ケノシ氏が亡くなってからひと月。

Facebookにも書いたのだけれど、やっと大使館を訪れることができたのが金曜日。


今のボツワナ大使館には知っている人もいなかったので躊躇していたけれど、ある方が公使の名前を教えてくださったのでお電話をし、金曜日の夕方、通い仕事の終業後に急いで行った。

弔問記帳のため。彼の不在を、自分に認めさせるためもあった。


初めてお会いする公使は、まるで1998年に初めてお会いしたときのケノシ氏みたいにとても親切で、ケノシ氏をよく知る方だった。昔から、ケノシ氏のポストを引き継ぐようなキャリアを進み、何かと縁があったという。
大使館が東京に開設された1998年当時、ケノシ氏とともに彼も開設業務に携わったのだそうだ。

たくさんお話した。

なぜわたしがボツワナと出会ったか、どうして大学生のときのボツワナへ行ったか。

自分のライフワークである作家ベッシー・ヘッドに関わることについても、関心を持ってくださった。彼もまた、ケノシ氏のようにベッシー・ヘッドのことはよく知っていた。


私がほんとうにお世話になった年上の友人でもあるケノシ氏は、あのとき一等書記官で、その後、ボツワナ本国や南アでの重要なポストを経て、大使となって日本に戻ってこられた。

彼の執務室はまだ、彼が仕事をしていたそのままの状態になっていて、飾られた遺影が、より彼の不在を色濃くしていた。

涙が止まらなかった。


でも、このような過程を経ることで、わたし自身、前進したと思う。
そして、ボツワナとのつながりや、自分自身がやりとげるべき作家ベッシー・ヘッドにかかる仕事への決意も、強くした。



また新しく、大使館の方と知り合うことができ、新たなつながりができた。



人生はほんとうに短くて、ふとすると、大切なことややるべきことを忘れ、日常や仕事を言い訳に日を過ごしてしまいがち。

こうして、あまりにも哀しい出来事があって初めて、目が覚めるとは、わたしは何と言い訳していいのかわからない。


ただ、少し心を強くしたような、そんな気がしている。

これから先、どんな哀しいことやつらいことがあるかなんてわからないけれど、ただ、やるべきことをこなし、自分と向き合っていくこと、だと思う。



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2007年に再訪した、ボツワナのセロウェ村。

Bessie Head Festivalが開催されてた。ベッシーは、多くのひとに愛されている。

彼女の作品が、映画化されたらいいのに。


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セロウェミュージアムには、ベッシーの原稿や無数の書簡が保管されている。
世界中から研究者がここにやってくる。

大学生だったわたしは、ケノシ氏にお世話になって、ボツワナ政府のリサーチ許可証を取得し、このアーカイブにアクセスすることができた。

そして、ミュージアム併設のこの小さな伝統的なハットに宿泊した。



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