あまり政治的な意見をブログで述べることはしないようにしているのだけれど。
あまりにひどいニュースが多すぎる。



アラブ各国 ガザ攻撃停止の決議案提出へ


イスラエルによる攻撃でパレスチナ側に出た死者数が報道によってまちまちだが、500人だとかそれ以上だとか。


報復だろうが、テロだろうが、人が死んでいるところに政治的な「正しさ」(そんなものがあるのだと仮定して)はない。
たくさんの子どもが死ぬことに、モスクの中で人が死ぬことに、いったいどういう「正当性」があるのか。


「テロとの戦い」ということばにいつも違和感を感じている。
ここでいう「戦う」とは武力を行使すること。
それにより関係のない人をたくさん殺すということなのであれば、その政治的レトリックの恐ろしさに背筋が寒くなる。

子どものけんかみたいに、「やりかえす」こととおんなじではないか。
やり返すというのは、相手とおんなじ土俵にたって同じことをするということだ。つまり、何一つ進歩は生まれるわけがないのだ。


我が国では、無関心の人が少なくないように見受けられる。
それもまた、とても空恐ろしいと常々思う。


我が国は、戦後の高度成長を経て物質的に「豊か」な国となり、やがて新しい世代は、多くの国でみられるように権利や安定のために戦わなくても、ぼんやりしていても生きていける社会に生まれてしまった。

考えなくても、生きていける社会。

これは経済成長のつけであり、この国に課された重大な課題だと思う。

昔からお世話になっている某アフリカ研究の有名教授が、「我々がやっているのは反知性主義への抵抗だ」なんてどこまで真面目なのか冗談なのかわからないことをよくおっしゃっている。



議員のセクハラ発言があったとき、もちろんそれ自体はひどいことなのだけれど、まるでそれだけが世の中の悪であるかのように、暴言を吐き、集団いじめのような行動に出るひとたちの存在をみて、この国がほんとうに怖いとつくづく思った。

そしてその裏で、集団的自衛権というこの国の歴史上重大な動きがあった。
そこへ、「戦争に反対」するために「ばか、死ね」と繰り返すひとたち。暴言。


生きていくために大切なものを、完全に見失っている。




無関心は、人を殺すんだと思う。


考えることを、やめないことだ。



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