f4742594.JPG本日、引きこもり○日目。(すでに不明)
とろけるように暑い。一日中翻訳。仕事はなんとか進んでいる。明日で終わりそうだ。


ナミブ砂漠というものを昔から一度は見てみたかったのだけれど、今日は「世界ふしぎ発見」でナミブ砂漠の北のほう、アンゴラ国境近くのヒンバという人々を特集。ロンリープラネットとかテレビとかでは見たことがあったけれど、ナミブ砂漠ってとっても赤くてなんて美しいんだろう。そしてこの青い空のコントラストといったら。
もう、息を飲むほどに美しい。
惚れ込むような赤なのだ。

おお。憧れのナミブ砂漠。

そしてヒンバの人々のうつくしさといったら。
「モロ」って挨拶、ショナ語の「モロイ」と似てるね。Helloの意。

アフリカはどこの国も、とても色鮮やかな世界だと思う。(まあ、南部アフリカの一部しか知らないけどさ)
つまり、鮮やかな赤とか、抜けるような青空とか、白い雲とか。
そして女性たちの飾りや、赤土。

番組はなかなか面白い特集でした。
そして、気づいたことがいくつかある。

まずひとつは、ナミビアの「今」を短い時間でよく表現したということ。アフリカに関して受け狙いの安っぽい番組だと、「未開文明」みたいな感じで彼らの「めずらしい」ところだけばかり撮り、街などは映さないのが今まで普通だった。わざわざ、日常ではシャツを着ている人たちに皮の腰巻を着せて槍を持たせて撮影するという話も聴いたことがあるくらいだ。

でも、今回はきちんと都会であるウィントフックの街を映し、小さな田舎町を映し、ヘレロやヒンバの人々を映していた。ヘレロの女性が頭に巻いた布から携帯電話を取り出すところまで。つまり、「アフリカ=野生動物・自然・未開部族」ではなくって、ちゃんと色んな側面を映している。いままでこういうことは、まぁわたしの知る限り極めて少なかった。

それから、「部族」ということばを多用しなかったこと。
スタジオやナレーションでは、「ヒンバ族」ということばは出なかった。(一度だけ出たが)皆、「ヒンバの人々」と言っていたのである。これはけっこうな進歩に思える。いままでのテレビ番組だと、「タレント○○が、ジャングルの「部族」○○族に出会った〜」というのがお決まりだった。

では訊こう。
「部族」と「民族」の違いは何か。なぜ、アフリカだと「部族紛争」と呼び、ヨーロッパだと「民族対立」というのか。
何故、セルビア「人」と呼び、マサイ「族」というのか。

さあ、この違いを納得いくように説明してみてくれ。どうしてこのような使い分けになるのか。

こうして変な使い分けをしてアフリカへのイメージのゆがみを助長させたのがいままでのバラエティ番組であった。そして、絶対にビルや車を映そうとしなかった。「部族」のひとたちが携帯を使っているところなども映さなかっただろう。

アフリカらしい「赤」をきれいに映し出してくれたこの番組。よく作ってあると思う。



ちなみに、外務省でもこのことばを多用している。
非常に残念である。