amar

今週は、歴史的へこみ週間の あふりかくじら です。どうぞよろしく。
本日は、ベリーダンスのレッスンにも行き、昨日より人間性を取り戻しましたよ。あとは、魂と体力が戻るように願うまで。


写真は、アマル・ガマルAmar Gamal、わたしの敬愛するベリーダンサー。このインタビュー記事を見ながらいつも思う。
この記事は充実していてとても読み応えがあり、アマルの人柄がよく伝わってくるよい記事だと思う。そして、そのいちばんの理由は、アマルの「言葉遣い」ではないだろうか。

アマルは、自分がベリーダンスを続けてきて、ぶち当たった壁とか、苦労したこととか、素晴らしさなんかをたんたんと語っている。それはもちろん、彼女自身が英語で喋ったことを、記事を書く人が日本語に直したものであろう。
それはとても親しみやすくも丁寧な「ですます調」の日本語になっている。


いつも気になっているのだが、たとえば音楽雑誌とか、ちょっとした記事などでハリウッド女優へのインタビューを載せるとき、たいがいがひどい言葉遣いでうんざりしてしまう。ものすごくはすっぱな感じとか、「〜だぜ」を繰り返したりとか、普通、ちょっとありえない言葉が、そのような記事では非常に一般的になっている。

たしかに、英語には日本語のようにはっきりした「ですます調」の敬語はないが、それにしても普通インタビューに良い大人が応えて「〜〜だわ」とか「だぜ」なんて言うはずはない。いくらラッパーとか、がきっぽいミュージシャンでも、「だぜ?」なんていわんだろ?もし彼らが日本語にとても通じていて、自分がこんなキャラで描かれていると知ったら、そりゃあんまりうれしくないだろう。

なんというか、翻訳を通じて、キャラを作ってしまっているのである。
しかも、勝手に。これってかなり罪深いことだとわたしは思う。だって、ひどいじゃない?「○○なのよ」なんて、あんまりインタビューで大人の女性が言わんでしょ?
軽すぎ。

偏見かもしれないけれど、経験上、こうやって過剰な「女言葉」を翻訳にのせるのは、男性が多いように思う。
ものすごく、「○○だわ」とか入れちゃうひと。でも、たとえばその原文を喋っている女性あるいは女性キャラクターは、どうかんがえても、そのようななよなよとした「女言葉」を喋りそうになかったりする。しつこいくらいの「女言葉」は、女に見せようとする書き手の努力か、それとも女性に対する願望なのだろうか。
言葉遣いが非常に悪いわたしが言うのもなんだか妙だけれど。

なーんてことを考えつつ、わたしはまた無料の翻訳仕事を請けます。ふぅ。


Belly dance Japan (ベリーダンスジャパン) vol.1
Belly dance Japan (ベリーダンスジャパン) vol.1



ちなみに、上の雑誌は「ベリーダンスジャパン」、はじめてのベリーダンス専門誌だそうだ。とっても内容が充実して、写真もたくさんあるし、かなり質が高い。もうすぐ二冊目が出る様子。


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