やわらかすぎることばかり書いているので、ちょっとめんどくさい感じのこともひとつ。
さっき、ふと思ったこと。


形式知が比較的重視されるといわれる欧米に比べ、日本は暗黙知が重視されがちな社会であるというのは色んなところで聞くし、体験的にも何となくそう思っている。
どちらが良い、というのではなくね。

暗黙知というのが言語化されない知識で、且つ、ある社会の中で共有されるものなのだとしたら。

なんとなく日本の社会では、暗黙知のなかに構築される形式知的なものがあるんじゃないかと思う。まぁ、それを「形式知」と呼ぶかと言うと疑問なのだけれど、たとえば日本には新しい概念があって、それを社会がどんどん定義づけていって、やがて皆が定義を言語化していく。そしてそこには、もしかしたら最初と違った概念として日本の中で「ローカライズ」されてしまうという現実さえある。


ある種のルールみたいなものを「暗黙」のなかで構築し、それに則っていることで安心する社会。そして、やがて排他的なものを作ってしまうとか。他の概念を受け入れなくなっちゃうとか。

それを偏見とか呼ぶのかもしれないけれどね。


アフリカに関する先入観も、なんとなくそういうもの。
だんだん勝手に構築された「イメージ」というルールのなかにいることで安心していく社会。野生動物、飢餓、紛争、独裁。
そういうものを越えたもの、つまり大都会とか富裕層とか、そういうものが「アフリカ」という構築された「知」のなかに入ってくると、シャットダウンしてしまうような文化が、この国にはどこか残っている。

CSRという概念に対してもそうだ。
そこに、新しい意味を作ってしまった。そしてそれを言語化してしまった。


社会の中で、言葉の意味も変わる。新しい言葉も生まれる。

でも、「定義」とか「ルール」を決めることで安心してしまう社会は、どこか恐ろしい気もする。


なんてことを、お風呂に入りながら考えたわけです。


以上。


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