前記事に書いた曽野綾子氏の産経新聞に掲載された「アパルトヘイトを称賛する」かのようなコラムに対し、抗議文などが次々出てきてメディアでも取り上げられている。

わたしも、それらの抗議文には賛同するし、このことは看過されるべきではない重大な出来事だと感じている。


その一方で、少し加熱し過ぎが微かに心配になる。


確かに、この文章はひどいと思うし、アフリカに90年代半ばから関わり続け、南アフリカとはずっと縁が深い人間の一人として、抗議すべきものとは思う。

こころから残念な文章であり、かつ発言に少なからず影響力があるお立場である方からして、これはありえないことと思う。
しかも、それを掲載する新聞は、やはり意識が低かった(あるいは無関心だったのかもしれないが)と考えざるを得ない。


ただ、まだ二十年もアフリカにかかわっていない若輩者の自分が言うのも何だけれど、これまでも似たような驚くべき発言をいろんな日本の方が口にするのを聞いてきたのもまた事実だ。

そして、その中の一部の方は、単純に「無知」なのではなくてある程度お立場もあるお方だ。


この国には、あとどれくらいの「曽野綾子氏」がいるのだろうかと想像するとぞっとする。

日本という社会は、何か「やらかした」ひとがいると、その人を執拗に責め立てるいじめ社会の傾向があることは否めない。


もちろん、その発言は抗議すべきものである。

だが、その背景に、心密かに同調する者や、数々の抗議に反発している者がどれくらいいるのか。

たった一人を執拗に責め立てることで、そのような重大な問題である背景事実が掻き消えてしまわないだろうか。
その他の、同調するオピニオンを持つ人たちが、見えなくなってしまわないだろうか。


なぜこのような発言が生まれたのか。
その社会的背景は?文化的背景は?

南アフリカとは、そんなに縁遠いものだったのか?





そういうことをいま、アフリカ関係者や心ある者たち、「知識人」たち、縁のあるたくさんの人たちは、しっかりと見据え考え、行動に移すべきなのではないだろうか。

曽野綾子氏ひとりを激しく責めたところで、何にも深まらない。

こういうとき、一緒になって「激しく抗議」しないと、まるで相手に同調するのか?とでもいうように興奮した一部の(ごく一部の血気盛んな)ひとたちに「敵」に回されることがあるし、わたしは何度かそういう目にあっている。



でも、自分の考えはこうなので、述べます。



ことがもう少しだけ落ち着いてからだったとしても。
もちろん、ちゃんと抗議して決着がついてからだったとしても。


激しく責めるだけじゃない。


次に取るべきステップについて、一緒に考えましょうよ。


重大なことだからこそ、慎重に、冷静でありたい。

南アフリカを愛する者であるからこそ。

敬愛する作家ベッシー・ヘッドが亡くなるまで訴え続けたアパルトヘイトの悪と、その背景にある人間たちの美しさと醜さのこと。


やはり、ベッシー・ヘッド作品を日本語にして世に出すことはとても重要だと信じている。

出版が実現できるまで、心ある出版社を探して頑張りたい。



===


以下は、抗議文の紹介。とても重要なことが書かれています。



■南アフリカ大使館

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■アフリカ学会

産経新聞コラムに抗議する日本アフリカ学会有志



この新聞社は、何年か前にジンバブエに関して「ムベキ大統領の独裁政権」と書いたことがあり、このときはさすがのわたしも(普段はめったにしませんが)抗議を入れた記憶があります。
「ムベキ(←ムガベ大統領の間違い)」と「独裁(←一国の元首にこの言葉はないでしょう)」の両方の点について。
関心、ないということなのでしょうか。どうなのでしょう。



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