飛行機の座席です。
海外出張に行かせていただく機会が多く、個人でもどこかの国に行ったりなどしますけれども、ひとに訊くと多くの方が「通路側席」主義です。
そうですね。
通路側の方が少し圧迫感も少ないし、トイレに立つとき隣のひとの前を通らずに済むし。
「通路側の席以外、絶対にありえない。景色などまーーーったく興味ない!」
という調子でおっしゃる方のなんと多いことか。
でもね。
価値観の違いはとても良いことですけれども、違うひとをそんな風な目で見ないでほしいな。
(反面教師ですね、気を付けよう)
押し付けようとするひとのなんと多いことか。ほっておいてください。
通路側主義者のひとには信じられないかもしれませんが、わたしはいつも絶対に窓側を希望します。
わたし的価値観から言わせていただきますと、確かに窓側の方がちょっと圧迫感あったりしますが、通路側を通るひとにぶつかられたり、荷物ぶつけられたりせずに済むのでそのほうが落ち着くのです。
14時間などの長時間フライトで、トイレに立つなんてせいぜい二回くらい。しかも各1分くらいで面倒くさい「前、失礼します、ごめんなさい」タイムはすぎます。
それから、窓の外の風景が見えず自分がどのくらいの高度や角度や方角を飛んでいるのかがわからずに、ただ単に体にGを感じているだけという状態が、とても嫌なのです。
そして、飛行機の醍醐味と言えば、わたしからすれば「地球を肌で感じられること」です。
そのご褒美なくして、狭くて体に負担がかかるフライトなんて憂鬱すぎです。
いままで、心に深く刻まれたうつくしい風景を数えきれないほど見ました。
しかも、雲がなければ自分が降り立つ国ではない通過国の様子まで、上空から見える。これほどわくわくすることはないと思っています。
雄大なウラル山脈、細く長くどこまでも続く道、小さな町や村。
そのひとつひとつに息づく人々の生活、植生、川の流れ。
湖、島々。
飛行機や空港ではいつも、「時間の流れ」が地上とは全く違う切り離された世界にいる自分を感じます。
そんな不思議なところで、少し自分の人生を遠くから見つめ直すことも多いです。
巨大な街サンパウロの夜景。
斜めに切り込んだ角度は、息をのむようでした。
ブラジリア近郊の、どこまでも広がる巨大なセンターピボット。ブラジルは圧倒的な農業大国だということが、ものすごくよく一瞬にして感じられました。
砂漠だわぁ、なーんにもないわぁ、と思っていたカイロ着陸直前。
砂漠だと思っていたのは分厚い「砂埃」で、その下に広がる信じられないほど巨大な砂色のごちゃごちゃした街カイロが認識できた瞬間の、あの驚きといったら!
ミャンマーのうつくしい島々。
川の中に縫うように町があるバングラデシュの風景。この地域の特徴がすぐわかります。
夜に飛び立ったバングラデシュのダッカは、とても大きな町でものすごく活気にあふれていて光もあふれていました。アジアの街の躍動感がすごく感じられて印象的でした。
空から見ないとわからなかった「感触」です。
そのあとトランジットで降り立ったネパールのカトマンズ。
同じ夜の風景でもダッカとはまるで違う、ずいぶんこじんまりとして暗い印象を持ちました。
でも、温かなものも感じました。いちど行ってみたい国です。
ソラシドエアと富士山。
初めて見たサハラ砂漠と神々しい夕暮れ。しんとして、神聖な気持ちに。地球は圧倒的です。
この時は、砂漠の夕暮れと、砂漠の中にふっと現れる小さな町や村、そして、長く続く道と信じられないほどの砂漠の星空を見ました。
どこかの地中海の島。
アフリカの夜明け。
モザンビークのうつくしい島とビーチ。
南アからアジアに帰るときのモザンビークの海岸線も圧倒的迫力で、白く長くうつくしい。海の色がまた何とも言えないエメラルドグリーンなのです。
雨季のジンバブエ。
南アフリカ。
大農場が広がります。
ジンバブエ、ハラレ郊外。
地図の通り、湖と川が広がります。街も見えます。チトゥンギザですね。
この「窓側主義」は、わたしの人生に豊かなものをもたらしてくれたことのひとつです。
例を挙げると、まだまだきりがないのですが、もう写真をアップしすぎなのでこの辺で。
価値観の違いって、人生のなかで求めるものの違いなのかもしれません。
飛行機や旅へのアプローチの仕方を見ると、みんなさまざまでいつも興味深く思っています。
人生観につながっているのかも。
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海外出張に行かせていただく機会が多く、個人でもどこかの国に行ったりなどしますけれども、ひとに訊くと多くの方が「通路側席」主義です。
そうですね。
通路側の方が少し圧迫感も少ないし、トイレに立つとき隣のひとの前を通らずに済むし。
「通路側の席以外、絶対にありえない。景色などまーーーったく興味ない!」
という調子でおっしゃる方のなんと多いことか。
でもね。
価値観の違いはとても良いことですけれども、違うひとをそんな風な目で見ないでほしいな。
(反面教師ですね、気を付けよう)
押し付けようとするひとのなんと多いことか。ほっておいてください。
通路側主義者のひとには信じられないかもしれませんが、わたしはいつも絶対に窓側を希望します。
わたし的価値観から言わせていただきますと、確かに窓側の方がちょっと圧迫感あったりしますが、通路側を通るひとにぶつかられたり、荷物ぶつけられたりせずに済むのでそのほうが落ち着くのです。
14時間などの長時間フライトで、トイレに立つなんてせいぜい二回くらい。しかも各1分くらいで面倒くさい「前、失礼します、ごめんなさい」タイムはすぎます。
それから、窓の外の風景が見えず自分がどのくらいの高度や角度や方角を飛んでいるのかがわからずに、ただ単に体にGを感じているだけという状態が、とても嫌なのです。
そして、飛行機の醍醐味と言えば、わたしからすれば「地球を肌で感じられること」です。
そのご褒美なくして、狭くて体に負担がかかるフライトなんて憂鬱すぎです。
いままで、心に深く刻まれたうつくしい風景を数えきれないほど見ました。
しかも、雲がなければ自分が降り立つ国ではない通過国の様子まで、上空から見える。これほどわくわくすることはないと思っています。
雄大なウラル山脈、細く長くどこまでも続く道、小さな町や村。
そのひとつひとつに息づく人々の生活、植生、川の流れ。
湖、島々。
飛行機や空港ではいつも、「時間の流れ」が地上とは全く違う切り離された世界にいる自分を感じます。
そんな不思議なところで、少し自分の人生を遠くから見つめ直すことも多いです。
巨大な街サンパウロの夜景。
斜めに切り込んだ角度は、息をのむようでした。
ブラジリア近郊の、どこまでも広がる巨大なセンターピボット。ブラジルは圧倒的な農業大国だということが、ものすごくよく一瞬にして感じられました。
砂漠だわぁ、なーんにもないわぁ、と思っていたカイロ着陸直前。
砂漠だと思っていたのは分厚い「砂埃」で、その下に広がる信じられないほど巨大な砂色のごちゃごちゃした街カイロが認識できた瞬間の、あの驚きといったら!
ミャンマーのうつくしい島々。
川の中に縫うように町があるバングラデシュの風景。この地域の特徴がすぐわかります。
夜に飛び立ったバングラデシュのダッカは、とても大きな町でものすごく活気にあふれていて光もあふれていました。アジアの街の躍動感がすごく感じられて印象的でした。
空から見ないとわからなかった「感触」です。
そのあとトランジットで降り立ったネパールのカトマンズ。
同じ夜の風景でもダッカとはまるで違う、ずいぶんこじんまりとして暗い印象を持ちました。
でも、温かなものも感じました。いちど行ってみたい国です。
ソラシドエアと富士山。
初めて見たサハラ砂漠と神々しい夕暮れ。しんとして、神聖な気持ちに。地球は圧倒的です。
この時は、砂漠の夕暮れと、砂漠の中にふっと現れる小さな町や村、そして、長く続く道と信じられないほどの砂漠の星空を見ました。
どこかの地中海の島。
アフリカの夜明け。
モザンビークのうつくしい島とビーチ。
南アからアジアに帰るときのモザンビークの海岸線も圧倒的迫力で、白く長くうつくしい。海の色がまた何とも言えないエメラルドグリーンなのです。
雨季のジンバブエ。
南アフリカ。
大農場が広がります。
ジンバブエ、ハラレ郊外。
地図の通り、湖と川が広がります。街も見えます。チトゥンギザですね。
この「窓側主義」は、わたしの人生に豊かなものをもたらしてくれたことのひとつです。
例を挙げると、まだまだきりがないのですが、もう写真をアップしすぎなのでこの辺で。
価値観の違いって、人生のなかで求めるものの違いなのかもしれません。
飛行機や旅へのアプローチの仕方を見ると、みんなさまざまでいつも興味深く思っています。
人生観につながっているのかも。
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