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ベッシー・ヘッド

セレツェ・カーマとベッシー・ヘッド。

早川千晶さんが紹介されていたのだけれど、セレツェ・カーマのとってもドラマティックな人生の映画実写化。
もちろん実話でしょう。


英国保護領下のベチュアナランド、隣国南アフリカではアパルトヘイトで真っ只中の時代。

人種主義の嵐の中、英国留学した王族のセレツェ・カーマが、英国の白人女性ルース・ウィリアムズと結婚したお話はあまりにも有名。


ロザムンド・パイク主演、実話にもとづいたアフリカ人王子とイギリス人女性の恋を描く『A United Kingdom』


↓わー。すてき


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わたしが学生のころからもうかれこれ二十年ほど追いかけている作家ベッシー・ヘッド(ベッシー・アメリア・エメリー)は南アフリカ出身で、ベチュアナランド(現在のボツワナ)に亡命してセロウェ村に暮らしたひとで、ずっとこのカーマ一族の物語を追いかけて、それをモチーフにしたフィクションを書いたり、歴史小説を書いたりした女性。

彼女のことを追いかけるのはわたしのライフワークでもある。

そんなベッシーも愛したカーマの物語。

これが映画になっているなんて、ベッシーは1986年に48歳で亡くなっているんだけれど、もし生きていたらどれだけ感動したことでしょう。(というか一緒に観に行きたい




セロウェ村はカーマ一族の地。

博物館にもたくさん資料があり、お墓などもあります。

ベッシー・ヘッドもそこに眠っています。


この写真、本物の二人?


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これは、セロウェかな。


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セレツェ・カーマについてはこちら。

あと、もちろん読んでいただきたいのが、そんなベッシー・ヘッドを追ってセロウェ村に行った大学生のときわたくしのお話。

これは、詳しい背景や経緯などは省いて、そのとき感じたことと今になって思うことを書いている作品です。





それにしても、この映画、日本では上映されていないのです?

観たい。

ちなみに、作家ベッシー・ヘッドのことを短編映画化したひとはいる。ちょこっとわたしのベッシーのイメージと違ったけど。


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ベッシー・ヘッドのことを伝えるというより、自分の見た心動かされる風景のことを伝えたい。

4月17日は敬愛する作家ベッシー・ヘッドの命日です。

1986年にボツワナはセロウェ村にて48歳の若さで肝炎で亡くなったので、今年でちょうど30年ということになります。

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 生きている彼女に会うことはなかったけれど、大学生だったわたしが現在まで彼女のことを思い続けた日々は、いつしかずいぶんながくなっていました。

ダウンロード

(彼女のことはわたしのメインサイトに書いてあります)





これは、1998年に初めてアフリカに行ったときの写真。

ボツワナのセロウェのカーマ記念博物館で、彼女の膨大な文献資料(原稿、書簡、ノートやメモ帳も)を手に取っていたときの写真です。

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これが、わたしの泊まっていた小さな小屋。

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わたしはまだ、彼女の作品の翻訳を出版することが実現できていないし、これはライフワークなので絶対にあきらめるつもりはないけれど、自分自身が年を重ねるにつれ、彼女のことばの感じ方もどんどん変わってきているような感覚があります。

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なんというか、全ての「感覚」をわたしは大切にしたいと思うのです。
彼女のことばが、わたしを通して「生きる」みたいなイメージを持つから。

そして、何度読んでも泣けてくる彼女の小説の一節があります。

その一節のためだけでも、わたしはこの本をわたし自身のことばで届けたい。

今年出版したKindleのエッセイ本『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした』に書いた文章の一部です。


 時が満ちるということがあるのかどうか、未だわたしには確信が持てない。でも、少なくとも、夢中で翻訳していた当時のわたしよりも、気づけば九年後のわたしの方がより深く彼女の作品を理解していた。訳を全て一から見直し、完成させた。彼女の言葉のうつくしさに感動し、訳しながら涙がこぼれてしまうことが何度もあった。

 その彼女の作品のなかで、このような文章がある。翻訳しているその作品の、もっとも重要なキーとなる言葉のひとつだ。主人公ではなく、別の主要人物の口から、ベッシー・ヘッドの自伝的存在である主人公に向かって発せられるこの言葉に、わたしは何度泣いたことだろう。

 

「大地に川は見えないかもしれないけれど、私たちは心の中に川を抱いている。だから、すべての良いことや良いひとたちは、雨と呼ばれるのです。ときどき、わたしたちは空に雲ひとつなくても、雨雲が見える。すべて、私たちの心の中にあるのです」

英語で書かれているが、これはまさにツワナ語の「プラ」のことだ。つまり、ケノシ氏の名前だった。




 
ケノシ氏は、わたしが誰よりもベッシー・ヘッド作品の翻訳版を見せたいと思っていた大切な方です。
そして、それは実現することのないまま、彼は亡くなってしまいました。

その方のことは、この本に詳しく書いています。

ボツワナは、わたしにとって深い思いのつながる国なのです。

ダウンロード (1)



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わたし自身、翻訳をしながら彼女の文章に触れ、いちいち涙がでたり。

翻訳を出版するということは手段のひとつ。
伝えたいことは、彼女のことばに込められた深い思いとうつくしさ。それを伝える「わたし自身」のことだったりするのかもしれません。

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いまも、セロウェ村に眠る彼女。

こうしてわたしも、未だにアフリカにずっと関わっています。

(抜粋)

 大学を卒業してから今まで。その後のわたしは、ずっと心にアフリカを抱えて生きている。何年も経ってからようやく国際協力の仕事にも就くことができ、たくさんの困難にぶつかってもがき、苦しい思いもして、またすばらしい出会いも紡いでいる。その間、ずっと心に響いているのは、ベッシー・ヘッドの声だ。彼女の有名な言葉の中に、このようなフレーズがある。

「どういうわけか、ほんとうに偶然、わたしはこの小さな村に流れ着きしばらく留まることとなった。それまでの人生をずっと、散り散りとなった破片のような中で生きてきたが、どうしてかここにいると、その破片たちがまとまり始めたのだ。まるで織り合わさるような感覚である。ひとつになっていくような。わたしが愛したものたちが、自分の中で布の一片のようにつながり始めたのである」

 このことを、彼女を思い浮かべるたびに、まるで自分自身の感覚であるかのように思い返す。わたしもまた、セロウェ村での静かな時間で、このような感覚の断片を感じ取ったような気がしていた。


いま、ザンビアというボツワナとジンバブエというわたしに縁のある国と国境を接する国に来ていて、これを書いています。

ほんとうにいまつくづくと、ルサカのサービスアパートメントのダイニングカウンターでMacBookAirを開きながら思うのですが、心の中にひっかかった思いを掴んで進み、選び取ってきた人生は不思議です。

ここまで綴られてきたわたしの人生って、ほんとうに幸せだなと思うのです。

たくさんの感謝の気持ちにあふれています。

これからの人生にどんなことが開けていくのか。

ずっと自分の心の中とちゃんと向きあいながら生きていきたいと思います。

ベッシー・ヘッド(ベッシー・アメリア・エメリー)のミドルネーム「アメリア」をダンサーネームとしたいただいたのですもの。(勝手に)

これからも、わたしはわたし自身として、自分の心のわくわくと喜び、敬愛するベッシーやたくさんのひとたちへの思い、感謝の気持ちを大切に、幸せに生きていきたいなと思っています。



大切なひとたちすべてに、ありがとうを言いたい。


今日は、ベッシー・ヘッドの命日です。







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内容を一部だけご紹介してます。『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた』

大学生だった90年代終わりから現在に至るまでの思いが詰め込まれたエッセイ本。

『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた』


ほんの少しだけ、中身をここにご紹介します。

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わたしが何かにとりつかれたかのように一気に書き上げた20年分の心の中にとどまっていた思い。

デニーズで5時間粘りながら、ひとりで涙流しそうになって書いた「泣かせどころ」は、ここには載せませんので、ぜひ本の中で

この大切なことを本当に書きたかったので、幸せ。

次は、どこへ向かうのか、自分の人生にワクワクしています。


読んでくださった方、心より感謝しています。ありがとう。





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Kindleという面白いツールがある時代です。

Kindle本を出版したという話をしていると、周囲から、そういう方法があったのかという声もいただきます。

まだまだ知名度が低いのかもしれません。
もっとも、出版したいというアンテナが高くないとあまりそういうサービスに気づかないのかも。

もし、関心があるかもという方がいらっしゃったら、Kindle Direct Publishingをご覧いただければいいのではと思います。


↓↓↓とっても魂こめちゃっているので、多くの方にお読みいただけたら嬉しく思います↓↓↓


『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした』




この形でエッセイをまとめるということ自体、わたし自身の人生の中でとても意味があったので(学生時代からずっと望んでいたことだったので)、この本は記念すべき一冊となりました。

今後、どのようなものを出し続けていきたいかについては、考えていくつもりです。


     ★   ★


今日は、ある方たちと別の企画があり、そちらの作業にかかりっきりになっていました。

また原稿執筆です。近いうちに公開できるかな。
そちらも、まったく新しい「発信」の試みなのでとても楽しみです。


     ★    ★


色んなツールがある時代です。

Instagramを始めとした写真SNSのようなものや、Noteなど(こちらはより自由で、テキストから写真、動画まで投稿できて有料コンテンツも作れる)サービスが増えてきました。

発信したいひとにとって、大きな可能性があるということですね。

わたしがメルマガを始めた2000年とはずいぶん変わりましたね。
色々と試してみたいと思っています。


ちなみに、私のアカウントはこちら:

Instagram

Note

あと、定番Twitterはこちら。(右カラムにもありますが)
わりと情報流しています。


Kindleがあると、アフリカ出張していてもwifiさえあればamazonから電子書籍が買えてすぐ読めるという、以前から考えると本当にミラクルな機能があるわけです。

ものすごーく重宝しています。






ジンバブエのキリン↑この手触りを、ぜひ感じてほしい)



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Kindle本出ました。『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた』

Kindle本が出ました。
この年末年始、何かのスイッチが入って取りつかれたように書きはじめまして、丸4日ほどで書きあげました。

大学時代に南アフリカの作家ベッシー・ヘッドの文献調査のためにボツワナと南アフリカへ行ったこと。
その後、何年も経った今だからこそ「思うこと」を中心に書きまとめました。

だから、紀行文のように背景や経緯などに詳しくないです。

『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。』
横山仁美



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学生のころからずっと出版したいと思っていて、実現せず、時代は流れ20年ほど経って突然「何かが降りてきた」かのように書き始めたものです。


ずっと心に温めてきたものが、形になりました。
こんな便利なツールがある時代になり、うれしく思います。

これまでわたしを支えてくださった方に、たくさんの感謝を込めて。

大切な周囲の皆さまにご覧いただけましたら幸いです。
わたしを直接知らないという方も、読んでくださることで、心に何かの思いを灯すことができたらうれしいです。









感無量です。

とりいそぎのお知らせまで。





Kindleをお持ちの方はもちろん、タブレットでもスマホでもKindleアプリでお読みいただくことが可能です。





内容紹介

1998年、大学4年生だったわたしは南部アフリカのボツワナの首都ハボロネから350キロほど北へ進んだ場所にあるセロウェという村に来ていた。ずっと望んできて、文献調査実現のために努力してやっとたどり着いたこの村で、念願の文書と対峙している。ひともおらず、静かで孤独だった。南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの遺した無数の原稿と手紙を求めて、初めてアフリカの大地を踏んだ。アフリカへ導かれてやってくるまでの奇跡みたいなきっかけ、人生を変えた出会い、そしてその後の死と別れ。あのときボツワナで考えてから今までの20年近く経た「思い」についてシンプルに綴る。
1 「帰属」
2 「きっかけ」
3 「手紙」
4 「出会い」
5 「作家」
6 「旅」
7 「アフリカ」
8 「教育者」
9 「再訪」
10 「雨」
11 「翻訳」
12 「未来」
13 「終わりに」
ベッシー・アメリア・エメリー(ベッシー・ヘッド)

著者について:
横山仁美(よこやまひとみ)
ブログ『あふりかくじらの自由時間』
大学時代に作家ベッシー・ヘッド作品と出会い、1998年大学在学中にボツワナと南アフリカへ。英国大学院留学を経て、2005-2007年ジンバブエに駐在。現在は、国際協力コンサルタント。アフリカ雑貨オンラインショップを運営。


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fakebookにニセモノ?

シュールなものを見つけてしまった。


Fakebookというところに、ベッシー・ヘッド(Bessie Head/ Bessie Amelia Emery)がいて、その息子や友人など周囲のひとの名前が出ている。

そして、本人やそのひとたちが書き込みをしたかのようになっている。

↓↓これ。

fakebook

(リンクはこちら)

ううむ・・・・。


もちろん、ベッシーは1937年生まれで1986年に亡くなっており、これはニセモノ。
書き込みは48歳で亡くなるところで止まっており、息子が書き込んでいるかのようになっている。


(ベッシー・ヘッドについては、わたしのメインサイトに詳しいです)



どうやら「教育目的」でこのような偽物が作られたと書いてあるけれど、すみません、ちょっと理解に苦しむ。



もし彼女が生きていたころネットがあったら、彼女の22年間のボツワナでの孤独はどう変わったのか。
作品は生まれなかったんじゃなかったのか。

ベッシー・ヘッド研究者とそんな話をしたことがある。


ベッシーは孤独だった。
22年間、ずっと手紙を書き続け、その量は膨大だ。

わたしもたくさんコピーをボツワナから持って帰ってきた。すばらしくうつくしい文章の数々。

多くは一般公開されていない。


これをうつくしい日本語にして出版することがわたしの夢。





しかし、この書き込みは彼女の人生を一部反映したかのようになっているが、どうにも軽い・・・。

細かいこと言うと・・・。
ベッシーにとても近かったBosele Siananaは、彼女の死を知らなかったわけがないし、第一、デンマーク人のEilersenが書いたベッシーの伝記によると、彼女が亡くなったとき息子のHowardは別れた父親のところに行っていたかで連絡がつかず、彼女の死を知らなかったはず。

だからこんな書き込みはありえない。

ベッシーがHarold Headと結婚したのはもちろんアパルトヘイト下の南アから隣国へ亡命する前のことだし、(彼女はたったひとり息子を連れて亡命している)第一、亡命したのは独立前のボツワナ、つまり「ベチュアナランド」なので、この書き込みのように「ボツワナへ亡命する」とは言わないはず。

長い苦労の年月を経て作家として成功をしてとっくにささやかな家を建てているときに、難民キャンプに住んでいることになっている。


どういう目的か知らないけれど、書きぶりもとても軽くていい加減だし、おそらくちゃんと背景を調べないままに書いているように思う。



いちばん「いけてない」のは、「アパルトヘイト」が「友達」になっているところ。
絶句。



誰がどうやってこれを作っているのだろう。


その意図は?理由は?目的は?

実在の人物の名前でこのようなことを書かないでほしい。



そして、この中でわたしが唯一本当に会ったことのある息子のHowardも、もう亡くなっている。
母親とちょうど同じくらいの年齢だったと思う。

98年、大学生だった時に訪れたボツワナのセロウェ村で会ったひとで、まさにベッシーのお家にも連れて行ってくれた。
ファンタオレンジをごちそうしてくれた。
9年後に訪れたときもわたしの名前を憶えていてくれたHoward。

誰が書いたか知らないけれど、あんまりこういうことを書かないでほしかったなぁと思う。


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作家ナディン・ゴーディマさん。

先ほどフェイスブックにもシェアしたのですが。

南アフリカのノーベル賞作家ナディン・ゴーディマさんが亡くなったとのこと。

南アのゴーディマ氏死去 反人種差別のノーベル賞作家

ショック。

時代がまた一つ過去になっていく。

90歳だったのね。そりゃあそうですよね。
アパルトヘイト下の文学の冬の時代に、発禁処分や辛い目にあいながらも、信念を曲げずに反アパルトヘイトの作品を書き続けたひと。


わたしが敬愛する南ア出身の作家ベッシー・ヘッドは、たしか彼女のことを尊敬していたと思う。彼女宛の古い書簡も残っているはず。(わたくしの膨大なベッシー・ヘッド書簡のコピーのなかにあるはず…)

ゴーディマさんがベッシーのことをどう思っていたのか、資料はない。

でも、ゴーディマ的世界の政治性と、ベッシーの描く政治性について、たしか自分の論文で比較した記憶はある。


ただひたすらかなしい。

マディバといい、ゴーディマといい、大きな人物を失ってしまった。

歴史がひとつ古くなる。

抗えない。


今月はベッシーの誕生日。
生きていれば77歳。まだゴーディマさんよりずいぶん若い。

彼女が亡くなり、28年か。



ベッシー・ヘッド作品とマンデラ。

南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッド

彼女の作品の翻訳出版を目指して出版社を探しているという話はfacebookに書かせていただいている。

ベッシー・ヘッドは、まさにアパルトヘイトに翻弄され生きたひと。
ジャーナリストとして、出国許可証だけを手に、南アからボツワナに亡命している。

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彼女の小説は、ボツワナの農村を舞台としたものが多いけれど、絵が描かれているのはアパルトヘイトであり、抑圧と自由であり、人として生きることのうつくしさ、苦しさであり、そして最後に優しさだ。

それはおそらく、現代の日本の社会にも強烈なメッセージを送っている。

先週お誕生日を迎え思ったこと。

これからの一年間で、この出版を実現させることができたら。



いま、その小説を出してくれる出版社を探している。


先週、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の弔問記帳のために、南アフリカ大使館へ行ってきた。
白いお花と明るい南アの音楽のあふれる優しい空気に満ちた部屋で、そのひとのとてつもない偉大さを感じた気がする。

わたし自身に与えられた大切な仕事の一つは、やはりそのメッセージを形にすること。

ベッシー・ヘッドの小説を、出版することがまずひとつなのだと思う。


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(南アのヨハネスブルグ空港のワイヤービーズ細工のネルソン・マンデラ。ワイヤービーズのショップオーナーとしては、ここに降り立つたびにこのひとと毎回記念撮影するのがお約束となっている)



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南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドのこと。

ベッシー・ヘッドとわたしのことは、長い付き合いのひとはわりとよくご存知かもしれませんけれど、あらためて書いておこうと思います。

作家ベッシー・ヘッドは1937年南アフリカ生まれ。独立直前の1964年にボツワナに亡命して、以後22年間ボツワナに暮らしながら作家になったひとです。
1986年に48歳で亡くなっているので、わたしは作品や他の人を通じてしか彼女を知りません。

ベッシー・ヘッドについてはわたしのメインサイトにもう少し詳しく載っています)


1997年頃、アフリカ研究のゼミに入ったものの、漠然と南アフリカの「白人」と反アパルトヘイトについて卒論を書こうとしていたわたしでしたが、正直なところいまいち熱が入っていなかった。

そこへたまたま読んだ彼女の作品にたちまち心惹かれ、ある日ボツワナに飛ぼうと決心したのでした。
それが1998年、大学四年生のとき。

当時は、インターネットはいまほど充実していなくて、ボツワナに関する情報なんてほとんど得ることができなかった。
それで、大学の資料室にあるわりとマニアックな世界中のNGOや研究所や研究会その他が載っている電話帳みたいな本を引っ張りだしてきて、片っ端から「南アフリカ」と「ボツワナ」の文学研究会やら大学やら博物館やらに手紙を書いたのでした。エアメールですよ、エアメール。
雑誌の「文通しませんか」コーナーにも投稿しました。(これはすごい反響があって、南アフリカから55通ものエアメールが届きました。大半は、変な男でしたが)

大学や博物館から帰ってきた手紙は特に役に立ちました。

南アフリカの某所にある博物館からは、山のような資料が送られてきました。

そして、ヨハネスブルグのヴィッツ大学の某有名教授は、アメリカ人のPhD学生の女性を紹介してくださいました。(結局ヨハネスでは彼女のアパートに泊めてもらいました)


一方で、ボツワナに関する情報はほとんど集まらないまま、もう、何度も見てアフリカの情報がほとんどないことをよく知っていたはずの近所の本屋さんの「地球の歩き方」コーナーで、ふと目に留まった新しいバージョンの「南部アフリカ」版の「地球の歩き方」。

どうせボツワナなんて、チョベ国立公園が見開き2ページ載っているだけでしょ、ふん、と思いながら手に取ってみると、なんとそこには、今年東京にボツワナ大使館が開設されたと書いてあるではないですか。
これがわたしを大きく前進させる「発見」でした。

そこで、無知な大学生であった私のお馬鹿な質問の数々を親切丁寧に受けてくださったボツワナ大使館の方。それが当時、一等書記官であったプラ・ケノシ氏でした。

たくさん試行錯誤を経て、ボツワナ政府のリサーチ許可を取得していざ飛んだボツワナ。
大学四年生、21歳、初めてのアフリカ。

ボツワナ大学のリサーチ学生ということで大学の施設を使わせていただき、何人かの有名な教授などとも知り合うことができました。

そしていざ、ベッシー・ヘッドの暮らしたセロウェ村へ。

彼女の暮らした22年間、毎日のように綴っていたたくさんの手紙は数千通にも及び、セロウェ村の博物館に保管されています。そして世界中からいろんな研究者がやってきて、その手紙を大切に読んでいます。
(彼女に関しては、学会が三度開かれています)

なんといっても印象的だったのは、ベッシーの息子、ハワード・ヘッドに会ったこと。

彼は、だらしなくて酔っぱらいで、約束もすっぽかすような人でしたが、それでも優しくてわたしは好感を持っていました。

9年後の2007年にベッシー・ヘッド学会が開催されたため再訪したボツワナ。
世界中からいろんな人が来ているでしょうに、ハワードは私のこともちゃんと覚えていてくれていました。(ひとみという名前まで呼んで!)


ベッシー・ヘッドに関する本はたくさん出版されています。

でも、書簡等の中でも出版されていない文章はたくさんある。
どれも、ほんとうに美しく、人間らしく、魅力的です。

その後、ハワードは亡くなったそうです。

おそらく、お母さんと同じくらいの年齢だったと思います。
(恐ろしいことですが、ベッシー・ヘッドの母親もまた、同じくらいの年齢で亡くなっています)

わたしはその後、ジンバブエで二年間仕事をしたり、JICAなど国際協力の仕事をしてきました。
現在やっと、フリーに近い形で途上国ビジネス、いわゆるBOPビジネスのコンサルティングのようなことをしながら、何年かぶりに彼女の作品と向き合っています。

2010年に大使となって日本に戻られたケノシ氏。
誰よりも、わたしのライフワークとしてのベッシー・ヘッドの翻訳や出版のことを応援してくださった方、初めてボツワナに行ったときにも、その後も、ずっとずっと助けてくださった恩人。

わたしがベッシーの本を日本語で出版する前に、2012年、亡くなりました。
まだ五十代くらいでおられたと思います。


死なんて、いつもどこか遠くにあるものと思いがちです。

でも、ほんとうは、生あるところにいつも死があるわけで、それはいつやってくるかわからない。

何がわたしをずっと、ベッシー・ヘッドから遠ざけてしまったのだろうと思っています。
でもきっと、こういう自分の人生の「流れ」があったのでしょう。

二十代の頃はただ単に夢中だったベッシー・ヘッドの作品。

今ではひとつひとつの言葉が本当に心にしみます。昔よりもずっと、深く伝わってきます。
だから、ひとりで何度も泣いてしまって、大変です。


いま、時代は変わりデジタル化してしまっている出版業界で、紙の本を出すのは昔にも増して大変かもしれません。でも、今は熱意だけではなくて、信念もあります。
彼女の先見性、文章の美しさ、人間を見る目の鋭さ。

アパルトヘイトの闇を心に抱え、自分もまた苦しんできたベッシー・ヘッドだからこそ書けるすばらしい作品の数々。
わたしのライフワークとして、それをできるだけうつくしい日本語にしたい。
もう17年近くたった今、その思いは落ち着いた確信となっています。


9年間お休みしていたある作品の翻訳を、つい最近、終えました。

これからまた、この本を出してくれる出版社を探していきます。

あまり詳しくはブログでは明かさないけれど、facebookではもう少しだけ詳しくclosedで進捗を共有しています。



そういえば。

よく誤解されがちなんですけど。わたしの関心があったのは「文学」ではなくて、彼女自身と、彼女の言葉を通じて表される社会性のところだったのです。

以前は、既存のベッシー・ヘッドに関する学術研究に一石を投じたい一心で論文を書いたりしていたのだけれど、あまりにも「魂」の部分に近くてパーソナルすぎる文学というものは、もうわたしには研究論文にできないと思う。だから今後は、もっと違う形、つまり一般の人にも共感を得られるような書籍の形で、彼女の作品や文章を私の意識のフィルターを通して伝えたい。
そう思っているのです。


さて。

これからどんな人に出会い、どんなことになるのか。

大変かもしれませんが、わくわくしています。

自分のほんとうにやりたいことに、やっと取り組めるようになったような気がします。
それって、ほんとうに楽しいこと。


だから、もしこれを読んでおられる皆様(おいくつであったとしても)も、自分の心の中に引っかかっている「やりたかったこと」「やってみたかったこと」があれば、取り組んでみればいいと思います。

本当はあれがやりたかった、なんて言っても誰も自分の人生に責任を取ってはくれないし、誰もやってくれない。
そして、やらない理由なんて、いとも簡単にたーんと出てきます。
言い訳なんて、人間の大得意技です。

それでも、思い出してみませんか。

ほんとうは、自分をとめているのは、自分自身なのかもしれません。



追記:


そうそう。

2000年からやっているメインサイト『あふりかくじらの自由時間』を少しシンプルに整理しました。
とくにプロフィールのところだけアップデートしてみました。
(最近の作品のところはできてませんけど)




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ライフワークに取り組むこと。

『ジュリー&ジュリア』という映画を母が好きで、わたしもけっこうはまって何度も観ている。

ジュリー&ジュリア [DVD]
ジュリー&ジュリア [DVD]

実在の二人の人物を描く「お料理」映画。

詳しくは、まぁ、DVDを観てください



それで、そのジュリア・チャイルドが書いた自伝を読みたくなって最近読んだ。

いつだってボナペティ!-料理家ジュリア・チャイルド自伝
いつだってボナペティ!-料理家ジュリア・チャイルド自伝

外交官の夫とともに移り住んだ1950年代のパリで、ジュリアがフランス料理と出会い、のめり込んでいくところから50年あまり。
最初の本の出版までの多大なる苦労から、テレビ番組で大人気になるまでのとてもエキサイティングな実話。
その裏話などは、とても元気がもらえるものだった。


ジュリア・チャイルドが自分のライフワークであるフランス料理に夢中になり、たくさんの壁にぶつかりながらそれでも続けていくところ。


わたしにもライフワークはあるのだよな。

わたしにしかできない、わたしのライフワークを頑張りたい。そんな前向きな気持ちにさせてくれる本でした。


自分も、作家ベッシー・ヘッドを追いかけて早17年目?
出版したいと昔から思っていた構想もたくさんある。もちろん翻訳本もある。

自分が心から感動し、愛しているもの。

年月を経るとともに、自分のなかで熟成されてきた気がする。

まず、出版できるまで、頑張りたい。そのことがとても楽しくもある。

作家ベッシー・ヘッドのことばにふれる幸せ。


わたしにも、たくさんのストーリーがあるのですよ。




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ベッシー・ヘッド1937-1986

1986年4月17日、ベッシー・ヘッドがセロウェ村で息を引き取った日。

48歳。


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bhp1




何年かぶりに彼女の作品を開いて、ひとつひとつ日本語に置き換えはじめたら、



最初の一ページだけで、


ものすごく心に染み入る。


しんと、うっとりする。


003



I love you bessie..



あなたに語りかけるかのように、私が生まれる前に書かれたこの小説を、日本語にする。

できるだけうつくしい、日本語にする。




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ケノシさんのこと。

やっと今日、少し書けそうな気持ちになったので、ほんのちょっとだけ書こうと思う。

これからずっと、気持ちも整理されていくにつれ、ことばも変わっていくかもしれないけれど、いま思っていることを。


3月29日に亡くなったそうだ。

駐日ボツワナ大使のプラエンテ・ケノシさん。

訃報が届いたのは30日(金)のこと。
その日は、つい先月までの通い仕事の最終出勤日。お昼休みに所属部の歓送迎会があった直後だった。


ちょうど、スピーチで大学時代にボツワナにいったときのことを話したばかりだった。


わたしは、二種類の契約で合計4年をその組織で過ごし、多くのひとたちに出会い、温かく支えてもらったりしながら多くを学んで大きく変わった。
その最終日、ひとりで生きねば、としんみりしながらも思っていた。そんな日に。


大学時代、3年生のときにアフリカ研究のゼミに入り、あれこれと悩みながらもあるとき、人生を変えるライフワークに出会った。

それが、作家ベッシー・ヘッドだ。

南アフリカ出身で、ボツワナに亡命、そこで亡くなった彼女と彼女の作品。
ボツワナ中部のセロウェ村というところに保管されている彼女の無数の原稿や書簡を、わたしはどうしても見たかった。

だから、ボツワナへ行こうとした。

ごく普通の何にも知らない大学生が、いろんなひとのアドバイスをもらいつつ考えられるあらゆる手立てを尽くし、ボツワナ行きを夢見た。

そんなあるとき、本屋で偶然手に取った「地球の歩き方」。
ほんの見開き二ページしか取り上げられていない「ボツワナ」という国の駐日大使館が、なんとちょうどその年に開設されたことを初めて知った。

1998年、わたしが大学4年生。21歳だったころのこと。


わけのわからない電話をかけて、つながったのが、当時は一等書記官だったケノシさんだった。

ほんとうに真面目で、ほんとうに親切で優しい。背が高くて、外交官なのに無口な印象だけど、会議で発言したりスピーチしたりするととってもかっこいい。

そんなひとが、何にも知らないわたしに、一からいろんなことを教えてくださった。

ボツワナのとっても基本的なこと、文献調査をするためのボツワナ政府の許可のこと、ボツワナ大学のリサーチ学生として登録できること、それから、宿泊できそうなゲストハウスのことまで。

ベッシー・ヘッドに直接会ったことのあるという彼は、わたしの研究テーマにもほんとうに興味を示してくれた。そして長い時間をかけていろんな話をした。

学生だった私に、お昼ご飯や晩御飯を食べさせてくれた。

彼は初めて出会うボツワナであり、アフリカだった。

わたしが大学を卒業してからも、何度かお食事をご一緒したり、大使館のイベントに招いていただいたりした。
彼が日本での任期を終え、ボツワナに帰国し南アに赴任したりしてからも、2007年にわたしはベッシー・ヘッドの記念イベントでボツワナの首都ハボロネを訪れ、そこで彼と一緒にステーキを食べた。(ボツワナのビーフは一級品)


再び日本に戻ってこられて、今度はボツワナ大使になったケノシさんにしばらくぶりにお会いしたとき、わたしは「たくさんお話したいことがあるんです」と彼に言った。
わたしの仕事のこと、Rupurara Moonのこと、ジンバブエのこと・・・・。
彼もまた、いろいろ話したいことがあると言った。

今度、時間を空けるから食事でもしよう。


その約束は、守られることがなかった。


まだ年齢も50代と若い。

癌だったそうだ。




作家ベッシー・ヘッドは、わたしのライフワークだ。

彼女の言葉に魅せられて、アフリカに行ったこと。
そのあとずっと、アフリカを巡って人生を歩んでいること。

彼女のうつくしい書簡、小説。

それらをわたしが自分自身の意識のフィルターを通してうつくしい日本語にしたい。

そう思っている。



この十数年、仕事の忙しさにかまけて、まともに向き合うことができなかったライフワーク。


いまこそ、ほんとうにやれということなのだと受け止める。


彼に、うつくしく訳されて日本語の本になったベッシー・ヘッド作品を見せることが、永遠にかなわぬ夢となってしまったことは、わたしの人生の中で大きな打撃だった。


こんな日が来るとは思っていなかった。


その分、わたしの強い意識は、全うすべき自分の仕事に向いている。



今日、とてもお世話になっているジンバブエ大使と電話でケノシさんのことを話した。

やっと誰かと、この気持ちを分かち合うことができて、心が溶けていくようだった。

4月から始まった新しい職場のカフェテリアから、巨大な東京という街のきらびやかな夜景がにじんでいた。


facebookではまだ、ケノシさんが「お友だち」として残っている。


わたしのデスクには、大学のときから持っている、ベッシー・ヘッドのペーパーバックがある。




(天皇陛下への信任状奉呈へ向かうケノシさん。正装がかっこいい。これ観たらやっぱり心がかき乱される)

ベッシー・ヘッドとうつくしい言葉たち。

作家ベッシー・ヘッドについては、わたしはたぶん、やらなくてはならないことがあると思う。

彼女の文章に出会ったのは90年代後半のことだから、もうかれこれ15年くらい経つのだけれど、自分自身もいろんな経験を経て、最近、ベッシー・ヘッドに対する感覚が何やら熟成されてきたように感じている。


(ベッシー・ヘッドについては、メインサイトのページをご覧ください)


たぶん、4月から仕事環境が変わる。

Rupurara Moonは、どんな形にせよ少しずつ実店舗化を進めていきたいと思っている。
何年もかかると思うけれど、いずれは理想の店舗を東京で構えられればいいと思うけれど、たぶんわたしはずっとそこにはいないだろう。
大きな店舗を持つことにも興味はないから、たぶん、少しずつ理想の形になっていくんだろうと思う。



今のところ、主たる収入には残念ながらなりえないので、また収入となる仕事をしながら自分自身の大切なプロジェクトを続けていくことになる。

これまで翻訳の仕事はときおり請けてきたし、講演や記事の執筆やリサーチ、ギャラリー展やイベント出店など、ともかく看板を立てられる色んなことをまた整理して再開していくべきなのだと思っている。



そうしたらふと、ベッシー・ヘッドのことばの翻訳について、強い思いがよみがえってしまった。
ここ数日、何故か急に湧き上がってきたその思いはとても強い。


あのうつくしい言葉たちを、日本語にして出版したいと、大学生のころから思い続けていて今に至る。



アパルトヘイト下の南アに生まれて、ボツワナに生きた彼女の小説、うつくしい文章、たくさんの手紙たち。
出版もされずに眠っているスクリプトのコピーが、けっこう私の部屋にもある。
(注: 昔、大学生のころ合法的に入手しました。念のため)


ボツワナのセロウェ村。明け方のひんやりした空気。鳥のさえずり。
ベッシーの好きな時間帯は、早朝だった。

いつも明け方まで起きているとき、必ずこの言葉が胸によみがえる。

なんとなく機が熟してきたのかもしれないな、と思っている。


たぶん、個人として、わたしはベッシーに対して不思議で特別な感情を持っている。
これはなんとも表現しがたいもの。
でも、彼女の文章をわたしの母国語に落とし込むことによって、それは明確に表れると確信している。


だから、訳そうと思う。


出版翻訳、やっている会社募集。




彼女のペーパーバック。
何冊かの小説は日本語になっているけれど、わたし自身の手で訳したいものもある。

この本たち、大学生のころからずっとわたしと一緒にいます。
何度もアフリカを往復してます。(!)




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憧れのひととライフワーク。

「ジュリー&ジュリア」という映画がある。

1940年〜50年代のパリに過ごしたジュリア・チャイルドの書いた大作のフランス料理本"Mastering the Art of Cooking"(1961年)と、2003年、彼女にあこがれるNY在住のジュリー・パウエル。

ジュリーは、500あまりもある難しいジュリアのフランス料理のレシピをすべて再現し、一年間その様子をブログにつづっていくというお話。


ジュリーがあこがれるジュリアについて思った。


大学四年生だった1998年、わたしは南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドを追いかけて、ボツワナと南アまで行って二か月弱を過ごしたわけだけれど、それはちょっとだけジュリアとジュリーの関係に似ているかもしれない。

1986年にベッシー・ヘッドは48歳の若さで亡くなっているので、わたしは彼女に会うことももちろんなかったわけだけれど、彼女の残した本や、数千通にも及ぶ書簡を通して、わたしは彼女を知っている。

でもそれは、一方的に知っている、ということ。

彼女の言葉たちの素晴らしさ。わたしはそれらを通して、アフリカとつながるようになった。


いつか、日本で彼女の小説を訳して出版し、さらに彼女の書簡集もつくりたいと思っている。

ここ数年、仕事はODA関係などになり、ジンバブエに赴任したり、麹町のJに勤めたりしているけれど、ベッシー・ヘッドのことは忘れたわけではなく、むしろ毎日考えていることのひとつ。

いま、Rupurara Moonというショップを開いたけれど、これもまたアフリカとつながるわたしのプロジェクトのひとつ。
すべてはつながっているのだ。


当初は、ベッシー・ヘッドの小説や書簡集の出版に心が焦っていたけれど、いまではそんな気持ちはない。
むしろ、いろんなかたちで仕事をして、プライベートでたくさん苦しい思いをしたりしながら、ブレークスルーを経てわたしは重要なものが自分の中に蓄積されているのを感じている。


今の自分なら、かつての粗削りな大学生だったころよりもずっと良い文章が書けるだろうな。


ボツワナのセロウェ村には、彼女が暮らした22年間にわたって毎日のようにつづった数千通に及ぶ書簡がある。そのどれもが、ドラマチックで、カラフルで、うつくしい。
いずれも、1960年代半ばから86年に彼女が亡くなるまでのもの。

中には、出版前の草稿まである。

わたしは、大学生のころに取った大量のコピーを、いままで引越しのたびに持ち歩いている。
けっこう嵩張る宝物だ。


なんとなく、年数を経て自分の心が良い感じになってきたので、きっとそろそろよい時期なのかもしれないな。


そんなことを、映画『ジュリー&ジュリア』を観ながら思った。


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彼女の手書きノート。

ベッシー・ヘッドについてはこちら
なんと、私のサイトはwikiからリンクが貼られてます。うふふ



ジュリー&ジュリア [DVD]
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"Gesture of Belonging"

まず、大切なことを書いておこうと思います。

作家ベッシー・ヘッドに関することです。


1937年、南アフリカはピーターマリッツブルグに生まれた「カラード」で、アパルトヘイト下の激動の南アフリカを生き抜き、人種と政治とジャーナリズムの混沌の中で26歳でボツワナに亡命し、22年後、48歳で亡くなったベッシー。

わたしのこれまでの13年間は、彼女とともにありました。
彼女の文章と出会い、実際に会ったことはなかったけれど、わたしは彼女をずっと一方的なソウルメイトとして生きてきました。


初めてボツワナを訪れた1998年、わたしは大学四年生でした。
セロウェ村の博物館の小さな小屋に泊まり、文献調査をしました。
たくさんのひとに出会いました。ベッシーのひとり息子、ハワードにも会いました。


その後、ベッシーの暮らしたセロウェ村を再訪したのは9年後の2007年のこと。
彼女の生誕70周年記念に、世界中の研究者が集まり、シンポジウムやたくさんのイベントが行われました。

多くの論文や著書のなかで名前をみかけたベッシーの身近なひとたちや研究者たちに会い、わたしにとってはこの上なく貴重な時間でした。

そのときの写真はこちらのアルバムに


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ベッシーの息子ハワードは、わたしの名を覚えていてくれました。
色んな立派な研究者が彼を訪れるだろうに、9年前に訪れた大学生のわたしを覚えていてくれたことには、ほんとうに感動しました。



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そんなハワードが、その3年後の今年5月に亡くなったそうです。


ボツワナ大学のいつもわたしがお世話になっている先生がメールで知らせてくれました。
ハワードの詳しい病名は知らされていません。

まだ、49歳になったばかりだったはずです。


ハワード。
1964年、まだ小さかったころにベッシーに連れられて当時の英国保護領ベチュアナランドに亡命したハワード。それからずっと、どこかへ暮らしてもまたセロウェ村に戻ってくる人生でした。1986年にベッシーが亡くなってからも、彼女の建てた家に暮らしていました。


ベッシーは、48歳の若さ、ちょうど49歳になる少し前に肝炎で亡くなっています。

こんなことってあるでしょうか。

そして、ベッシーの母親である南アフリカの白人女性ベッシー・エメリーも、1943年、やはり49歳で亡くなっているはずだったと思います。

ここに何の意味があるのですか。

ベッシーの人生はあまりにも苦しく激しくドラマティックで、わたしは彼女のことをいつも考えるのです。
2001年に書いた修士論文は、彼女にdedicateしました。


でも、「問い」は、わたしのなかに残っている。
わたしと、ベッシーは何なんだろうと思ってる。

自分が生きていくなかでどんなことをしなくてはならないのか、未だにうまくつかめていないのかもしれない。


ハワード、わたしを覚えていてくれてありがとう。

1998年、おうちを訪ねたときに出してくれたマグカップから溢れそうなファンタ・オレンジとあなたの横顔は忘れません。
あのとき話したことも、ちゃんとこころの抽斗にしまってあります。



あなたは、ベッシーと同じ墓地に眠り、ほんとうにボツワナに骨をうずめることが出来たということなのでしょうか。
それは、Gesture of Belonging〜故郷のないものの「帰属」のしぐさ〜なのでしょうか。

・・・。


さようなら、ハワード。


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ベッシー・ヘッドのファイル。

8deab9ca.jpg4月以降の仕事の目途もまったくつかないまま、MFやらBOPやらをめぐるお話などで世間が盛り上がれば盛り上がるほど、自分のテンションも低下している。

ルプララ・ムーンの方は、近頃ずいぶん進歩を感じている。


ただ、それだけで、とても忙しくしている。


でも愛すべき人たちがたくさんいるということは、幸せなことだし、感謝しなければならないなと。


社会起業とか、BOPとかいったところで、所詮、ひととひととのつながりを大切にしない人には、何もなすことが出来ない。


落ち着かない心のまま、少しずつ何かを整理していこうと思い、「そうじ力」プログラム実施。

ベッシー・ヘッドのファイルを久しぶりに引っ張り出して見る。
彼女を追いかけて、初めてボツワナに行ったのは1998年のこと。もう、12年も経ってしまうのだと気付いた。

大学生のときにコピーした、ベッシーの書簡やら原稿やらの何千枚のファイル。
自分の着替えはTシャツ二枚にジーンズ二本。
あとは書類書類、書類。

あの二ヶ月のことを、よく思い出す。


その後10年間、横浜で暮らし、実家に戻り、エディンバラに留学し、実家に戻り、ジンバブエに暮らし、実家に戻り、さらに現在は都内にいる。
自分でもちょっとすごいなと思うけれど、その間ずっと、その重たい書類を持ち歩いていた。



2007年には、ベッシーを愛する人たちにもボツワナで会うことが出来た。わたしのやるべきことは、ほんとうは少し明確になってきているはず。


こういう「原点」を大切にしないとな、と思う。



ベッシー・ヘッドは、いつもわたしのハートの中にいる。


(手帳にもいる)


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夜明けの大地。

f3ebb7c0.jpg夜が明けていく。

遠くの空から、いつのまにか少しずつ広がっていく夜明け。


ひんやりとした空気の中で、ただただ、わたしはこんな人生を生きてきて、そして今、地球上のこの場所にいてこの夜明けと出会っているのだなと漠然と思う。


静かで、自分のこころが澄んでいくような。

余計な焦りも、苛立ちも消え、静かに自分の息遣いだけが感じられる。
自分の生命だけが、感じられる。


そういう藍色に満ちた時間。



夜が明けていく時間のうつくしさを、ベッシー・ヘッドもよく書いている。

ボツワナの村の、ひんやりとした、遠くで鳥が鳴き始めるうつくしい夜明けのことを。たったひとりで生きていく自分の、生命のことを感じている時間のこと。


・・・。


ハラレから、また日本へ向けて旅立とうとしていたとき、そんなことを考えていた。
午前六時、少し前だ。


ひとは夜明け前、とても深く孤独を感じるような気がする。
でもきっとそれは、黄昏どきよりも少しだけ澄んで温かな孤独なのではないかと感じることもある。



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若干、wikiに登場してる?

444e34f9.jpgなんだか。

知らないうちに、Wikipediaにベッシー・ヘッドのページが出来ているし、なにげにその一番下の方にわたくしのページへのリンクがはられております。

「オフィシャル・ベッシー・ヘッド・サイト」と「あふりかくじらの自由時間」でございますよ、アナタ( -д-)ノ


なんか、うれしゅうございました。


長年続けていると、あちこちからお問い合わせをいただいたりすることはあるんですが、こういう形は初めてですな。(あれ、違ったか?)

ともかく、もっとがんばろうと思うのでありました。

これもひとえに、みなさまのお陰。
日々感謝です。

これからもガンガン宜しくお願いいたします。

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ベッシーについて語ること。

5448204b.jpgながーいながーいお話に付き合ってくださったみなさま、ありがとう。


ベッシーについて語るということは、わたしにとってとても意味のあることでした。


ライフワークなのでした。


ピンクのガーベラをくれたユミリー、ありがとう。


少しずつ、深まっていくように思うのです。

そして、誰かにきっかけをちょっと与えることができたりなんかすれば、そりゃあ幸せというもんじゃありませんか。

アフリカと自分がつながるということ、自分の心に問いかけてもらえればいいな。


いいな。


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【事務連絡】本日、ベッシー・ヘッドに関するプレゼン。

50247608.jpg今日、Tunapenda Africa学習会です。

なによりも、ベッシーについてもう一度レビューしていくたびに、自分と向き合う気がするって、やっぱりライフワークなんだなと思いつつ。


色んな人に、自分の中の「アフリカ」を見つけていってほしいな。


なんて思ってます。


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ベッシー。

5e68d16f.jpg☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.エンピツと一緒


なんだか胸が一杯に。

週末のプレゼンのために、2007年のベッシー・ヘッドのシンポジウム記録を読んでたんだけど。聞いたことのある話のはずなのに、なんだかカフェで涙が出そうになった。


彼女が死ぬときのこと。


やっぱりこれ、わたしは日本語で伝えないといけないんだな。


そう思う。

心のなかに、棲みついているから。
ボツワナの風景が。


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【事務連絡】5/23(土)にトークいたします。

皆さま( -д-)ノ

いつもはこのようなお知らせはせずにスルーするのですが、今回は気まぐれで載せます。

Tunapenda Africaという熱心なアフリカ関係の学習会グループさんにて、トークをさせていただきます。
私、アフリカ、ベッシー・ヘッド。

最近はずっとジンバブエ関係ばかりだったので、ベッシーのトーク準備に自分を追い込んでますが・・・。

いろんなひとの、ちいさなきっかけをつくることができたらいいなと思っています。

心がちょっと反応した方は、ぜひお越しくださいませね。




-------------

◆◆◆◆Tunapenda Africa<5月学習会のご案内>◆◆◆◆

4月に入り、新しい環境になられた方も多いのではないでしょうか。

春は出会いの季節です。人だけではなく、これまで知らなかったことにも
触れる機会が多くなるのが、この季節だと思います。
また、気温も過ごしやすいので、集中して物事を考える上では心地良い
季節ですね。

さて、今回の学習会は、アフリカ研究者であり開発コンサルタントでもある
横山仁美さんを講師に招いての会となります。
南アフリカの文学作家ベッシー・ヘッドを追い続ける中で、横山さん自身に
とっての「アフリカとつながる」ことへの考えをお話いただきます。

学習会を通して、参加された方が新しい気づきを得られればと思います。

Tunapenda Africa  渡邉

■□ アフリカ学習会「Tunapenda Africa」 □■

講師からのメッセージ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……

1937年南アフリカ生まれ。父は黒人、母は白人。孤児院で育ち、ジャーナリストとなり、母となり、やがてボツワナのセロウェ村に亡命する。孤独と貧困の中で、ボツワナの農村をモチーフとして物語を書き続けた作家ベッシー・ヘッド。それは、アパルトヘイトの「悪」を経験した人間が描くアイデンティティの模索でもある。やがて1986年、48歳の若さでこの世を去る。

十年後のある日、古本屋で彼女のことばに出会った大学生のわたしは思った。
「これ、自分の書いた文章?」

数ヵ月後、ボツワナを訪れた。いつの間にか「アフリカ」が自分の故郷のようになり、次第に彼女の人生が自分自身に近づいてきた。

地球の上で同じ人間が生きる「アフリカ」は、何にも特別じゃない。エキゾチシズム
でも、開発の対象でも、貧困や飢餓や大自然でもない。そこにあるのは、日常と個であり、人間と大地だ。

アフリカ研究者でも開発コンサルでもない、個人として。「普通のアフリカとつなが
る」ということを、シェアできたら良い。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……

○日時: 2009年5月23日(土) 15:00〜18:00
○講師 横山仁美 氏
○テーマ
『つながる、アフリカ〜作家ベッシー・ヘッドと「あふりかくじら」が重なる瞬間〜』

○場所: アフリカンレストラン カラバシュ
>

(JR「浜松町」南口S5階段金杉橋方向出口より徒歩90秒、
都営浅草線&大江戸線「大門」駅B2出口より徒歩4分、
都営三田線「芝公園」A3出口より徒歩6分)

○会費: 学生300円・一般500円

連絡先: 渡邉 < tunapenda_africa@yahoo.co.jp


学習会後には、講師を囲んだ懇親会を企画しております。
ご都合つく方は是非ご参加ください。
尚、おおまかな人数を把握するため、参加を希望される方は、以下参加フォーマットをにて、できるかぎり事前のご連絡を宜しくお願いします。

参加フォーマット--------------------
○お名前 (           )
○属性 (学生 ・ 社会人)
○懇親会 (参加・不参加) 
○その他(何かあれば)
(                )

------------------------------------
→連絡先アドレス < tunapenda_africa@yahoo.co.jp

□講師の経歴━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…

横山仁美(よこやま・ひとみ)

アフリカ研究者。大学在学時、南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの研究を始め、南アフリカ・ボツワナで調査を行う。
2001年より、飢餓や紛争、野生動物というステレオタイプにとらわれな
い「普通のアフリカ」を日本の人に知ってもらうきっかけを作るため、日本語メールマガジン『あふりかくじらの自由時間』を発行するとともに、ブログを開設している。
エディンバラ大学アフリカ研究センター修士課程修了後、コンベンション会社、開発
コンサルタント勤務等を経て、2005年から外務省専門調査員として在ジンバブエ
大使館に勤務し2007年帰国。現在は、開発コンサルタント会社に所属。

ブログ『あふりかくじらの自由時間』 
http://blog.livedoor.jp/africanwhale/
アサヒコム『魅惑大陸アフリカ』「モザイク・アフリカ」にシリーズ・ジンバブエを連載中。

http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/TKY200812080099.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……

ベッシーとあふりかくじら。

f7d14a7c.gif「普通のアフリカとつながる」っていうのがわたくしの大テーマなわけで、そんな文章をよく書くのだけれども。

縁あって、あるアフリカ関係の「学習会」でトークをさせてもらえることになった。
最近は、ジンバブエの政治経済モノばかりだったけれど、ここでは作家ベッシー・ヘッドにします。

わたしの、一方的ソウルメイト。
わたしに近くてすごく恐ろしいけど、でも、すごく心のそこに響くひと。自分と重なるひと。
わたしがアフリカとつながることになった、そのきっかけ。

ベッシーヘッドについては、わたしのサイトを見てね。

あたしの、個人的ライフワークです。

大好き、というのとはまた違うの。
専門、というのともまた違うの。
すごく複雑なカンケイなの


学習会では、講師とアフリカのつながり、というようなものを大切にしているようです。興味深いね。個人的つながりなんですよ、大事なのは。

アフリカは、開発の対象でもない。

云々。

詳細決まったら、お知らせする。かもしれません。
しないかもしれません。


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ベッシー・ヘッドを愛して11年。

a3ae1edb.JPG今、タイトル書いてびっくりしたよ、アタシ。

作家ベッシー・ヘッドに出会ってもう11年?
早い。

マイ・ソウルメイト。ベッシー。
最近、ときおりベッシーの名で検索してわたしのサイトに来る方がいるのだけれど、ご関心あるのかしら。そうよね。

これまで、彼女に関しては、いろんな文章や論文なんかを書いてきたけれど、もっとちゃんと形にしなければ!
心を入れ換えよう!がんばる。

今日、自宅に帰ったら、ボツワナからぼってりした郵便物が届いてた。
2007年に行われたベッシー・ヘッド・フェスト&シンポジウムの議事録だった。ひさしぶりに訪れたボツワナでのあの数日間は、すごくすごく重要だった。
わたしの中で、ベッシー・ヘッドが色んなものと結びついた。


集合写真のなかに、ちいさくわたしも写っている。


やるしかないでしょう。
わたしにとって、彼女は特別なのです。
研究対象でもお友達でもない、もっと何か重要なものなのです。


そして、文学研究では全くないのです。繰り返しときますわ。

bhproceeding










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くじらとしての積み重ね。

エンピツ日記に書いたこととはちょっと違う視点で。

今日、ベリーダンスのレッスン後にわたしの学部時代からお世話になっている先生(アフリカ研究の超有名人の方)の恒例新年会に呼んでいただき、大学に行った。

今日は、ほんとうにとても良い方たちにお目にかかった。
わたしのいちばんの悩みはもちろん仕事のこと。無職状態もう半年くらいだから。
その話を聞き、色んな人が言ってくれたまったく違うことばたちを、わたしはほんとうに素直に聴くことができた。


そして、ある女性の方が声をかけてくださった。

あなたの書いたエッセイ、読みました。
そして、どうしても作家ベッシー・ヘッドの作品を読みたくなり、二冊買って読みました。
『力の問題』という作品は難しい。でも彼女の自伝的作品で・・・(以下略)
あなたのエッセイ、好きですよ。


おお。
お。。・゚・(ノД`) う、うれしい。


そのエッセイとは、数年前に某研究所の小さな冊子に書いたもので、わたしが学部生時代に作家ベッシー・ヘッドにめぐり合い、彼女のことを知りたくて南アフリカやボツワナに行ったときのことを素直に綴ったものだった。

そのような作品を読んでくださり、覚えていてくださるなんて!

なんだか、自分のやるべきことを再度強く確信させてくれることばだった。
なんてありがたいんだろう。

そして、たぶんそのエッセイはほんとうに書きたいことを書いたからきっと心にちゃんと届いてくれたのだと思う。そう思うと、「アフリカ物書き」としてはほんとうに励みになるし、ちゃんとしたものを書かなくては、って自分に言い聞かせたい。

わたしは研究者でもあり、実務家でもあり、活動家でもありたいと思っている。

いま、いちばん書こうとしているのは、他でもないベッシー・ヘッドのことである。そして、彼女に導かれるようにアフリカの道を進んだ自分の目を通したアフリカのこと、そして生き方のことである。
それを、飾ることなく、ほんとうに専門家や研究家ではない一般の人の心に届くような、そういう文章を書きたい。

そしてそれを出版できたらと思う。
厳しいと思うけれど、いまのわたしには、それを書くことがいちばん意味のあることのように思う。

何年かメルマガ(↑いちばん上に登録ボックスあります)やブログなどを続けてきたことで、「あふりかくじら見てます」「あふりかくじら知ってますよー」と言われることもけっこうある。
つづけることって大切なんだね。
そしてわたしは、こうして自分のことばでアフリカを綴って、色んなひとの心に届いたり、何かのきっかけになったりしてくれることを望んでいる。


応援してくれる方たち、ほんとうにありがとう。
これからもどうぞ、宜しくお付き合いくださいね。



出版できたら、読んでくれる?
(いま、妄想中)



作家ベッシー・ヘッドの作品。
『マル』は比較的わかりやすい物語でほんとうにうつくしい英語で書かれています。ボツワナの美しさに触れることができます。

Maru (African Writers Series)
Maru (African Writers Series)




『力の問題』はベッシーの自伝的小説です。彼女の波乱に満ちた半生がほとんどそのまま綴られています。実在の人物も出ています。(余談ですが、その実在の人物に昨年初めてお目にかかり、鼻血出そうなくらい感激しましたよ、くじら。)

A Question of Power (African Writers)
A Question of Power (African Writers)



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名刺の裏のメッセージ。

e1d72f72.JPG手作り名刺の裏に書いてある文章を、もう何年も変えていない。
ずいぶん昔にもエンピツ日記かブログに書いたように思うけれど、わたしはいつも勤め先の名刺以外に自分個人の名刺を持っている。(そしてそれを、基本的には職場のひとたちにあげていない。まずもって理解されないからだ)

写真を撮るのは好きなので(アフリカ・アルバム見てね→)、いつも自分で撮った写真を載せ、そこにブルーグリーンでシンプルに文字を書く。そして『あふりかくじらの自由時間』と書く。


(ちなみに、「アフリカ、くじらの自由時間」???と区切って言われてしまうことがある。そういうとき、ちょっとぷちっとくる)


名刺を渡すとたいていの人が表を見て、それから裏に返してみる。
でも、9割以上の日本人が、そこに書いてあることばが英語であるとみなすやいなや、読もうともしない。面倒くさがりなんだねぇ。わたしがそこになんかの宣伝文句のようなくだらないことでも書いていると思ったかな?
自分の名刺にわざわざ書いてあるくらいだもの、大事なことばに決まっているよねぇ?ん?

でも、とくにそれは口に出して言わないけどね。
ふーん、とかいうわかったようなわからないような顔をされるのがオチだからさ。

そこに書いてあるのは、作家ベッシー・ヘッドのことば。

 "I am building a stairway to the stars.
 I have the authority to take the whole of mankind up there with me.
 That is why I write."

このことば、物書きとしてのわたしが長い間とても大切にしている彼女のことばなのですよ。

だからわたしから名刺をもらったあなた、裏をちゃんと見てみてよね。


ベッシーについては、メインサイトをみてくださいまし。



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ベッシーヘッド・フェスト。

クリスマスのベリーダンスなどが終了した。ご覧くださった皆様、ありがとう。楽しく過ごさせていただきましたよ。

ベッシー・ヘッドの70歳の誕生日を記念して(注:本人は48歳で亡くなってます)行われたいろんなイベントの報告がアップされている。(こちら

わたくしが提供した写真も掲載されているみたい。
ほんと、彼女が亡くなってから20年以上も経ってしまったのに、これほどまでにたくさんの人々が集まって、ますます彼女の人気が高まっているなんて、ほんとうにすばらしい作家だったんだなと思う。

詳しいことはメールマガジンに書いたのがあるので、そちらをご参照ください。

serowemuseum






わたしは大学生のころにベッシー・ヘッドのことを知り、彼女について調べるために南アとボツワナに滞在した。その後、論文を書いたり色々と活動してきて、今年7月にこのイベントのためにボツワナを再度訪問した。

ベッシー・ヘッド研究者、ファン、友人など多くのひとが参加するのをみて、わたしはほんとうに嬉しかった。初めてベッシー・ヘッド熱をシェアできるひとたちに会えたし、わたしのなかでも有名だった人たちにお目にかかったから。

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わたしにとってベッシーはたぶん、ソウルメイトだと思う。会ったことはないから「一方的」だけれど。彼女とわたしの関係はとても深いもの。良い意味でも悪い意味でも、わたしは彼女のように書くことによって生きているし、彼女のように神経を駄目にしている。これはほんとうに恐ろしいことでもある。

それでも、彼女に「出会った」人生で良かったと思う。
これからもずっと、わたしはわたし個人の中のベッシーと向き合っていく。怖くもあるけれど、ほんとうに素晴らしいことでもある。わたしの壊れた部分を修復するヒントも、もしかしたら彼女のなかにあるのかもしれない。


わたしは、肝炎で死なないようにしたい。



typewriter








いま、メインサイトのトップページは彼女のデスクの写真です。

ベッシーについては、メインサイトのページを見てくださいねー。

彼女の本は、こちらにセレクトされてます。



↓応援ありがとうございまーす。

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ドリス・レッシング。

カタカナで書くと、「ドレッシング」に見えるのはわたしだけではないはずダ。

ドリス・レッシング。
Doris Lessing氏がノーベル文学賞を取ったそうな。

この方は、ジンバブエで育ったのではなかったかな。

よく、文学研究では作家ベッシー・ヘッドと比較されて出てくる。とりわけMadnessというテーマで。わたしはこのことばは好きじゃないけど。的外れだと思う。


アフリカの作品がもっともっと売れてくれると良いね。
そして、ベッシー・ヘッドももっと知られると良いな。




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っていうか、マジ、ベッシー作品も読んでね。
「あふりかくじらブックシェルフ」にあります。ここには、少しずつこれからわたしのオススメ本などをアップしていこうかと。




↓いつも、さんきゅう。

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ベッシーヘッド・フェストについて。

5e638db1.jpg書きました。メルマガ。『あふりかくじらの自由時間』

7月にベッシーヘッド・フェストのために、二度目のボツワナ訪問でセロウェ村にいったときについて。くじらだけに夜9時に配信さ。どうぞよろしく。


さて、それにあわせてセロウェ村での写真もアップ。
アルバムを作成しましたのでこちらもご覧くださいまし。
(→ アルバムはこちら )


この写真のベッシーがけっこう好き。
なんかかわいいし。

ハカタのチョーカー。

今日、水曜日。
今月二度目のボツワナからジンバブエに帰国した。

空港からカルテックスで並んでディーゼルを入れ(昨今の経済状況からして非常に心配していたが無事入れることができた)、その後、直接30キロほど走ってパトリック・マブロスの店へ。
先日セミオーダーしていたチョーカーをとりに行ったのだ。

それは、ハカタと呼ばれる長方形のトップで、ショナの人々の伝統的な呪術に使われたという由来がある。わたしの選んだ図柄は、Wise Womanと呼ばれるもの。ふたつのパターンは、乳房をあらわしている。
そして、パトリックは、チョーカーがわたしの首周りにちゃんと合うような角度で作ってくれていた。

それはとてもうつくしいシルバーで、ずっとずっとほしかったもの。そして、とても大切なものになるはずのもの。
やっと手に入った今日。

静かにチョーカーをみつめ、長い苦しい時間のあとにひとつのピリオドを打ったような、そんな気がした。



ボツワナでは、作家ベッシー・ヘッドの暮らしたセロウェ村へ。大学四年生のとき以来二度目だ。今年は、生きていれば彼女の70歳の誕生日。関連イベントでセロウェ村においてベッシー・ヘッド・フェスタが開催されたのである。

そしてわたしは今回、人生の中でとても重要な人に会い、重要な対話をした。わたしとベッシーをつなぐもの。この複雑な関係。
ちょっと書ききれない。

でも、これだけは言える。

ベッシーは、わたしにとって特別なのである。それは、友だちとか、ファンとかではもちろんない。もっともっとその先にある複雑なものなのだ。













Rupurara Moon
アフリカンビーズ&クラフト






Rupurara Moonショップブログ




セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。
横山仁美
B01A4FSZXE



↑↑Kindle本出ました!!




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