仕事でくたびれきった午後、思わずデスクに突っ伏して目を閉じた瞬間、流しっぱなしにしていたNHKのニュースが特集を始めた。

早稲田大学の卒業式。思わず、はっと顔を上げた。
そう、早稲田大学。「あのひと」は卒業したんだ。
わたしの知っているあのひとの顔が、テレビに大写しになる。名前が出る。

若い学生たちに囲まれて、彼女はほんとうにいい笑顔をして笑っていた。
なんだか、一瞬時空を越えて色んなものがよみがえってわたしの上へ降ってきた。

零、君のお母さんは大学を卒業したんだね。
君が入学して、そして卒業することができなかった、早稲田大学。
あのあと君のお母さんは、大学に入学したんだったよね。


19歳だった君が突然の交通事故でこの世を去ったあのショックを、わたしは忘れることがない。あれからもう7年なんだよ。

初めて会ったときの君は、16歳の高校生だった。
出会いは覚えている?
わたしが福祉研修旅行というスタディツアーでスウェーデンに行ったすぐあとだった。1997年のこと。
わたしは、自分より一回り上の女性とスタディツアーで出会い親しくなった。帰国後、彼女を通じてほんとうに偶然出会ったのが君だった。わたしは20歳だった。

零―…。

四人で集まってお茶を飲んで、スウェーデンについて語り合った。
君は、スウェーデンに留学するつもりだったんだよね。そしてわたしたちとの偶然のめぐり合いがあった。

でも、君は終始つまらなそうな無愛想な顔をしていたね。よく覚えてる。
まだ高校生だったし、そしてきっと年上の人たちの話に、最初なんだか拒否感を覚えていたように感じた。
だけど、時間がたつにつれて夜になると、君はどんどん打ち解けてきた。
そして、わたしの年上の友人の話を、目を輝かせて聴いていたよ。彼女はとても独立心の強いひとで、そしていつも新しいことに挑戦して自分の人生を勢い良く切り開いていた。わたしがひかれていた彼女のその魅力に、君の心がひらいてきたんだよ。
彼女が一瞬席を立ったとき、二人だけになったとき、わたしは君に言った。
「彼女、ほんとにすごいでしょ」という意味のことだったんだと思う。

君は、はい、と心から言って、微笑んだ。
ほんとうに、はにかむように微笑んだ。
あの表情、ずっとずっとわたしの脳裏に焼きついているんだよ。
君が笑った、って。心に届いたんだ、って。
君は、この出会いでほんとうに変わったんだ。
すごく圧倒されて、そしてあたらしい世界をみたんだ。


あのときおしゃべりをしすぎて夜遅くなったね。終電に間に合った、とほっとした表情をして、ホームに消えた君の姿を見たのが、ほんとうに最後だった。



スウェーデン留学に行ってからハガキをくれたね。
わたしも書いたと思う。いまでもわたしの古い手帳には、君が書いてくれた君の実家の住所が残っている。君の手書きの。


君が帰国してきて、大学に入って。
あの2000年という年は、忘れない。

君のお母さんが「生命のメッセージ展」というアート展を始めた。
その知らせを聞いて、わたしは君の死を知った。
ほんとうに、ショッキングな死を。

あの展示会を、良く覚えている。
君の等身大パネル写真。お母さんの書いたたくさんの詩。赤い糸。
もう、胸がいっぱいで、息が苦しくて。
君の笑顔で、あたまがいっぱいになっていった。

お母さんの詩、怒りと哀しみと憎しみに満ちていた。
すごく苦しかったよ。ひどい事故だったのだもの。ニュースで何度も取り上げられていた。あのひとの署名活動が、悪質な交通事故加害者への処罰を重くすることに成功した。

でも、あのとき、目に涙をためながら苦しみのなかに生きていた君のお母さん。
その詩は、ほんとうに辛いものだった。見ていてあまりにも痛々しくて、わたしは君のお母さんに何も言ってあげることができなかったんだよ。

零と、零のお友達は、その事故で一緒に旅立ってしまった。
19歳だったふたりのために、お母さんは小さな素焼きの人形をたくさん用意した。世界中を旅してみたかった二人のために、この人形を外国に連れて行ってください。そして、写真をとって送ってくださいね、って。
数ヵ月後、アフリカ研究の修士号をとりにエディンバラ大学に留学したわたしは、うつくしく歴史あるその愛する街を見下ろせる丘の上に、君の人形をそっと置いた。零─…、君に見せてあげたい景色だよ、って。
お母さんはわたしの手紙に返事をくれた。
「零のぶんまで、がんばってください」



わたしは、お母さんのあの辛そうな顔しか見ていなかった。

だけど、見て。
いま、テレビに映っているあなたのお母さんは、なんてすてきな笑顔なんだろう。
君はきっとほんとうにこういっただろうね。
「共子さん、こんどはあなたの人生を生きなよ」

涙が出そうになったよ。
あなたのお母さんの、すてきな姿を見て。


ねぇ、零。わたしは生きている。
去年わたしが交通事故に遭ったとき、どれほどあなたのことを考えたろう。
南アに飛んで、大きな病院に入院して、全身麻酔をかけて手術をした。
わたしは生きているよ。ねぇ、あのとき死ななかった。あのひどい事故で。車がぺしゃんこにつぶれてしまったのに、わたしは生きていた。

病院で、ずっとずっと、ぐるぐるとあなたの笑顔が回っていた。
生と死の幻影みたいなものにうなされ、フラッシュバックをなんども経験した。血の気が引いた。身体がふわりと浮いて、そして沈むように。

あなたの死とわたしの生の間に、はたしてどれくらいの違いがあったのだろう。それを思うと、何だかもうめちゃくちゃに泣きたくなった。
ほんとうに枯れそうなくらい、涙が出たよ。ずっとずっと泣いていた。

わたしの身体に傷は残っている。
でもわたしは今、こうしてジンバブエで仕事をしているんだよ。
そして、何年もたった今、ニュースであなたのお母さんをみている。

そして懐かしい君の写真を、NHKで見ている。
あのときの笑顔を思い出しながら、ここジンバブエで。


わたしは、わたしに与えられた命を精一杯生きる。
アフリカで、生きる。



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生命のメッセージ展」メインサイト

*零のお母さんのことは、映画になったそうです。
『0(ゼロ)からの風』