リビアのカダフィ大佐が亡くなったという報道がどんどん駆け巡っている。

重要なのは、真偽のほどがわからないということ。
それから、親の仇でもとったかのように、「死んだ」からすべては解決するというのではないということだ。


国際社会で「独裁者」や「テロリスト」と称される人物のうち、社会の流れにもみくちゃにされてたくさんの血が流されて、そしていきなり「死」という派手なクライマックスを迎えるというパターンは、これまで歴史上にどれくらいあったろう。

そのたびに、ものすごく取り返しのつかない過ちが歴史の中に刻まれていってしまったような強烈な嫌悪感を覚える。

たぶん、誰かの「死」を「正義」と捉えることへの違和感だと思う。

その派手な「演出」で、大切な何かが巧妙に隠されてしまったのではないかという強烈な不安である。





他ならぬジンバブエのムガベ大統領もまた、英植民地からの独立のための解放闘争の英雄であったにもかかわらず、残念ながら欧米から嫌われ「独裁者」と呼ばれる人物のひとりだ。


なぜだかわからないのだけれど、ベリーダンスの発表会のドタバタが終わった土曜日くらいから、ぼんやりとムガベ大統領のことを考えている。ちょっと気持ちの底の方が、何故か落ち着かなくなっているのを感じる。
彼も87歳なわけだ。
最近でもまた、シンガポールに治療に行ったことが報道されている。

もし、「その日」が来たら、ジンバブエという国はどうなる。欧米はどう出る。


今年の8月、軍の元司令官ソロモン・ムジュルが突然ファームハウスの火事で亡くなったことはこのブログにも書いたが、ジンバブエでも、黒いシナリオを思わせるように派手に命を落としていく人物が少なくなかった。

政府は、ムガベ大統領が終身大統領だという言い方をする。(die in the office)

ポストムガベ大統領がどうなるのか。

今、あの国にある問題は、欧米の「悪」の象徴みたいになっているムガベ大統領が亡くなったところで、変わりはしないと思う。

でも、いったい何が起きるかは、やっぱりわからない。


大統領選挙のときみたいに、J-WaveのJam the WorldがCutting Edgeへの出演を依頼してきたとしたら、今度はいったい、何を言えばいいのか。わからない。


したり顔で、語りたくはない。(注:ラジオは顔が見えない)




「死」を捉えて正義を語りたくはない。

それでは、何かが決定的に違っていると思う。

社会は生きていて、歴史は、時間は、そんな演出では決して止まることがないからだ。
特定の人物が死んだからといって、その社会が抱えた歪みは、消え去ることはない。

誰かが何かをカモフラージュしたかったのだったら、どうなる?





次にジンバブエに行くのは、年明けくらいかもしれない。


年に2回ペース、行けることに感謝したい。

少なくとも、縁がある国ではあるのだから。


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