ただのひとりごとと思っていただければいいんだけれど。

いくつかODAの調査案件でジェンダー主流化の担当をしたので
いまでは、会社の中で「ジェンダー」が出れば
わたしにふられるようになってしまった。

国際協力コンサルタントの世界って実績がなんぼってところがあって、
ひとつの分野で経験を積めば積むほど次の仕事がとりやすい。

でも、わたしはとくにジェンダー分野を専門的に勉強したわけでもない。

そしてわたしは、この「ジェンダー」の扱われ方について
いつもどこかしら違和感を感じている。

何故かって、
ジェンダーと名のつく案件の内容には
必ず、必ず、「女性の」支援があるからだ。

いや、それは自然なことだとは思う。

例えば、アフリカ某国で女性中小企業経営者の
設備投資(=銀行融資可能性)について調査をしたけれど、
ジェンダーの視点で言ったら法制度的にはたとえ平等になっていても
その運用面、社会文化的側面で女性は苦労をしていることがダントツに多い。

経営ひとつとっても、
情報ネットワークは男性の方が築きやすいという意見もたくさん聞いた。
もちろん逆の意見を持っているタフな女性経営者もいたけど

制度面で整備されていたとしても、運用面や実際の社会事情に
合致していないというのは国際協力業界でもよくある罠だ。

だから、たとえば
女性起業家向けの融資プログラムを作る
ビジネス研修などをもうけ、メンターをつけアドボカシー活動も行う
などというのは必要だと思う。

でも、それは、究極の意味では
ジェンダー平等ではない。

あまりにもジェンダーギャップの激しいこの世界を
少しでも優しくするためのひとつのステップにすぎない。

このことを、わたしはいつも自分に言い聞かせたいと思っている。

ODAの世界では、ジェンダーといえば
女性、女性、女性・・・が普通。
ODAだけじゃないけどな

そして、ジェンダー??僕にはわからないし
といって無意味にビクビクしているひとが必ずいる。
避けて逃げるひともいる。

これもまたわたしは疑問を感じるし、
とても嫌だなと思う。

なんでそんなことになるかというと
どこかで誰かさんがかならずヒステリックになるからなんだと思う。

これがいちばん怖い。

どこかの誰かが、感情を乗せる。
すると、違う誰かが感情を乗せ返す。
この繰り返しで、いつしか冷静なものではなくなってしまう。

女性が、女性が、女性が。

たしかに、女性の方があきらかに不利になっているケースが
世界では圧倒的に多いからそうなるのは当然だ。

でも、女性が女性がとずーっと言っている限り、
ジェンダー平等の問題はこの世から消えることがない。

だから、もうずいぶんまえに国際協力の世界では
WID (Women in Development)から
GAD (Gender and Development)になってるんだから。

作家ベッシー・ヘッドは
ボツワナの農村を描いた小説の中で
男女差、ジェンダー、「部族主義」について
1960年代から70年代にかけて書かれた小説の中で
とても鋭い視点を持っている。

ボツワナの農村での女性の苦しみを描いているけれど、
彼女は、女性が女性が、と言いたいのではない。

ジェンダーは、男性と女性の問題であるのだ。

だから、研究者で彼女を「フェミニスト」と解釈する人は
ほんとうに多いけれど、それはまるで違う。

よく読めばわかる。
彼女は、女性のことばかりを言っているのではない。
その社会的構造のことを言っている。

本人もフェミニストじゃないって自らはっきり言っているしね。


世界は、トータルで成り立っている。
パーツだけ修復しようとしたところで
それは本質的な改善ではない。

心と体も、おんなじなんだけどね。



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