シュールなものを見つけてしまった。
Fakebookというところに、ベッシー・ヘッド(Bessie Head/ Bessie Amelia Emery)がいて、その息子や友人など周囲のひとの名前が出ている。
そして、本人やそのひとたちが書き込みをしたかのようになっている。
↓↓これ。
(リンクはこちら)
ううむ・・・・。
もちろん、ベッシーは1937年生まれで1986年に亡くなっており、これはニセモノ。
書き込みは48歳で亡くなるところで止まっており、息子が書き込んでいるかのようになっている。
(ベッシー・ヘッドについては、わたしのメインサイトに詳しいです)
どうやら「教育目的」でこのような偽物が作られたと書いてあるけれど、すみません、ちょっと理解に苦しむ。
もし彼女が生きていたころネットがあったら、彼女の22年間のボツワナでの孤独はどう変わったのか。
作品は生まれなかったんじゃなかったのか。
ベッシー・ヘッド研究者とそんな話をしたことがある。
ベッシーは孤独だった。
22年間、ずっと手紙を書き続け、その量は膨大だ。
わたしもたくさんコピーをボツワナから持って帰ってきた。すばらしくうつくしい文章の数々。
多くは一般公開されていない。
これをうつくしい日本語にして出版することがわたしの夢。
しかし、この書き込みは彼女の人生を一部反映したかのようになっているが、どうにも軽い・・・。
細かいこと言うと・・・。
ベッシーにとても近かったBosele Siananaは、彼女の死を知らなかったわけがないし、第一、デンマーク人のEilersenが書いたベッシーの伝記によると、彼女が亡くなったとき息子のHowardは別れた父親のところに行っていたかで連絡がつかず、彼女の死を知らなかったはず。
だからこんな書き込みはありえない。
ベッシーがHarold Headと結婚したのはもちろんアパルトヘイト下の南アから隣国へ亡命する前のことだし、(彼女はたったひとり息子を連れて亡命している)第一、亡命したのは独立前のボツワナ、つまり「ベチュアナランド」なので、この書き込みのように「ボツワナへ亡命する」とは言わないはず。
長い苦労の年月を経て作家として成功をしてとっくにささやかな家を建てているときに、難民キャンプに住んでいることになっている。
どういう目的か知らないけれど、書きぶりもとても軽くていい加減だし、おそらくちゃんと背景を調べないままに書いているように思う。
いちばん「いけてない」のは、「アパルトヘイト」が「友達」になっているところ。
絶句。
誰がどうやってこれを作っているのだろう。
その意図は?理由は?目的は?
実在の人物の名前でこのようなことを書かないでほしい。
そして、この中でわたしが唯一本当に会ったことのある息子のHowardも、もう亡くなっている。
母親とちょうど同じくらいの年齢だったと思う。
98年、大学生だった時に訪れたボツワナのセロウェ村で会ったひとで、まさにベッシーのお家にも連れて行ってくれた。
ファンタオレンジをごちそうしてくれた。
9年後に訪れたときもわたしの名前を憶えていてくれたHoward。
誰が書いたか知らないけれど、あんまりこういうことを書かないでほしかったなぁと思う。
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そして、本人やそのひとたちが書き込みをしたかのようになっている。
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どうやら「教育目的」でこのような偽物が作られたと書いてあるけれど、すみません、ちょっと理解に苦しむ。
もし彼女が生きていたころネットがあったら、彼女の22年間のボツワナでの孤独はどう変わったのか。
作品は生まれなかったんじゃなかったのか。
ベッシー・ヘッド研究者とそんな話をしたことがある。
ベッシーは孤独だった。
22年間、ずっと手紙を書き続け、その量は膨大だ。
わたしもたくさんコピーをボツワナから持って帰ってきた。すばらしくうつくしい文章の数々。
多くは一般公開されていない。
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しかし、この書き込みは彼女の人生を一部反映したかのようになっているが、どうにも軽い・・・。
細かいこと言うと・・・。
ベッシーにとても近かったBosele Siananaは、彼女の死を知らなかったわけがないし、第一、デンマーク人のEilersenが書いたベッシーの伝記によると、彼女が亡くなったとき息子のHowardは別れた父親のところに行っていたかで連絡がつかず、彼女の死を知らなかったはず。
だからこんな書き込みはありえない。
ベッシーがHarold Headと結婚したのはもちろんアパルトヘイト下の南アから隣国へ亡命する前のことだし、(彼女はたったひとり息子を連れて亡命している)第一、亡命したのは独立前のボツワナ、つまり「ベチュアナランド」なので、この書き込みのように「ボツワナへ亡命する」とは言わないはず。
長い苦労の年月を経て作家として成功をしてとっくにささやかな家を建てているときに、難民キャンプに住んでいることになっている。
どういう目的か知らないけれど、書きぶりもとても軽くていい加減だし、おそらくちゃんと背景を調べないままに書いているように思う。
いちばん「いけてない」のは、「アパルトヘイト」が「友達」になっているところ。
絶句。
誰がどうやってこれを作っているのだろう。
その意図は?理由は?目的は?
実在の人物の名前でこのようなことを書かないでほしい。
そして、この中でわたしが唯一本当に会ったことのある息子のHowardも、もう亡くなっている。
母親とちょうど同じくらいの年齢だったと思う。
98年、大学生だった時に訪れたボツワナのセロウェ村で会ったひとで、まさにベッシーのお家にも連れて行ってくれた。
ファンタオレンジをごちそうしてくれた。
9年後に訪れたときもわたしの名前を憶えていてくれたHoward。
誰が書いたか知らないけれど、あんまりこういうことを書かないでほしかったなぁと思う。
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