最近、あらためて思うことがある。勉強していることを外に向けて発信していると、不思議なほど関連する情報が集まってくる。まるで、こちらの動きに世界が少し反応してくれるように。日本では「まだ自分は十分じゃないから」「もっと勉強してから」と言って、発信をためらう
2025年10月
「ひとり出版社」という言葉―タンザニアの起業家から学んだこと
ひとり出版社という言葉をよく耳にする。わたし自身も例外なくひとり出版社なので、その言葉を自ら使う機会は多い。昨今、メディアなどで話題になるひとり出版社は、従来の出版社とは一線を画すオリジナリティのある本やこだわりのある本づくりなど、ユニークなビジネスモデ
「アフリカといえば動物?」の先へ――ベッシー・ヘッドを届けるために、対話の土壌を作る
「アフリカといえば動物?サバンナ?でも本当は違うんです」こういう問いかけを、何度聞いただろう。そのたびに感じる違和感と疲労感。どこか相手を見くびり、アフリカへのリスペクトを欠き、「自分はアフリカを知っている」という上から目線が透けて見える気もする。アフリカ
現場のリアルを物語で読む ― 『雨雲の集まるとき』と開発協力
文学の世界ではなく、開発協力の実務の現場に身をおいてアフリカと関わってきた自分にとって、ベッシー・ヘッドの『雨雲の集まるとき』は、フィクションであると同時に、一種のフィールドレポートでもある。プロジェクト会議でも報告書でも拾いきれない、人々の沈黙や軋みが
雨を抱えて旅に出る—福岡、文学フリマの週末
深夜にご注文が入ったので、特典冊子を含めた配送セットを慌てて整え、一筆箋をバッグに押し込んで家を出る。出発の早朝6時、羽田空港へ。家を不在にするときは発送ができないし、出発前日夕方までの注文で受付を締め切るとお知らせするのはいつも出張の度にしてきたこと。雨
想像力の不在と分断の時代―ベッシー・ヘッドが照らす差別の根源
11歳のとき、わたしはアメリカの小学校に通うことになった。日本での暮らししか知らなかった子どもが、ある日突然、異国の教室に放り込まれる。英語はできず、友だちもいない。けれど、同じ年齢の子どもたちと机を並べているのだから、本来なら対等であるはずだった。しかし





