cd5e126b.jpgイージス艦の事故、ほんとうに心が痛みます。
嘘とか、秘密とか、責任のなすりあいとか、そういうことをしている場合じゃないのに、そういうことばかりに終始する人たちの何と多いことか。しかも、すぐに「責任を取って辞任しろー」って言ったって意味が無いのではないですか?全然本質的じゃない。辞めてどうすんの?また同じことがおきるの?
肝心なのは、「命」なんですよ。
何かが歪んでるよ・・・。



今日、ジンバブエでちょっとだけお世話になったある国連職員の方からメールの返信があった。一ヶ月以上も遅れての返信だったけれども、とても丁寧な内容だった。
彼は、現地でけっこう重要な役職についておられて、ほんとうに忙しいはずなのに、遅れてもわたしのメールに返信するのってすごいと思う。

わたしのメールの内容としては、簡単に言うと、もう去年ぐらいからずっとわたしはある国連機関の仕事に関心を持っていて、奇跡的に募集が出たので応募したのだけれど落ちました、今後、どのようなキャリアを積めばよいと思われますか、云々、アドバイスくださいというようなもの。

彼は以下の三点をメールで書いてくれた。

一点目。そのポスト自体はわたしもよく知っている国連機関のインターナショナル・スタッフ(アフリカ人)が採用されたとのこと。もちろん彼はとても優秀で経験豊富。(わたしにはかないっこないので)

二点目。彼は、現地スタッフを育てたいと思っている。(いまでもけっこう優秀な人たちがいる)彼らを育てて、インターナショナル・スタッフがいなくなっても継続していけるようにするため。

三点目。我々の仕事に関心を持ってくれてうれしい。これまでどおりウェブサイトの募集をチェックし続けてトライしてね。グッドラック。


おお。
ありがたいですね。涙でそうですよ。(´Д⊂)

確かに、現地スタッフは育てなければいけないよね。いずれ、国連機関の開発関係の仕事なんて、ミッションを達成して撤退するのが究極の理想なのだから。


国際協力のキャリアについて、ほんとによく考える。
大学院を終えてからずっと、わたしはほぼ継続的に就職活動をし続けている。一般の人に比べたら、ものすごーくたくさん落ちまくっているだろう。もっとも国際協力系のキャリアを目指す人はこれぐらいしているだろうけれど。

いつもいつもそうなのだけれど、経験が無ければ採用されない、でも経験を積むためには採用されなきゃいけない、という繰り返し。ジレンマ。
それでもわたしは、無理やり入り込んできて今までのキャリアを勝ち取ることができた。コネとかでもなんでもなく、ほんとうに真正面からぶつかることしかしていない。だから余計落ちるのだと思うけど。

この世界、ほんとうに狭いというか、仕事としてはほんとうにやりづらい場所だと思う。

年だけ取っちゃったなー(もう三十超えたし)という感じがする。

でもね、わたしは与えられるものだけを待っているつもりは無い。
運命とは自分で切り開くものなのだ。

外界からやってくるもの、そして自分で求めるもの。
この二つが合わさったとき、新しい道が開けるものなのだよ。

「国際協力」というくくりで自分のキャリアは見ていない。国連で働いたりするのはひとつのステップではあると思うけれど、わたしの中の答えでは全く無い。
アフリカとつながるためには、いろんな要素があるのだ。それをわたしは、三十代の十年間をかけて形にしていきたいと考えている。

今年はちょっとずつ、面白いことが進みそうだ。

追記:
上記の写真は、ジンバブエから南アへ渡る道。ベイトブリッジだよー。


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