前記事の続きで、天野健太郎 遺稿集にあるほんとうにうつくしい文章が
心に響いた。
響きまくりました。

書かれていることすべてに、激しく同意する。

一部引用。

ちなみに、全文はこちらで読めます。
「台湾文学の謎:パブリッシャーズ・レビュー 白水社の本棚」2016年春号



そもそも台湾は観光(もっと言えばグルメ)というきらびやかなショーウインドーが人目を楽しませているにもかかわらず、そこから中をそっと覗けば、歴史条件の過酷さ、政治情勢の急峻さ、言語状況の複雑さ、そしてそれに起因するアイデンティティのダイナミズムが混然となって、色も形もわからぬモザイクが、うっかりドアに手をかけたものに腰を引かせる。だが同時に、そんな乱反射のとらえどころのない美しさは、整然と仕組まれた風景に慣れた我々に、どこか立ち去り難い気持ちにもさせる。ショーウインドーの前をたくさんの人が、冷やかしのまま通り過ぎる。どうやったら中に引き込み、お客さんになってもらえるのか?

(中略)

台湾文学は(小説もエッセイも)、ぎゅっと美しい中国語を持っていた。これは後で知ったことだが、戦後政治的抑圧の結果として、台湾人作家たちは文体や技巧をひたすら磨き上げた。ただその内側には、アイデンティティへの渇望が隠されていた。国際情勢が歴史を規定し、外来政権が言語を決定し、強権政治が文化を限定するなか生まれた物語に、心の奥底を打たれた。

(中略)

文学は、政治とアイデンティティの暗闇ではなく、時間と記憶のやさしい綱引きのようだった。呉明益『歩道橋の魔術師』は、すでに存在しない中華商場の薄暗さやホコリの匂い、猫の声までありありと浮かび上がらせる。記憶に縛られて生きる彼らの個の物語が、自分の記憶と重なり、台湾の物語であることを忘れさえした。魔術師の手招きに誘われるように、台湾好きも海外文学好きも、裏口からすっと中へ入ってきてくれた。九つの不思議な体験のあと、みんな、たくさんの色が混じったまばゆい光を背に、微笑みを浮かべ店から出ていく。「普通におもしろい」作品を見つけて、「普通の日本語」に訳せば、ここに来る仲間はきっとまだ増えるだろう。謎は謎のまま、物語とつながり、輝く光のすじとなる。



 *下線は、わたしが引きました。

写真 2017-07-26 0 13 57

わたしが読んだ天野健太郎氏訳の本はまだ以下のみですが、
これから名著のいくつかを読み進めようと思います。



自転車泥棒
呉明益
文藝春秋
2018-11-07






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