「ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にすることは至難の業だ。もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」

今、物議をかもしている2月11日付け産経新聞に掲載されたという作家で保守論客(←?)の1人として知られる曽野綾子氏のコラムにはそう書かれているそうだ。


news227715_pho01



「労働移民の受け入れに関して資格や語学力の障壁を取り除くべきだとする一方で、南アフリカの事例をもとに「居住地だけは別にした方がいい」と主張する内容」なのだそうだ。


この記事を全部読んだわけではないので、とても慎重にならなければいけないとは思う。


関連記事を見ただけで血気盛んに騒いだりはしないけれども、この件については覚えておきたいと思っている。


アパルトヘイトは、このような知識人にとっても「遠い世界」の話だったのかもしれないと感じた。

実際に南アフリカの地を踏んでも何にも感じないひとはいるのだろうけれど、どれだけたくさんの命が落され、血が流され、闘いを通して勝ち取ってきた今の南アフリカについて、その歴史をまったく無視するような言葉が出てくることを、とても哀しく思う。


奇しくも、この日は世界中から敬愛されている故ネルソン・マンデラ氏の釈放25周年目で、世界中がこの歴史を振り返っていたときだ。


ただ、その一方で、いくら「知識人」と呼ばれるひとであっても、「1930年代生まれ世代のひと」だから心の中にそういう気持ちが植えつけられて育ったんだろうなとも思った。
仕方ないとは言いたくないけれど、やはりその時代の新聞記事などを見ていると人種主義的表現がたくさんあるからだ。



同じく1930年代生まれの作家ベッシー・ヘッドは、アパルトヘイト真っ只中の南アフリカに白人の母と黒人の父の間に生まれ、アパルトヘイトとともに生き、国を去ったひとだ。
彼女がつづるうつくしい言葉たちは、アパルトヘイトで受けた深い深い傷から出てくるものだ。

その小説を、わたしは日本語で出版するために画策している。どうしても、アパルトヘイトとの深い傷を通じた人間として共に愛し合い生きるうつくしさについて、彼女の言葉を自分を通してこの国に伝えたいからだ。



このことについて、正直、あんまり大騒ぎしても仕方がないのかなぁとは思っている。
(差別的な表現や、看過できない考え方・ことばって、実はほんとうにたくさん巷にあふれているわけで、いちいち闘うのは本質的ではないかなと思ってしまう)


ただ、関連記事は掲載しておく。


曽野綾子氏、移民について「居住地だけは別にした方がいい」 「アパルトヘイト肯定」「人種差別だ!」と物議


それから、こんな抗議文も出ている。
(このトーンはわたし自身の考え方とはちょっと強さが違うけれど参考まで)

産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文


バレンタインデーなのにね。

世界が平和になりますように。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ


アフリカ(海外生活・情報)ランキングへ

 ↑ ★ 読まれましたらクリックをお願いいたします! ★ ↑

■オンラインショップ

 ☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト


■Twitter
africanwhaleをフォローしましょう

■Facebook Page
Facebook "Rupurara Moon African Beads and Crafts"