少し時間が経ってしまったけれど
7月6日は作家ベッシー・ヘッドのお誕生日。

48歳の若さで、ボツワナのセロウェ村で亡くなった。
生きていたら82歳。

ここ数年で、1960年代終わりから1970年代に出版された
ベッシー・ヘッド作品の新版がある出版社から次々と出されていて、
改めて読み返している。

小説を日本語にして出版したいので、
いろんな人にご相談させていただいている。

実現しますよう。



ベッシーのことば、読み返して
いつもほんとうに心にしみる言葉で新鮮な感動をおぼえる。

もう20年前くらいから読み続けているのに。

ポリティカルな意味もシャープで、
心の深いパーソナルなところにもリーチする美しい絶妙な文章。




 “The contradictions were apparent to Makhaya, and perhaps there was no greater crime as yet than all the lies Western civilization had told in the name of Jesus Christ. It seemed to Makhaya far preferable for Africa if it did without Christianity and Christian double-talk, fat priests, golden images, and looked around at all the thin naked old men who sat under trees weaving baskets with shaking hands. People could do without religions and Gods who died for the sins of the world and thereby left men without any feeling of self-responsibility for the crimes they committed. This seemed to Makhaya the greatest irony of Christianity. It meant that a white man could forever go on slaughtering black men simply because Jesus Christ would save him from his sins. Africa could do without a religion like that."
When Rain Clouds Gather (1969)

マクハヤから見れば矛盾は明らかで、イエス・キリストの名を語って西洋文明がついたたくさんの嘘ほど、罪深いものはなかった。アフリカにキリスト教儀やキリスト教徒の二枚舌、貪欲な宣教師たちや金色の偶像なんかなくても、ぐるりと周りを見回すと裸同然で木の下に座って震える手でかごを編む年老いた男たちの姿があるほうが、マクハヤにしてみればよほどましであった。ひとびとは、宗教や神がいなくてもやっていけるのだ。この世の罪のために死んで、その代り人間に自分たちの犯した犯罪に対する自責の念を負わせなかった神がいなくても。これこそが、マクハヤにとってはキリスト教最大の皮肉であった。つまりそれは、単純にイエス・キリストが罪を背負ってくれるからこそ白人たちが黒人たちを永久に殺戮続けるという意味であった。アフリカには、そのような宗教など必要ない。
これがマクハヤの抵抗の行き着くところであった。

(わたくしの訳です)

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