三連休はもちろんずっとオフィスで深夜まで仕事だった。
でも、これだけは行こうと思っていた。

仕事が超ピークなのを承知で、昨年のうちに参加申し込みをしていた。

台湾文学翻訳家 天野健太郎さんを偲ぶ会。

昨年11月に47歳の若さでご病気でこの世を去ったこと。
いまだに信じたくない。

オフィスを抜け出して、急いで虎ノ門の台湾文化センターへ。







ほんとうに、行ってよかったと思う。


会場は、100人を優に超えるたくさんの人が集まっていた。
天野さんってすごいひとだったんだな。

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お仕事関係の方も多かったようだけれど、
わたしは少し違った立場で彼のことを見てる。


(11月に書いた記事参照)


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ほんとうに美しいことばたち。

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何人かの方が彼の思い出や翻訳業界のことなどを語り、
天野さんらしいエピソードに笑ったり
皆、胸が詰まるような思いで声を震わせ涙したり。

ほんとうに大切な時間だった。

(ちなみに、「天野節」というのは共通語なのか?八百コーヒー店用語だと思ってた)




お父様のエピソードに、会場の多くの人が泣いていた。
わたしも涙が溢れて止まらなくなった。

悲しすぎる。

ユーモアと悲しみが混ざり合い、
皆、泣いたり笑ったり大変だった。


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野嶋 剛氏のブログより拝借)





帰り道。

胸がいっぱいになって
泣きながら新橋まで歩いた。

この記事に書いた通り、わたしはまだ
作家ベッシー・ヘッドの翻訳出版を実現していない。

20年ものあいだ敬愛し、ボツワナや南アまで行き
論文も書いたり、記事を描き続けたりした彼女の肝心の作品の翻訳。

そんな自分の不甲斐なさに泣けたとともに、
アドバイスをくれた天野さんに、
翻訳本を見せることもできなくなってしまったこと。

そして、わたしはこんなに長いことこのことを引っ張ってきて
あと何年生きるつもりなんだろう、って強烈な思いが渦巻き、
涙が止まらなくなった。



南アフリカ出身でボツワナに暮らし、
1986年に48歳で亡くなったベッシー・ヘッド。

彼女を追いかけた私の思いの記録は、
Kindle本を読んでほしい。






今日、思ったことをツイートした。

偲ぶ会もまた、残された生きているものたちが整理をつけるためのものなんだろう。

会を企画し、主催・運営してくださった方に感謝します。
ありがとう。




真夜中に泣きながら、やっとメールを書いた。

長年、やらねばと思っていて、
10年だか15年だかやっていなかったこと。

相当だよな、それ。あと何年生きるつもりなの?わたし。

今の私なら
道は開けると思う。


ありがとう、天野さん。

わたし、1997年から愛し続けている
作家ベッシー・ヘッドの作品を
自分の言葉で日本語にして世に送り出します。


自分がすべきこと、よくわかった。






そして。


またいつものコーヒー店に行ったら、
分厚い原稿の束に付箋をたくさん貼って
難しい顔してため息ついてますか?






いつの日か、また会う日まで。

さよなら。

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