『あふりかくじらの自由時間』

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ことば

ちょうど良い質量のことば。

ed77adf6.JPGアフリカに関することを扱うサイトは、圧倒的に「貧困」「支援」か、「エキゾチック」「部族」なんていうキーワードが多い中で、ちょうど良いことばを使っているひとってまだまだ少ない。

もちろん、わたし自身も試行錯誤、日々修行だけど。

最近、少し良いなと思ったちょうど良い感じのことばが、「アフリカンフォレスト」さん。

この方、たぶん直接お目にかかったことは無いと思うのだけれど、なんとなくお人柄がわかるようなこのことばが、心地よい感じがした。

なんとなく。


(もっとも、アフリカの子どもたちでも、例えばストリートチルドレンの多くは世間の汚い部分を目の当たりにして、ぜんぜんピュアな目をしていないケースが多いような気はするけど。まぁ、それは別としてね)


あふりかくじら、いつも見てくださる皆様に感謝します。


「あふりかくじらの自由時間」をかれこれ八年ばかり続ける中で出会った人たち、数々の職場で出会った人たち、ベリーダンスのスタジオで出会った人たち、たくさんの人たちに実はけっこう応援してもらってるんだなぁと、ふと気付きます。

感謝。感謝。

これから新しいことも始めるし、どんどん「アフリカとつながる」をやっていきたいと思います。アリガトウ。


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「黒人」初の大統領ということば。

いま、自分のことをすごく考えるきっかけがあって、心のなかを整理する「整理週間」なので、ちょっと気になっていることだけを書く。核心は書かん。


オバマ米大統領が就任した。

「黒人」初の大統領と言う呼び方で、あちこちのメディアにわんさか書かれている。
その「黒人」という言い方に違和感があるということを、わたしは以前書いたと思う。

別に誰かのことを悪く言うわけではないので、面倒くさいコメント等を返してほしくはないんだけれど。

オバマ氏の父親はケニアの政治家だったんだよね、確か。
そして母親はカンザス出身のスウェーデン系だったよね。
ハワイやインドネシアで育っているわけだ。

ハワイはマイノリティのカルチャーでインドネシアも民族的に複雑だし、自分自身も両親が違うところから来ている。彼のアイデンティティは複雑なはずだ、とわたしは以前書いたはず。


オバマ氏と同じく、父親がアフリカ系で母親がヨーロッパ系の作家ベッシー・ヘッドは、南アフリカではアパルトヘイトによって作り出された「カラード」という人種カテゴリだ。つまり「ブラック」の中には入れなかった。

もちろん人種主義下の南アフリカの状況は大きく違う。
けど、ここが忘れてはいけない重要な点だと思う。

ベッシー自身は、ANCから分離独立して急進的だったPACに傾倒した。正確には、PACという政党を率いていたひとりのロバート・ソブクウェの考え方に傾倒していたわけだけれど。1960年代。アパルトヘイト真っ只中で、非白人のパス帳(身分証明書)携帯義務という法律(パス法)に反対したPACのデモで、多くのひとが当局の無差別発砲の犠牲となってしまった。

PACは当初、アパルトヘイトとの戦いを「アフリカ人(ここでは黒人)」だけのものとしていた。だが、やがてアジア人やカラードもそこに入れるようになった。それがベッシーにしてみれば重大なことだった。

当時、アパルトヘイトが激しかったころ、カラードというだけで、彼らを嫌う「黒人」のひともいた。ベッシーのことを、「カラード」だから嫌うというひともいた。

そこが、アイデンティティという点において非常に重要なのだ。

自分は白人でも、黒人でもない。誰なのか、と。

彼女は、そういうことを繰り返し書いた。
もちろん、自分を「ブラック」にカテゴライズする記述もあった。でも「カラード」に入れる記述ももちろんたくさんある。カラードに対する独特の差別もある。


バラク・オバマ氏は、黒人と白人の間に生まれたひとなのに、どうして「白人」ではなく「黒人」と言われるのか。わたしにはそこが疑問だ。
黒っぽいひとは、みんな黒人なの?

人種問題がものすごく根深いアメリカのこと(もちろん、わたしもティーンエージャーだったころをアメリカで過ごしていていろんな人種問題を感じたことがある)、肌の色なんかはどうしても注目される。


それでも、オバマ氏のような育ち方をして、複雑なアイデンティティを持ち、いろんな国のことを見たひとは、自分のことを黒人とは言わないんじゃないだろうか。

「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」


・・・っていう発言があるね。

人種に関係なく、皆アメリカ人だと、よく言っているよね。

それが何故だか、わたしには感じられる気がする。

ベッシーに通じるものがあるんですよ。


日本では、人種問題にひときわ疎いひとが多いのかもしれない。
大統領の肌が黒いということが、多くの人にはちょっとインパクトが強すぎるのかもしれない。

だから「黒人」と名づけて安心してしまうのかもしれない。

でも、その「黒人」というひとことの下に、どれだけたくさんのものを隠してしまうのか。

その辺を考えてほしいなと思う。


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暗黙知の中の形式知的なもの。

やわらかすぎることばかり書いているので、ちょっとめんどくさい感じのこともひとつ。
さっき、ふと思ったこと。


形式知が比較的重視されるといわれる欧米に比べ、日本は暗黙知が重視されがちな社会であるというのは色んなところで聞くし、体験的にも何となくそう思っている。
どちらが良い、というのではなくね。

暗黙知というのが言語化されない知識で、且つ、ある社会の中で共有されるものなのだとしたら。

なんとなく日本の社会では、暗黙知のなかに構築される形式知的なものがあるんじゃないかと思う。まぁ、それを「形式知」と呼ぶかと言うと疑問なのだけれど、たとえば日本には新しい概念があって、それを社会がどんどん定義づけていって、やがて皆が定義を言語化していく。そしてそこには、もしかしたら最初と違った概念として日本の中で「ローカライズ」されてしまうという現実さえある。


ある種のルールみたいなものを「暗黙」のなかで構築し、それに則っていることで安心する社会。そして、やがて排他的なものを作ってしまうとか。他の概念を受け入れなくなっちゃうとか。

それを偏見とか呼ぶのかもしれないけれどね。


アフリカに関する先入観も、なんとなくそういうもの。
だんだん勝手に構築された「イメージ」というルールのなかにいることで安心していく社会。野生動物、飢餓、紛争、独裁。
そういうものを越えたもの、つまり大都会とか富裕層とか、そういうものが「アフリカ」という構築された「知」のなかに入ってくると、シャットダウンしてしまうような文化が、この国にはどこか残っている。

CSRという概念に対してもそうだ。
そこに、新しい意味を作ってしまった。そしてそれを言語化してしまった。


社会の中で、言葉の意味も変わる。新しい言葉も生まれる。

でも、「定義」とか「ルール」を決めることで安心してしまう社会は、どこか恐ろしい気もする。


なんてことを、お風呂に入りながら考えたわけです。


以上。


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エリ・ヴィーゼル。

b9484afc.JPG
There may be times when we are powerless to prevent injustice,
but there must never be a time when we fail to protest.

~ Elie Wiesel


ジンバブエの風景が一瞬、心のなかに浮かんで消えた。

これが、いまのあの国・・・なのかも。



いつもジンバブエのNGOアライアンスのkubatanaから届くメールの冒頭に引用されていた、エリ・ヴィーゼルのことば。


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ひどい。ひどすぎる。

なんだよ、それ。

「暗黒大陸の惨状」って何よ。
ひどすぎない?

いくらなんでも、この表現あんまりではないでしょうか。

少なくともわたしは大反対です。
また、アフリカをすべてネガティブトーンでひとくくりですか。

それを公共のウェブで一般公開ですか。

これを、単なる意見の相違で片付けられますか?


私がいつもやろうとしていることの、まるで逆を行こうとする表現に、いったい彼らはどういうものを求めているのか。わかりませんけど。


残念ですな・・・。

どう思われますでしょう。
っていうか、このような表現をアフリカのひとが見たら、どう思うと思いますか?

うれしいんでしょうか。
そのとおり、と思うでしょうか。

「暗黒」ってあまりにも一方的ではありませんか。
植民地時代じゃないんだから。



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めろんぱんのおススメ。

メールマガジン『あふりかくじらの自由時間』が、お世話になっているメルマガスタンドめろんぱんさんのおススメで紹介されました。
しばらくトップページに載せていただくとか。

ありがたいですね。

皆様、いつもありがとうございます。

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おとな女子のコラム。

載せていただきました。短いコラム。
アリガトーウ( ´∀`)つ

こちらのフリーペーパーのオンライン版です。

Complex gala

3cacb6d9.jpg



コンセプトは「かっこいい大人のオンナを作るプロジェクト」だとか。
30代前後の女子必見。

「イイコトしたいお年頃?」という特集のひとつとして、ささやかながら短い文章をコントリビュートさせていただきました。

ほんとうに、普通の女子の心に届くような、そんなことばを選んでみたつもり。
ぜひ見てくださいね。


『自分とつながる、アフリカ。』


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「テロとの戦い」という表現。

アフガニスタンでNGOのひとが殺害されたというニュースがテレビをにぎわせている。

何故、その国のために努力しているひとが殺されてしまうんだろう。
彼の死のようなできごとは、これまでもたくさんあった。

このことで、NGOの仕事に対する誤解みたいなものが広がらないといい。
こういう世界はとても複雑なんだよね。

つまり、「他所の国」で何かをするっていうこと。

国際協力って、いつもそういう危ういところにいる。
そして、他人の国に入ることの難しさがよくわかっていないギョウカイのひとが、いったいどれくらいいることか。


そして、何故テロとの「戦い」って言うんだろう。
戦うということは、武器を取るということなんだよ。

結局、戦争なのではないですか?

わたしはいつも、どうしてテロに対してだけ「戦い」ということばを使うのかが疑問。要するに、そういうことなのかな?


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名刺の裏のメッセージ。

e1d72f72.JPG手作り名刺の裏に書いてある文章を、もう何年も変えていない。
ずいぶん昔にもエンピツ日記かブログに書いたように思うけれど、わたしはいつも勤め先の名刺以外に自分個人の名刺を持っている。(そしてそれを、基本的には職場のひとたちにあげていない。まずもって理解されないからだ)

写真を撮るのは好きなので(アフリカ・アルバム見てね→)、いつも自分で撮った写真を載せ、そこにブルーグリーンでシンプルに文字を書く。そして『あふりかくじらの自由時間』と書く。


(ちなみに、「アフリカ、くじらの自由時間」???と区切って言われてしまうことがある。そういうとき、ちょっとぷちっとくる)


名刺を渡すとたいていの人が表を見て、それから裏に返してみる。
でも、9割以上の日本人が、そこに書いてあることばが英語であるとみなすやいなや、読もうともしない。面倒くさがりなんだねぇ。わたしがそこになんかの宣伝文句のようなくだらないことでも書いていると思ったかな?
自分の名刺にわざわざ書いてあるくらいだもの、大事なことばに決まっているよねぇ?ん?

でも、とくにそれは口に出して言わないけどね。
ふーん、とかいうわかったようなわからないような顔をされるのがオチだからさ。

そこに書いてあるのは、作家ベッシー・ヘッドのことば。

 "I am building a stairway to the stars.
 I have the authority to take the whole of mankind up there with me.
 That is why I write."

このことば、物書きとしてのわたしが長い間とても大切にしている彼女のことばなのですよ。

だからわたしから名刺をもらったあなた、裏をちゃんと見てみてよね。


ベッシーについては、メインサイトをみてくださいまし。



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【あふりかくじら★カフェ】書いた。

微妙にさぼり気味だった二種類のメルマガのうち【あふりかくじら★カフェ】をちょこっとだけ書いてみました。

深夜のラジオ的アフリカ物書き。
とおくから静かに届く誰かのことば。静かな深夜のラジオみたいに、いつかどこかで、ふっと誰かに届くことがあるといい。

そう思って書いてます。
よろしく。( -д-)ノ




もひとつ『あふりかくじらの自由時間』はも少し。



カメムシ考、再び。

夕べ、何故か午前三時に書いたカメムシに関する記述だけれどもね、なんかこころに引っかかることがあって明け方まで眠れませんでしたよ。

例の朝日新聞でジンバブエのマシンゴあたりでは干したカメムシを食べるという内容のコラムがあったわけですが、それについてけっこうブログに書いている人がいる。それでもって、「日本に生まれてよかったー」と結んでいるひとが実は少なくないわけなんですね。

それをみてわたしは、
はぁ!??
・・・って思うわけですよ。

まず第一に、「日本に生まれてよかった→カメムシを食べずにすんでよかった→カメムシを食べる=苦行」という図式があるわけですよね、これを書いたひとの頭のなかには。

ちょっと待った。

マシンゴのひとにとって「カメムシを食べる=苦行」であるはずはない。むしろ、デリシャス・デリカシーですよ。子どものころから普通に食べていれば、平気なはずでしょ?
これが「大人になるためにマシンゴの住人がとおらなくてはならない苦行」だったらともかく、普通に「美味しいもの」なのだから日本に生まれてよかった、ってことにはならないよね。向こうの人にとっては普通だから。

たとえば、アメリカ人やなんかが日本の海苔によくショックを受ける。(真っ黒いからね)で、日本人がそれを食っているのを見て、「うわー!!食ってる!!オレ、アメリカに生まれてよかったー!!」って言うのをみたら、どうだろう?変でしょう?

これこそ「日本中心の発想」だよね。
映画『サユリ』を頭から酷評する連中とおんなじ。なんにも見ちゃいないよね。

アフリカの一般的なひとたちにとって、日本なんてただのサムライでチョンマゲでゲイシャでトヨタでクンフーなのよ。
それと同じくらい、「日本中心の発想」を持つ人たちは他の国や文化に対して偏見をたっぷり持っているわけですよ。アフリカをひとつの国だと思っていたりね。
そういうことに気づかずに一生幸せに暮らして死んでいく人もいるのでしょうけれど、それってわたしからみればあまりにも可愛そうな人生ですよ。

このコラムを書いた松本仁一さんは、きちんと「日本の信州など内陸地方では魚が捕れないからかわりにタンパク源としてイナゴの佃煮などを食べる文化が発達した」というような内容に触れている。
このひとは、例の16回のジンバブエ連載をしたひとだけれど、きちんとそうやって日本のことにも触れるよう意識しているみたい。

それはわたしも同じ。
アフリカのことなどを書いたとき、できるだけ「日本でもこうだよね」という内容を書くようにしている。それは、わたしが書いた文章を読む日本人にとって、アフリカが単なるエキゾチシズムとしての興味本位の「対象」としてではなく、もっと身近な、「ああ、自分たち日本人といっしょなんだな」と思えるようなものであってほしいからだ。

だから松本さんは、「カメムシ」を食べることが決して「特異」なことではなく、日本でも似たようなことがあるわけだね、という書き方をして、読者になるほどと思って欲しいわけなのだ。だからイナゴを引き合いに出したのだ。

「カメムシ!!?うえーっ!!」ではない。
「カメムシ!ああー、そうなんだー。日本で言うイナゴみたいなもんかー」なのだ。

だから、「日本に生まれてよかった」と書いた人間には、このコラムの真意が伝わらなかったということになる。
そこには、カメムシー!うえー!ジンバブエ最悪ー!という図式が生まれてしまっているから。

でしょ?



↓ありがとう。

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メルマガやっと書きました。

1e1a9690.jpgはい、そんでもって現在午前3時。
一度書いた記事をばっちり消しました。。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

えっと、メルマガを久しぶりに書きました。
まぐまぐからどうしたのメールが来ていたし。


ご存じない方のために、簡単に書きますが、あふりかくじらは2001年はじめごろよりメールマガジンというものを出しております。
現在では、二種類あります。長めのヤツと短めのヤツです。



『あふりかくじらの自由時間』(いちおう、月3回程度目安。長め)

 バックナンバーと登録は:メルマ めろんぱん まぐまぐ


【あふりかくじら★カフェ】(いちおう、週3回程度目安。短い。昼休みに読める)

 バックナンバーと登録は:まぐまぐ めろんぱん


ほんとうは、もっとちゃんと出したいのだけれど、どうしてもブログのほうが気楽なんだろうね。ちょっとメルマガだと考え込んじゃって出すのが遅くなる傾向にある。でも、メルマガだけ読んでくださっている方もいるし、そういう方に良いものを届けるようにしないといけないなーと思う。
どうぞご意見くださいましね。よろしくです。

いつも読んでくださりありがとう。



↓いつもご投票ありがとう。( -д-)ノ

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翻訳は創作でもある?

amar

今週は、歴史的へこみ週間の あふりかくじら です。どうぞよろしく。
本日は、ベリーダンスのレッスンにも行き、昨日より人間性を取り戻しましたよ。あとは、魂と体力が戻るように願うまで。


写真は、アマル・ガマルAmar Gamal、わたしの敬愛するベリーダンサー。このインタビュー記事を見ながらいつも思う。
この記事は充実していてとても読み応えがあり、アマルの人柄がよく伝わってくるよい記事だと思う。そして、そのいちばんの理由は、アマルの「言葉遣い」ではないだろうか。

アマルは、自分がベリーダンスを続けてきて、ぶち当たった壁とか、苦労したこととか、素晴らしさなんかをたんたんと語っている。それはもちろん、彼女自身が英語で喋ったことを、記事を書く人が日本語に直したものであろう。
それはとても親しみやすくも丁寧な「ですます調」の日本語になっている。


いつも気になっているのだが、たとえば音楽雑誌とか、ちょっとした記事などでハリウッド女優へのインタビューを載せるとき、たいがいがひどい言葉遣いでうんざりしてしまう。ものすごくはすっぱな感じとか、「〜だぜ」を繰り返したりとか、普通、ちょっとありえない言葉が、そのような記事では非常に一般的になっている。

たしかに、英語には日本語のようにはっきりした「ですます調」の敬語はないが、それにしても普通インタビューに良い大人が応えて「〜〜だわ」とか「だぜ」なんて言うはずはない。いくらラッパーとか、がきっぽいミュージシャンでも、「だぜ?」なんていわんだろ?もし彼らが日本語にとても通じていて、自分がこんなキャラで描かれていると知ったら、そりゃあんまりうれしくないだろう。

なんというか、翻訳を通じて、キャラを作ってしまっているのである。
しかも、勝手に。これってかなり罪深いことだとわたしは思う。だって、ひどいじゃない?「○○なのよ」なんて、あんまりインタビューで大人の女性が言わんでしょ?
軽すぎ。

偏見かもしれないけれど、経験上、こうやって過剰な「女言葉」を翻訳にのせるのは、男性が多いように思う。
ものすごく、「○○だわ」とか入れちゃうひと。でも、たとえばその原文を喋っている女性あるいは女性キャラクターは、どうかんがえても、そのようななよなよとした「女言葉」を喋りそうになかったりする。しつこいくらいの「女言葉」は、女に見せようとする書き手の努力か、それとも女性に対する願望なのだろうか。
言葉遣いが非常に悪いわたしが言うのもなんだか妙だけれど。

なーんてことを考えつつ、わたしはまた無料の翻訳仕事を請けます。ふぅ。


Belly dance Japan (ベリーダンスジャパン) vol.1
Belly dance Japan (ベリーダンスジャパン) vol.1



ちなみに、上の雑誌は「ベリーダンスジャパン」、はじめてのベリーダンス専門誌だそうだ。とっても内容が充実して、写真もたくさんあるし、かなり質が高い。もうすぐ二冊目が出る様子。


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めろんぱんレターに掲載。

90890ac4.JPGメルマガスタンド「めろんぱん」さんの「めろんぱんレター」に短い&頻繁なほうのメルマガ【あふりかくじら★カフェ】が掲載された様子。

二度目かな。
でも、こういうちょっとした親切さというか発行者への気遣いみたいなものも、めろんぱんさんは格段に良いです。つくづく思う。

ぜひご登録くださいまし。


ん?でも「アート・文芸」カテゴリじゃないのに、その分野のメルマガとして紹介されている。やっぱり「詩」だと思われたのね・・・。「詩」じゃあないのにな。(好きじゃないし)
どちらかというと「ひとりごと」ジャンルなんだけど。

ま、いいか。


写真は、今日たまたま見つけたオリーブの実。
なんだか、小さな幸せ。

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アフリカ語って・・・。

263153d4.jpgうーむ。

揚げ足を取るっちゅうわけじゃないけれどもね。
重箱チェックをしているわけじゃないんだけれどもね。


「アフリカ語」は実にまずいでしょ。
そんなにひとつに見えますかね、「アフリカ」が。

あと、「インド語」とか「ジプシー語」ってのもまずいでしょ。ちょっと頭悪そうな感じだよ・・・。

この本が紹介している当のサイトにはいちおうAfrican (Kiswahili)とかAfrican (Yoruba)とか書いてあるじゃないの。
せっかくいい本なのに、それを紹介する記述がこれって・・・。

ウチとソトの悩み。

日本語の尊敬語や謙譲語の使い方ってトリッキーな感じだ。
普通の人は、もちろん社会人になって仕事をしていく上でいろいろと覚えていくわけだ。

で、日本語の敬語に大切なのはウチとソトの概念。尊敬とヘリクダリだ。

(ちなみに、以前の職場ではこの使用の仕方が偉く一般常識と違っているという変わった風習だった。すごくやりづらい。まぁそれはともかく)

いつも思うのだが、わたしの所属しているNGOの事務局スタッフの人たちはいつも丁寧だ。でも、会員に対して自分たちをヘリクダルという傾向にある。もしかしたら、けっこう若い人であんまり敬語の使い分けをわかっていないのかな・・・なんて思うこともある。

たとえばわたしは、そのNGOの設立当初からかなり活動してきて、一時期は自分で事務局担当をしていたこともある。最初のウェブサイトも作った。
ジンバブエに二年間いる間は、会合に物理的に参加できないということもあり、ちょっとした仕事しかしていなかった。その間、新しい事務局のスタッフの子たちも何人か入ってきた様子。

すると、何か仕事をした際、とても丁寧に言われてしまうのだ。

「この度は、ご協力大変ありがとうございました。今後とも○○(団体名)をよろしくお願い申し上げます」

わたしは、んんん〜?って思ってしまう。それはおかしいんでないの?

あなた方はわたしを直接知らないかもしれないが、わたしはずっとその団体で活動をしてきているし、第一、事務局=団体そのものではないのだ。自分もその一員なのだ。そして、その活動を築いてきたひとりでもある。
事務局にお礼を言われるというのはおかしい。あきらかにこちらを「ソト」と見ている。でも、わたしの心の持ち方としては完全に「ウチ」である。

ここでさらにトリッキーなのは、会員それぞれのかかわり方が違う、ということだ。
つまり、お客様的にちょっとだけ関わっているひともいるということ。よって、「ソト」扱いがしっくりくるという場合もあるのだ。

嗚呼、難しい。

この話、事務局のひとりの子にしたこともあるんだけれど、他の人はそのまま。
うーん、こういうこと言うのは小姑みたいかしら。
でも、わたしにしてみれば、その態度はしっくりこないんだよね。
どうしたものかしらねぇ。

自由になりたい。

d597b6c8.jpg自由になりたい。


――…。


わたしは、自由なのか。



自由時間。あふりかくじらの。

かれこれ6年ほどこの「あふりかくじら」商売をやっている。

自由時間があるってことは、拘束時間もあるのだ。ときどき思う。そんなことはおかまいなく。


今夜は、わかりません。

質問。

8db873d4.jpg

「愛とは何ですか。」


   …見つかりませんでしたか?

独りの夜でも。

f6915343.jpgどうせ誰もいないし、
ウィントフック・ビールの缶を自分のためにあけ、
アラニス・モリセットの"THANK U"を聴く。


灯りを落として
サラウンドいっぱいの気分で、
部屋中に響きわたるように。


この曲を聴くときいつも、
わたしは何を思い出しているのだろう。    


胸が締め付けられるようになるのだけれど、
それが何なのか、わたしはいつもわからない。
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セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた: 大学生、作家ベッシー・ヘッドに会いたくて、ボツワナへ行くことにした。
横山仁美
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