やっと今日、少し書けそうな気持ちになったので、ほんのちょっとだけ書こうと思う。
これからずっと、気持ちも整理されていくにつれ、ことばも変わっていくかもしれないけれど、いま思っていることを。
3月29日に亡くなったそうだ。
駐日ボツワナ大使のプラエンテ・ケノシさん。
訃報が届いたのは30日(金)のこと。
その日は、つい先月までの通い仕事の最終出勤日。お昼休みに所属部の歓送迎会があった直後だった。
ちょうど、スピーチで大学時代にボツワナにいったときのことを話したばかりだった。
わたしは、二種類の契約で合計4年をその組織で過ごし、多くのひとたちに出会い、温かく支えてもらったりしながら多くを学んで大きく変わった。
その最終日、ひとりで生きねば、としんみりしながらも思っていた。そんな日に。
大学時代、3年生のときにアフリカ研究のゼミに入り、あれこれと悩みながらもあるとき、人生を変えるライフワークに出会った。
それが、作家ベッシー・ヘッドだ。
南アフリカ出身で、ボツワナに亡命、そこで亡くなった彼女と彼女の作品。
ボツワナ中部のセロウェ村というところに保管されている彼女の無数の原稿や書簡を、わたしはどうしても見たかった。
だから、ボツワナへ行こうとした。
ごく普通の何にも知らない大学生が、いろんなひとのアドバイスをもらいつつ考えられるあらゆる手立てを尽くし、ボツワナ行きを夢見た。
そんなあるとき、本屋で偶然手に取った「地球の歩き方」。
ほんの見開き二ページしか取り上げられていない「ボツワナ」という国の駐日大使館が、なんとちょうどその年に開設されたことを初めて知った。
1998年、わたしが大学4年生。21歳だったころのこと。
わけのわからない電話をかけて、つながったのが、当時は一等書記官だったケノシさんだった。
ほんとうに真面目で、ほんとうに親切で優しい。背が高くて、外交官なのに無口な印象だけど、会議で発言したりスピーチしたりするととってもかっこいい。
そんなひとが、何にも知らないわたしに、一からいろんなことを教えてくださった。
ボツワナのとっても基本的なこと、文献調査をするためのボツワナ政府の許可のこと、ボツワナ大学のリサーチ学生として登録できること、それから、宿泊できそうなゲストハウスのことまで。
ベッシー・ヘッドに直接会ったことのあるという彼は、わたしの研究テーマにもほんとうに興味を示してくれた。そして長い時間をかけていろんな話をした。
学生だった私に、お昼ご飯や晩御飯を食べさせてくれた。
彼は初めて出会うボツワナであり、アフリカだった。
わたしが大学を卒業してからも、何度かお食事をご一緒したり、大使館のイベントに招いていただいたりした。
彼が日本での任期を終え、ボツワナに帰国し南アに赴任したりしてからも、2007年にわたしはベッシー・ヘッドの記念イベントでボツワナの首都ハボロネを訪れ、そこで彼と一緒にステーキを食べた。(ボツワナのビーフは一級品)
再び日本に戻ってこられて、今度はボツワナ大使になったケノシさんにしばらくぶりにお会いしたとき、わたしは「たくさんお話したいことがあるんです」と彼に言った。
わたしの仕事のこと、Rupurara Moonのこと、ジンバブエのこと・・・・。
彼もまた、いろいろ話したいことがあると言った。
今度、時間を空けるから食事でもしよう。
その約束は、守られることがなかった。
まだ年齢も50代と若い。
癌だったそうだ。
作家ベッシー・ヘッドは、わたしのライフワークだ。
彼女の言葉に魅せられて、アフリカに行ったこと。
そのあとずっと、アフリカを巡って人生を歩んでいること。
彼女のうつくしい書簡、小説。
それらをわたしが自分自身の意識のフィルターを通してうつくしい日本語にしたい。
そう思っている。
この十数年、仕事の忙しさにかまけて、まともに向き合うことができなかったライフワーク。
いまこそ、ほんとうにやれということなのだと受け止める。
彼に、うつくしく訳されて日本語の本になったベッシー・ヘッド作品を見せることが、永遠にかなわぬ夢となってしまったことは、わたしの人生の中で大きな打撃だった。
こんな日が来るとは思っていなかった。
その分、わたしの強い意識は、全うすべき自分の仕事に向いている。
今日、とてもお世話になっているジンバブエ大使と電話でケノシさんのことを話した。
やっと誰かと、この気持ちを分かち合うことができて、心が溶けていくようだった。
4月から始まった新しい職場のカフェテリアから、巨大な東京という街のきらびやかな夜景がにじんでいた。
facebookではまだ、ケノシさんが「お友だち」として残っている。
わたしのデスクには、大学のときから持っている、ベッシー・ヘッドのペーパーバックがある。
(天皇陛下への信任状奉呈へ向かうケノシさん。正装がかっこいい。これ観たらやっぱり心がかき乱される)
これからずっと、気持ちも整理されていくにつれ、ことばも変わっていくかもしれないけれど、いま思っていることを。
3月29日に亡くなったそうだ。
駐日ボツワナ大使のプラエンテ・ケノシさん。
訃報が届いたのは30日(金)のこと。
その日は、つい先月までの通い仕事の最終出勤日。お昼休みに所属部の歓送迎会があった直後だった。
ちょうど、スピーチで大学時代にボツワナにいったときのことを話したばかりだった。
わたしは、二種類の契約で合計4年をその組織で過ごし、多くのひとたちに出会い、温かく支えてもらったりしながら多くを学んで大きく変わった。
その最終日、ひとりで生きねば、としんみりしながらも思っていた。そんな日に。
大学時代、3年生のときにアフリカ研究のゼミに入り、あれこれと悩みながらもあるとき、人生を変えるライフワークに出会った。
それが、作家ベッシー・ヘッドだ。
南アフリカ出身で、ボツワナに亡命、そこで亡くなった彼女と彼女の作品。
ボツワナ中部のセロウェ村というところに保管されている彼女の無数の原稿や書簡を、わたしはどうしても見たかった。
だから、ボツワナへ行こうとした。
ごく普通の何にも知らない大学生が、いろんなひとのアドバイスをもらいつつ考えられるあらゆる手立てを尽くし、ボツワナ行きを夢見た。
そんなあるとき、本屋で偶然手に取った「地球の歩き方」。
ほんの見開き二ページしか取り上げられていない「ボツワナ」という国の駐日大使館が、なんとちょうどその年に開設されたことを初めて知った。
1998年、わたしが大学4年生。21歳だったころのこと。
わけのわからない電話をかけて、つながったのが、当時は一等書記官だったケノシさんだった。
ほんとうに真面目で、ほんとうに親切で優しい。背が高くて、外交官なのに無口な印象だけど、会議で発言したりスピーチしたりするととってもかっこいい。
そんなひとが、何にも知らないわたしに、一からいろんなことを教えてくださった。
ボツワナのとっても基本的なこと、文献調査をするためのボツワナ政府の許可のこと、ボツワナ大学のリサーチ学生として登録できること、それから、宿泊できそうなゲストハウスのことまで。
ベッシー・ヘッドに直接会ったことのあるという彼は、わたしの研究テーマにもほんとうに興味を示してくれた。そして長い時間をかけていろんな話をした。
学生だった私に、お昼ご飯や晩御飯を食べさせてくれた。
彼は初めて出会うボツワナであり、アフリカだった。
わたしが大学を卒業してからも、何度かお食事をご一緒したり、大使館のイベントに招いていただいたりした。
彼が日本での任期を終え、ボツワナに帰国し南アに赴任したりしてからも、2007年にわたしはベッシー・ヘッドの記念イベントでボツワナの首都ハボロネを訪れ、そこで彼と一緒にステーキを食べた。(ボツワナのビーフは一級品)
再び日本に戻ってこられて、今度はボツワナ大使になったケノシさんにしばらくぶりにお会いしたとき、わたしは「たくさんお話したいことがあるんです」と彼に言った。
わたしの仕事のこと、Rupurara Moonのこと、ジンバブエのこと・・・・。
彼もまた、いろいろ話したいことがあると言った。
今度、時間を空けるから食事でもしよう。
その約束は、守られることがなかった。
まだ年齢も50代と若い。
癌だったそうだ。
作家ベッシー・ヘッドは、わたしのライフワークだ。
彼女の言葉に魅せられて、アフリカに行ったこと。
そのあとずっと、アフリカを巡って人生を歩んでいること。
彼女のうつくしい書簡、小説。
それらをわたしが自分自身の意識のフィルターを通してうつくしい日本語にしたい。
そう思っている。
この十数年、仕事の忙しさにかまけて、まともに向き合うことができなかったライフワーク。
いまこそ、ほんとうにやれということなのだと受け止める。
彼に、うつくしく訳されて日本語の本になったベッシー・ヘッド作品を見せることが、永遠にかなわぬ夢となってしまったことは、わたしの人生の中で大きな打撃だった。
こんな日が来るとは思っていなかった。
その分、わたしの強い意識は、全うすべき自分の仕事に向いている。
今日、とてもお世話になっているジンバブエ大使と電話でケノシさんのことを話した。
やっと誰かと、この気持ちを分かち合うことができて、心が溶けていくようだった。
4月から始まった新しい職場のカフェテリアから、巨大な東京という街のきらびやかな夜景がにじんでいた。
facebookではまだ、ケノシさんが「お友だち」として残っている。
わたしのデスクには、大学のときから持っている、ベッシー・ヘッドのペーパーバックがある。
(天皇陛下への信任状奉呈へ向かうケノシさん。正装がかっこいい。これ観たらやっぱり心がかき乱される)
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