そのときから20年以上のときを経て、
この小説の本当の美しさや
魂のいぶき、アパルトヘイトを生きた
ベッシーの持っていた実に繊細で強い感情と、
苦しい傷と、愛のような感覚が
いまリアルな色と音と感触みたいに
わたしに迫ってくる

ときに、涙が溢れてしまう
やっとこの小説にほんとうに出会ったのかもしれない

そんな毎晩をすごしている


1960年代のアパルトヘイトの時代に
南アフリカの文学はことごとく発行禁止となり、
多くの人が逮捕され殺された

そのような国で、「カラード」の
ジャーナリストとして生きた彼女は
ボツワナに亡命した

ボツワナはまだ貧しく、ベッシーの小説は
そんなリアルな村の生活を描いたものが多い

ひとは、そんな彼女を「ノンポリ」だとさえ非難した

当時、南アは「文学の冬の時代」と言われていた
それでも、信念に生きる多くの作家は
政党政治についてリアリティのある
作品を描こうとしていた

南ア人として、そんな作家たちとは、
少し毛色の違うベッシー・ヘッド

彼女は、どこかのエッセイにこう書いている

「南アフリカに生まれたということは、
すなわちそのひとが政治的であるということだ」

この言葉が全てを物語っている

ボツワナの村を舞台にした物語はどれも、
南アフリカのアパルトヘイトそのものだけではない
そのころのアフリカの人種差別、人種主義的な人々、
ツワナ人の「マサルワ」
(これは蔑称だが彼女は意図的にこれを使用している。
当時のボツワナの差別を描き出すために。
マサルワはブッシュマンに当たる)
に対する差別

それから、「部族主義」当時のアフリカ主義の台頭、
ボツワナの政治情勢

強烈に政治的だし、政治を通り越えて人間的だ

わたしは、学生の時にベッシー・ヘッドの
作品をテーマに論文を書いた
文学研究そのものには興味がなかったけれど、
ベッシー作品の「政治性」について書いたのだ

いまは、当時よりずっと深くそれを感じる



2020年、世界は非常事態に陥ってしまった
日々、あまりにも辛い情報が流れてきて
命も、経済も、こんなに脆く削られてしまうのかと
嘆きたくなる気持ちだ

だが、自分自身にできることをやる以外に
何もできない

この時間、ベッシー作品に向きあう時間が
わたしの人生を豊かにしてくれる
そして、これから先の時間に繋がってくる

そう思うと、20年以上も「忙しくて」
まったく進んでいなかった
このプロジェクトに向き合うことのできる
この時間が、ほんとうに貴重だと心から思う

こんな機会がなければ、わたしはまた
平日は通勤でくたびれはて、
週末は天気の良い外に飛び出して踊り、
ベッシーにここまで向き合い直すことなど
できなかったかもしれない

そんな時間そのものに、わたしは感謝したい

今日から、100日プロジェクトだ



IMG_8880


これはウェブで見つけたもの
素材サイトだ!

1984年、オーストラリアのWriter's Weekにて
右の女性はフランソワーズ・ジロー
パブロ・ピカソの子どもたちの母親


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