水曜日の仕事上がりに電車に飛び乗りDADAの報告会へ。
DADAは、「アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト(Dialogue and Action for Deveropment Alternatives in Africa and Japan)」。
ジンバブエで活動するNGOで、わたしもよくお世話になっている。
代表の尾関さんに初めてお会いしたのは、わたしがまだジンバブエに行く前のことだった。
わたしはたしかOLをやっていたころだったかしら??(忘れちゃった、えへ
)
講演を聴いてとてもすてきな女性だなぁと思っていたけれど、自分がその活動地のジンバブエに行くことになろうとは、そのころは思っていなかったなァとしみじみ。
今回の報告会では、DADAがジンバブエでの活動を始めた経緯から始まり、DADAの10年+αの活動の振り返りとこれからについて。
90年代のTICAD(アフリカ開発会議。5年に一度開催され、次回は来年のTICAD V)のときにジンバブエから招へいされたAZTRECという団体のゴネセ氏との出会いにさかのぼり、この団体と一緒にジンバブエ中部のマシンゴ州の村での活動をはじめた。
このAZTREC(The Association of Zimbabwean Traditional Environmental Conservationists Trust)は1985年からこの地域を拠点に活動しているそうで、農業を通して土地を回復させること、伝統的な知恵を受け継ぎ、土地を管理すること、などなど(でいいのかな)を進めている、ほんとうに草の根密着型の活動をしている団体だ。
DADAについては何度かこのブログに書いたことがあるけれど、いつもAZTRECのアフリカの大地に根付いたような活動に寄り添っている。
それは、決して大きな活動ではないんだけれど、ひとつひとつ地元の人たちと築いていく信頼関係は、どこかの先進国の価値観をたくさんのドナーから集められたお金とともに作られた「貧しい国」に落としていくようなものとはまるで対局にある。
この小さなお金で、どれだけたくさんのものを得ることができるか。
DADAという名前にある通り、「対話」が根底にある。
ジンバブエとその土地は、植民地を通じてやはり大きく歪んでしまっていて、いまでも政治的問題が山積みになっている。いつもDADAの会合では、農地区分が書かれたジンバブエの全国地図と、降雨量別に色分けされた地図を隣に並べて語られる。
(ちなみに、わたくしこのネタを大学などで講演するときによくパクリます。ゴメンナサイ
)
降雨量の多い豊かな土地のほとんどを人工の1%に満たない白人の大農場が占めていた実情。
ジンバブエの歴史・政治経済が落ちていった元凶はここにある。
でも誤解を招きたくないのだけれど、DADAはいつもできるだけデータを集めて真摯な姿勢で正確なことを伝えようとしているのであり、誰が悪いとか悪くないとか言っているのではない。
ちなみに、選挙の記録とかインフレの記録とか、けっこう細かくつけていて(こういう細かいことはわたしに決定的に欠けている能力)、歴史など全然知らないこともたくさんあっていつもお勉強させてもらう。
うむ。わたしにかけているのはこの精緻さだが、生来の面倒くさがり屋なのでしかたないね
ODAで、恐ろしい額のお金が投入され、多くが日本のコンサルタントやたくさんの調査費に消えていく中で、こんなに小さなお金で出せるインパクトってすごいと思う。
(ODAのことはここでは書きません)
すごくまっすぐで着実なDADAの活動は、代表の尾関さんやスタッフの方の真面目さに通じる。
↓DADAの会報。わたしもちょっとだけ寄稿させていただいてるよー。

それにしても、尾関さんとアドバイザーの壽賀さんのお二人がそろうと、いつも「最強だ」と思ってしまう。
(何について最強かはともかく)
お二人には、ハラレのアパートでのお食事に招いていただいたり、たくさんお世話になっている。
そういえば、この前、ジンバブエのチャンギライ首相のご講演後にお昼ごはんをご一緒したけど、ご経験豊かなスーパー大先輩であるお二人とおしゃべりしているといつもたくさんの刺激とたくさんの宿題(?)とたくさんのやる気をいただける気がして、いつもすごく貴重な時間。
ところで、今回の集まりで出てきた、道があって「市」がたって町ができていくというお話。
そこにはたくさんの例外もあって、歴史をひも解いてゆくときっといろんなことが見えてくるんだろう。
そういうこともまた、じっくりと時間をかけて土地の息吹を感じて体にしみこませていく。
そこまでやって初めて、土地のひとたちとの大切なつながりがだんだんと築かれ、太くなっていくのではないかと思う。
そして、Rupurara Moonみたいな活動も、きっとこれまでのそういう土地の歴史とつながっていって、だからこういうクラフトやアートがあるんだと感じながらやっていくべきなんだということが、何やら喜びだと感じた。

↑↑↑ひとり二袋までと言われていたお土産。
強欲でゴメンナサイ
(←全種類あつめた)
右から、ジンバブエのもっともポピュラーな「マコニ」ティーの葉っぱ、緑の粉はモリンガ(とかしてちょっとずつ飲む。その魔法の効用について知りたい人はしらべてネ)、バオバブコーヒー、ブラック・ジャック・ティー(コセンダングサ)、バオバブコーヒー(ミルク入り)、それから、えっと何コーヒーだっけ。パッケージないから忘れちゃったけど、すごくすごくいい香りがする。シアワセ

そして、ミントキャンディーは向こうにいるとしょっちゅうお目にかかるものです。
なんかの会議やら集まりやらにいったり、レストランなんかでもたいていこれがあります。
すごく美味しいものじゃないんだけど、なんだか懐かしいのだ。

にほんブログ村

↑ ★ いつもありがとう。 ★ ↑
☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+. Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト

Facebook "Rrupurara Moon African Beads and Crafts"
DADAは、「アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト(Dialogue and Action for Deveropment Alternatives in Africa and Japan)」。
ジンバブエで活動するNGOで、わたしもよくお世話になっている。
代表の尾関さんに初めてお会いしたのは、わたしがまだジンバブエに行く前のことだった。
わたしはたしかOLをやっていたころだったかしら??(忘れちゃった、えへ

講演を聴いてとてもすてきな女性だなぁと思っていたけれど、自分がその活動地のジンバブエに行くことになろうとは、そのころは思っていなかったなァとしみじみ。
今回の報告会では、DADAがジンバブエでの活動を始めた経緯から始まり、DADAの10年+αの活動の振り返りとこれからについて。
90年代のTICAD(アフリカ開発会議。5年に一度開催され、次回は来年のTICAD V)のときにジンバブエから招へいされたAZTRECという団体のゴネセ氏との出会いにさかのぼり、この団体と一緒にジンバブエ中部のマシンゴ州の村での活動をはじめた。
このAZTREC(The Association of Zimbabwean Traditional Environmental Conservationists Trust)は1985年からこの地域を拠点に活動しているそうで、農業を通して土地を回復させること、伝統的な知恵を受け継ぎ、土地を管理すること、などなど(でいいのかな)を進めている、ほんとうに草の根密着型の活動をしている団体だ。
DADAについては何度かこのブログに書いたことがあるけれど、いつもAZTRECのアフリカの大地に根付いたような活動に寄り添っている。
それは、決して大きな活動ではないんだけれど、ひとつひとつ地元の人たちと築いていく信頼関係は、どこかの先進国の価値観をたくさんのドナーから集められたお金とともに作られた「貧しい国」に落としていくようなものとはまるで対局にある。
この小さなお金で、どれだけたくさんのものを得ることができるか。
DADAという名前にある通り、「対話」が根底にある。
ジンバブエとその土地は、植民地を通じてやはり大きく歪んでしまっていて、いまでも政治的問題が山積みになっている。いつもDADAの会合では、農地区分が書かれたジンバブエの全国地図と、降雨量別に色分けされた地図を隣に並べて語られる。
(ちなみに、わたくしこのネタを大学などで講演するときによくパクリます。ゴメンナサイ

降雨量の多い豊かな土地のほとんどを人工の1%に満たない白人の大農場が占めていた実情。
ジンバブエの歴史・政治経済が落ちていった元凶はここにある。
でも誤解を招きたくないのだけれど、DADAはいつもできるだけデータを集めて真摯な姿勢で正確なことを伝えようとしているのであり、誰が悪いとか悪くないとか言っているのではない。
ちなみに、選挙の記録とかインフレの記録とか、けっこう細かくつけていて(こういう細かいことはわたしに決定的に欠けている能力)、歴史など全然知らないこともたくさんあっていつもお勉強させてもらう。
うむ。わたしにかけているのはこの精緻さだが、生来の面倒くさがり屋なのでしかたないね

ODAで、恐ろしい額のお金が投入され、多くが日本のコンサルタントやたくさんの調査費に消えていく中で、こんなに小さなお金で出せるインパクトってすごいと思う。
(ODAのことはここでは書きません)
すごくまっすぐで着実なDADAの活動は、代表の尾関さんやスタッフの方の真面目さに通じる。
↓DADAの会報。わたしもちょっとだけ寄稿させていただいてるよー。

それにしても、尾関さんとアドバイザーの壽賀さんのお二人がそろうと、いつも「最強だ」と思ってしまう。
(何について最強かはともかく)
お二人には、ハラレのアパートでのお食事に招いていただいたり、たくさんお世話になっている。
そういえば、この前、ジンバブエのチャンギライ首相のご講演後にお昼ごはんをご一緒したけど、ご経験豊かなスーパー大先輩であるお二人とおしゃべりしているといつもたくさんの刺激とたくさんの宿題(?)とたくさんのやる気をいただける気がして、いつもすごく貴重な時間。
ところで、今回の集まりで出てきた、道があって「市」がたって町ができていくというお話。
そこにはたくさんの例外もあって、歴史をひも解いてゆくときっといろんなことが見えてくるんだろう。
そういうこともまた、じっくりと時間をかけて土地の息吹を感じて体にしみこませていく。
そこまでやって初めて、土地のひとたちとの大切なつながりがだんだんと築かれ、太くなっていくのではないかと思う。
そして、Rupurara Moonみたいな活動も、きっとこれまでのそういう土地の歴史とつながっていって、だからこういうクラフトやアートがあるんだと感じながらやっていくべきなんだということが、何やら喜びだと感じた。

↑↑↑ひとり二袋までと言われていたお土産。
強欲でゴメンナサイ

右から、ジンバブエのもっともポピュラーな「マコニ」ティーの葉っぱ、緑の粉はモリンガ(とかしてちょっとずつ飲む。その魔法の効用について知りたい人はしらべてネ)、バオバブコーヒー、ブラック・ジャック・ティー(コセンダングサ)、バオバブコーヒー(ミルク入り)、それから、えっと何コーヒーだっけ。パッケージないから忘れちゃったけど、すごくすごくいい香りがする。シアワセ


そして、ミントキャンディーは向こうにいるとしょっちゅうお目にかかるものです。
なんかの会議やら集まりやらにいったり、レストランなんかでもたいていこれがあります。
すごく美味しいものじゃないんだけど、なんだか懐かしいのだ。

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