わたしがベリーダンスをはじめたのは、ジンバブエでのこと。

踊り自体、6歳から14歳までのクラシックバレエ少女時代からずっと愛していて、とにかく踊りたくて、大人になってからベリーダンスというものに漠然と憧れていたのだった。

たまたまそのチャンスが来て、すっと乗れたのがジンバブエ赴任中だっただけのことなのだけれど、たぶんそれも、何年ものあいだ自分の心のなかで踊りとベリーダンスとを熟成させていたから出会えたのではないかと思っている。


オデットという名の先生は、エジプトに三年ほど暮らした白人の女性(南ア系かな?)で、ほんとうにはじけるような感情表現豊かな愛らしいひと。
ベドウィンとの暮らしのことや、踊りの由来(彼女は「ベリーダンス」という呼び方を嫌う)について、きらきらと語る。

振り付けはいくつか習ったけれど、彼女が重視していたのはもっとスピリチュアルな面の表現。
うつくしい月夜の芝生で裸足で踊るベールの即興は、ほんとうに忘れられないうつくしい数々の時間だった。

(彼女のレッスンのことは語りつくせないのでまたいつか書くかなー)

今の日本では、もう驚くほどのベリーダンス流行の世界でダンス人口も増え、スクールもたくさん。お店もたくさん。イベントも毎日たくさん開催されている。そしてみんな、びっくりするほど高い技術を身につけている。


当時の経済的に非常に厳しい状態(ハイパーインフレ)時代のジンバブエでは、ベリーダンスなんてやっているひとはお金持ちの外国人や白人ばかりだった。
もちろん、衣装だとかベールなどの小物を扱っている店などあるわけはなく、みんな、先生のオデットが外国から買ってくるものを安く譲ってもらっていた。
(わたしが初めて使ったベールは、生地屋さんで見繕ったもの。ダンス用ではない)

他にスクールなどあるわけもなく、彼女が国のベリーダンス界を背負っていた。(っていうか、私たちの少人数グループしかいなかった)
積極的に、首都ハラレで開催されるフェスティバルでショーをやり、ワークショップを開いた。


帰国後、わたしがジンバブエに買い付けに戻ったときにプレゼントした手持ちの曲を集めたCDも、なかなかこういうものが手に入らないのよ、とつぶやいて喜んでくれたオデット。

いまでは、いっぱしの衣装を着て人前で踊ることもあるわたしのfacebookの投稿に、心から喜びを表したコメントをくれる。



愛にあふれた彼女のレッスン。わたしの踊りへ蓄積されたものは、技術以上に、スピリットなのだと思う。




いま、日本では世界中からすごくたくさんのトップダンサーたちがやってきて、ショーをやり、ワークショップで教えてくれる。
これほどの贅沢って、あるだろうか。


だからね、日本のベリーダンサーちゃんにいいたい。


こんなに恵まれた、信じられない環境なんです。

素晴らしいパフォーマンスを肌で感じてほしい。


ワークショップなんて、小難しい振り付けを覚えて人前でやってやろう!なんてしなくていい。
素晴らしいダンサーのオーラを感じること。
スピリットを感じること。
ああ、すてきだわ、と心から感動すること。

そして、音楽を感じること。

ひとつワークショップをうけるたび、素晴らしいものを吸収することができる。

これは、何にも代えがたい素晴らしい経験。自分だけの経験。

いつものレッスンの「感触」も、少し変わります。


もし、迷っていることがあるなら、そんなもったいないことはない。


環境や他人のせいにしていては、自分自身はまったく成長しない。
踊りなんて、たくさん打ちのめされることばかり。

そこから逃げて、誰かのせいにしているなら、そこで終わり。



だから。


もし、気になっているワークショップがあるのなら、受けてみたらいいと思う。
コンペだって、出てみたらいいと思う。(わたし出てないけど)

難しいと思っていた曲だって、挑戦すればいい。




なんてことを、思いました。



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