『あふりかくじらの自由時間』

南アフリカ・ボツワナの作家「ベッシー・ヘッド」の紹介をライフワークにしています。アフリカのこと、ベリーダンスのこと、日々のこと、旅のことなどを綴っています。

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Hitomi Yokoyama / Amelia / あふりかくじら
南アフリカ・ボツワナの作家「ベッシー・ヘッド」の紹介をライフワークにしています。
詳しくは⇒ 『【BHの命日35年に寄せて】セロウェの夜明け〜作家ベッシー・ヘッドと出会ってから今までのこと』

■国際協力コンサルタント
ベリーダンサーAmelia
■著書『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた』
『Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト』
メインサイト『あふりかくじらの自由時間』

更新情報

学部を卒業して何年も経っていない、まだ二十代前半のころだったと思う。大学のサークルの同級生が、たまたま出版社で編集の仕事をしていた。詳しい経緯は忘れたけれど、わたしがやっていることに興味を持ってくれて、会って話をしようと声をかけてくれたのだ。当時わたしは
『ベッシー・ヘッドを巡る「雨風の村」のストーリー』の画像

大変な年の始まりになってしまった。年末年始は、事故や怪我、火事などの大事が起きてしまいがちなのかもしれない。慌ただしく用事をこなしたり、いつもならやらないことをやってみたり。気持ちも忙しなく浮ついてしまうからでもあるだろう。わたしたち家族も、この年末年始
『年末年始の一大事〜自分自身の背筋を伸ばして』の画像

とうとうこの日を迎えてしまった。2024年12月13日、わたしは作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いついた。初めて彼女の存在を知り、その作品に感銘を受けたのが大学の学部生だった20歳ごろ。ボツワナに行ったのが1998年で21歳。彼女の長編小説を自分が翻訳出版したい
『ベッシー・ヘッドの年齢に追いついた日』の画像

今年十月末のこと。文学フリマ福岡に参加するために福岡に滞在してとき、祖母が亡くなったという思わぬ知らせを受け、次の週に急遽仙台へ向かうこととなってしまった。翌週の土曜日、祖母の葬儀を終え家族と別れた翌日に、沈む気持ちに浸ってばかりもいられない、とにかく自
『アパルトヘイトの「ドラム・ジェネレーション」〜写真家アーネスト・コールとベッシー・ヘッド』の画像

南部アフリカの内陸国ボツワナでも、この11月で新大統領が誕生した。独立以来初めての政権交代は、ボツワナにとって紛れもなく歴史的であり重大な出来事だ。2024年10月30日に実施された選挙により、野党Umbrella for Democratic Change (UDC)が国民議会の61議席中36議席を獲
『ボツワナ民主主義の希望、58年後の政権交代』の画像

これぞ文学という骨太のずっしり感と、読者の心の的を正確に狙った強烈な一撃のような作品だった。文学作品は明確な答えを与えてくれない。読者という個人はそれぞれの世界を脳の中に広げていく。圧倒的な才能と技術力の強い余波が、自分の脳の中で感じられる。斎藤真理子氏
『虐殺、そして生と死をまたぐ愛『別れを告げない』ハン・ガン』の画像

土曜日は、雨雲出版の何度目かのイベント出店だった。武蔵野公会堂で開催されたZINEフェス吉祥寺は、大勢の出展者と来場者でにぎわっていた。イベント出店のたびに多くの方と交わす会話が、雨雲出版にとってもわたし自身にとっても貴重だなぁと毎回感じている。それぞれ、ア
『ZINEフェス吉祥寺で出会ったひとたち、なぜひとり出版社をやるか』の画像

我が家の暮らしには、いつもサメがいる。朝起きてもそこにいる。日中も、家に帰って来ても、夜も。いつもそこにいて、癒してくれる大切な存在だ。サメとはイケアのシャークである。品名はブローハイで、日本語で言うヨシキリザメなのだそう。あまりの人気で、サメに服を着せ
『生活の中心にサメがいる』の画像

2001年9月11日、スコットランドにいた。エディンバラ大学のアフリカ研究センターの修士課程に在籍中で、あと一週間で修士論文を提出しなければならない追い込みの時期だった。わたしは、大学の寮のフラットを二人のアメリカ人とシェアしていた。その日の午後、大学の寮の部屋
『ニューヨークの9/11メモリアルとテロのない世界』の画像

今年の祇園祭のころ訪れた京都で、いくつかの書店に足を運んでみた。旅先でわりと訪れるお決まりの場所といえば図書館だったのだが、ひとり出版レーベルの雨雲出版を始めた昨年からは、あらためて小規模な書店を巡ってみたくなったのだ。パートナーが関わっている仕事につい
『重なり合う「プロ」と「アマ」の世界〜京都のシェア型書店』の画像

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